ある夜の出来事。

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ある夜の出来事。

ある夜の出来事。 「よし、今日はここまで。」 顧問の先生がそういって、今日の部活は終了した。時計をみると、夜の20時だった。 顧問の先生は、いつもは優しいが、音楽になるととても厳しい。 練習中に楽譜ばかりを見ていて指揮をみていないと、無言で譜面台を倒しに来る。 そんな癖のある、ちょっと厄介な先生だ。風貌は遠目にみると男前で、吹奏楽以外の女子生徒にはそこそこ人気がある。 今日は、練習中の指揮が突然止み、先生は無言で隣でクラリネットを吹くりえちゃんの譜面台を倒した。隣でフルートを吹いていた私の譜面台も連鎖的に倒れてきて、それがもとで楽器が傷つきはしないかとヒヤヒヤしていた。 でも、そんな顧問の先生の指導の元でも、吹奏楽は楽しい。より良いものを作ろうと思えば、厳しくなるのも当たり前なのかもしれない。 それに、もうすぐサマーコンサート、略してサマコンだ。私の高校のサマコンは、夕暮れの18時から2時間行われる。地元の人やPTAの方々が出店やらを用意してくれるので、サマコンはお祭りモード一色になる。 だからこそ、顧問の先生が厳しくなるのも頷ける。 でも、次は私が怒られる番なのではないかとヒヤヒヤしている。 今度のフルートソロパートは私が担う事になっている。 それなのに、フルートが見せ場のソロ部分の音が上擦ってしまうときがある。私に出来るのかと思うと、とても気が重く、滅入ってくる。 今日は怒られなかった。でも、きっと明日は私が怒られる。そんな気がして仕方がない。 楽器を片付けて、解散して、りえちゃんと途中まで一緒に帰って、りえちゃんをなぐさめて、「また明日、一緒に頑張ろうね」と言って別れた。 家に着いて、お風呂に入って、ほっこりしてから冷蔵庫を開けると、私の大好きな野球みたいな名前のバニラアイスがひとつもないことに気づいた。 ・・仕方がない。諦めるか、いやそれは無理だ。あれは私の大好物だ。あれは今日1日頑張った私自身へのご褒美だ。買いに行くなら、パジャマじゃあコンビニにはいけない。 ものすごく葛藤していると、冷蔵庫を開けっぱなしで悶々としている私に向けて、ママに、「アイスくらい我慢しなさい!!」と一喝された。 そのママの言葉を受けて、私は意地でもあの野球みたいな名前のバニラアイスを食べると使命に近い決意を抱いた。 着替えて、がしゃがしゃと自転車を漕いで、コンビニに向かった。 私の家は、控えめに言っても田舎だ。田んぼと田んぼの間にあるアスファルトの道を自転車を10分くらい漕いだところにコンビニのホーソンがある。 今日は、月がきれいだ。私は自分が担当しているソロパートをソルフェージュしていた。 と、急に、自転車が重くなった、漕いでも漕いでも、重い。まるで後ろに誰かが乗っているようだ。 そう思って、自転車の後ろの荷台をみてみたが、もちろん何にもない。 しかし・・月明かりの下でできた自転車の影、その荷台に、私以外の人形の影があった。 人間、本当に怖いときには声がでないということを、このときにはじめて知った。 私は、自転車を一目散に漕いだけど、自転車はさらに重たくなった。それでも漕いで漕いで漕いだ。 もう一度、勇気を振り絞って後ろを振り向いてみると、そこにはやっぱりなにもない。 でも、荷台の影の私のではない人形は、私の肩に手を置いているようにも見える。 私は叫んだ。 「神様!!もう、ヘタレなことは言いません!!サマコンのソロ頑張るから、絶対成功させるから、私を守って!!」 と言いながら、もう後ろを振り向かずにコンビニを目指した。 息を切らしながらホーソンの店内に入った時には、店員さんの視線が痛かったけど、目当ての野球みたいな名前のバニラアイスを数個買って、そして自宅へ向かった。 帰り道は、自転車は重くなることなく、いつも通りだった。何度か恐る恐る後ろを振り向いたけど、何もなかった。 なんであんなことが起きたのだろうかと考えた。プレッシャーか、それとも本当に何かそこにいたのか。月明かりの下では、何かしら不思議な事が起きる。 でも、ひとつだけ、確かに言えることは。自転車をがしゃがしゃと漕いでいるときに神様に誓ったことは、私自身の覚悟になった。 絶対に成功させる。 そして、サマコン当日、私は、本番前に先生が用意してくれたアイスでみんなで気合いをいれた。野球みたいな名前のバニラアイスだった。これは偶然なんだろうか。 あのとき、神様と自分自身に誓ったように、私は私のソロパートに向き合って、それを乗り越えた。 演奏の後、お客さんの拍手がとても嬉しかった。 そして、あのときの月明かりの下の私以外の影に、少しだけ感謝した。
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