十五夜橋

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十五夜橋

 とある満月の晩。まるで真昼のように明るい月光の下、大川にかかる十五夜橋の上を、一組の男女がゆっくりと歩いている。 「今夜は本当に良く晴れて、素晴らしい満月だなあ。まさにスーパームーンだね」  良亮が夜空を見上げながら、感嘆の声を上げる。 「本当にそうね。あたし月の光って、好きよ。優しさと冷たさが混じりあったような不思議な感じが凄くいいのよね」  良亮に腕を預けた恭子も嬉しそうに空を見上げている。  二人は同じ会社の同僚で、付き合い始めて三か月程になる。橋の丁度真ん中辺までゆっくりと歩いてきた二人は、何となくそこで立ち止まって、欄干に体を預けながら川面に映る満月を眺めている。 「二人でこの橋に来るのは初めてだよね。この近くにこんな場所があるなんて知らなかったよ」  良亮はこの春にこの町に転勤してきたばかりで、まだ知らない所が沢山ある。町についての情報は長年ここに住んでいる恭子の方が詳しい。 「そうなのよ。夜遅くなると人通りもまばらになるの。だから、こういう風に穴場のデートスポットみたいな使い方も出来るわけなのよ」 「なるほどねえ」  二人の眼下には、名前の通り大きな川が流れている。川幅も深さも結構大きな割に、流れは早い。昨日まで降り続いていた雨のせいで水かさの増えた川面が、夜の暗闇の中でいつにもまして大きな音を立てて流れているのを聞くと、何だか怖くなってくる。 「そう言えば、この十五夜橋にまつわる言い伝えって聞いたことある?」  川面を見つめたまま、恭子が尋ねた。 「言い伝え?いや、知らない。どんな話なの?都市伝説みたいなやつ?」 「まあ、都市伝説っていうか、単に伝説と言った方がいいかもしれないわね、昔の話だから。ただ、今の私達にも関係はあるから、その意味ではやっぱり都市伝説なのかなあ。聞きたい?」 「うん、聞きたい。教えて」  良亮の頼みに応えて、恭子は淡々とした口調で話を始めた。 「ずっと昔、この橋の辺りに、貧しい浪人者の夫婦が住んでいたの。二人は貧乏ながらも、それなりに幸せに暮らしていたのね。  そんなある日、奥さんがご懐妊したの。貧しい暮らしの中にも初めて授かった子供で、二人とも素直に喜んだのよ。“こうしちゃおられん。俺もすぐに仕事を見つけんといかんな“”焦らなくてもまだ大丈夫ですよ。いざとなれば私も子供をおんぶして働きますから“なんて話を笑顔でしていたかもね。  ところが、それから間もなくのこと、この十五夜橋の界隈で辻斬りが起きるようになったの。夜更け、辺りが寝静まった頃に橋を渡る人が標的にされ、斬り殺された人の死体はそのまま川に投げ込まれたんだって。そして殺された人たちは、みな一様に金品を奪われていたの。つまり、辻斬りと言っても、人を試し斬りする愉快犯みたいなやつじゃなくて、要は強盗殺人だったわけね。周辺の人々は、みな夜になると外出を控えるようになっていったの。  そんなある晩、浪人の妻がふと目を覚ますと、隣に寝ている筈の夫がいない。夫の布団は、もぬけの殻だったのよ。 (……どこに行ったんだろう……)  周囲に辻斬りが跳梁しているような時だし、不安でたまらなくなった妻は、夫を探しに出たの。そして橋のたもとの辺りに来た時、突然彼女の耳に押し殺したような人間の悲鳴が聞こえてきたわけ。妻は驚いて欄干の陰に身を隠した。そして、そこから全てを目撃したの。  橋の真ん中辺に一人の侍が佇んでいて、その足下に町人風の男の体が力なく横たわっている。見ているうちに、侍は男の体をまさぐり始め、やがて巾着袋のようなものを引っ張り出すと自分の懐に入れた。そう、まさしく辻斬り強盗の場面を、妻は目撃してしまったわけね。  十六夜の夜だったけど、丁度月には黒い雲がかかっていて、辺りは暗かった。男の顔も今ひとつ良く見えない。妻はそのまま息を殺して、物陰で震えていたの。一方、町人の体を探し終えた侍は、男の死体を抱え上げ、橋から川に投げ込もうとして体の向きを変えた。  その時突然雲が流れ始めて、辺りは急に月明かりに照らし出されたの。その明かりの中、丁度こちらの方を向いた辻斬り犯の顔が鮮やかに浮かび上がった。その顔を見た瞬間、妻は思わず悲鳴を上げてしまったの。  そう、それはまぎれもなく自分の夫の顔だったのよ。  突然沸き起こった悲鳴に驚いた夫は、勿論その場でその主の姿を見つけた。そして、自分同様に月明かりに照らし出された彼女が誰であるか、夫の方も瞬時に認識した。見たくないものを見てしまった人間と、見られたくない人に見られてしまった人間同士が、呆然と見つめあっていたというわけね。  貧しい浪人の夫は、生まれてくる子供の為に少しでも金を稼がなければ、と思い詰めた挙句に、辻斬り強盗に手を染めていたの。今、それを妻に知られてしまったことに愕然とした夫は一気に冷静になり、そして激しい後悔に襲われた。自分はなんと馬鹿な事をしでかしてしまったんだろう……でも、もう全てが遅すぎた。かくなるうえは、と夫はその場で新しい命諸共に妻を斬り殺し、自分もそのまま橋のたもとで切腹して死んだの……」 「ふーん、一遍に妻と胎児と自分の三人、ああ、町人までいれると四人か。それだけの人間があっという間にこの橋の上で死んでいったってことか。なんだか凄いね」  黙って聴いていた良亮が、淡々とコメントする。 「確かにそうね。でね、それ以来、月夜の晩になると、この橋の辺りに妻の幽霊が出るようになったの。もしもあの時雲が流れて、辺りを月明かりが照らしだすような事さえ起きなかったら、自分は夫の顔を認識することもなく、声をあげることも無かった。うすうす予想はしていたものの、はっきりとした確証さえ見せられなければ、あの場で悲鳴を上げて夫と目を合わせる事もなく、そのまま家に戻って“あれは夫ではない”と自分に言い聞かせながら、それまでと同じように生きていくこともできたかもしれないのに……あの時、あんな月さえ出なければ……妻は月明かりを恨み、月夜の晩になると、自分が殺されたこの場所に現れるようになった。  そして幸せそうなカップルが通ると、その人たちに祟るようになったの。だから、明るい月夜の晩に、カップルがこの橋を渡ると良くないことが起きる、と昔から言われているのよ……」  薄気味の悪い話を妙にあっさりと締めくくった恭子に、良亮は当然の疑問をぶつけた。 「えっ?じゃあ、こんな月夜の晩には、僕らみたいな二人が渡っちゃいけないってことじゃない?いいの?」 「……」  良亮の問いに恭子は、ただ沈黙している。 「まあ、勿論伝説に過ぎないんだろうけどさ、何だかちょっと気味悪いよね、あはは」  暫くして口を開いた恭子の言葉は少々想定外のものだった。 「私達、カップルなの?」 「えっ?何言ってんのよ。僕らって立派なカップルだよね」 「本当にそう思っていいの?」  良亮の目をまっすぐ見ながら思いつめた表情で恭子が尋ねる。 「おいおい、どうしちゃったのよ、恭子ちゃん。今日はなんか変だぜ。僕たちつきあい初めて、もう三か月になるよね」 「私、見ちゃったのよ。先週の土曜日、貴方が総務の山岸さんと腕を組んで歩いてたのを……」  良亮は思わず絶句した。 「いや、あれは……その……プロジェクトの件で打ち合わせがあって、時間も遅くなったから食事に行っただけで……その後彼女が勝手に腕を絡めて来てさ……」 「ずっと信じていたかった。出来る事なら知らなかったような顔して、今までどおり暮らし続けていきたかった。でも、あんなはっきりした証拠を見せられてしまったら、もうどうしようも無いじゃない!私だって出来る事なら、何も知らないことにしたかった……」 「おい、やめろ!危ないじゃないか!そんなものどうする気だよ!やめろよ!」  いつの間にか隠し持っていたナイフを抜き出してこちらへと迫ってくる恭子に怯えて、大きく後ずさった良亮の体は、そのまま欄干を乗り越えて川へと落下していった。悲鳴と共に落ちていきながら橋の方を見上げた彼の視線の先には、ぎらぎらとした月明かりに照らし出されながら、ぞっとするような笑いを浮かべている、見知らぬ女の顔があった。 [了]
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