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【-6-】
「今まで散々〝相互扶助〟してきたじゃないか。一度くらい最後まで、いいだろう? お前はここを出たら男にも女にも困らないかもしれないけど、俺は結局ここから出られないだろうし」
ハルタから受けた説明で、神殿は思っていた以上に緩い所だと分かった。だが『身の安全が保証されているなら』という条件をジスは達成出来ない。
この分ならきっと外部からの面会も許されているのだろうが――おそらくシュタークはジスに会いに来ない。風呂場での問いかけははっきり断られた訳ではなかったが、ジスはそう受け取っていた。短くない旅の間、仲良くしていたつもりだったのに、結局それはジスの思い上がりで、シュタークにとっては単なる護送対象にすぎなかった、という事だ。
だったらこれも〝依頼〟として〝報酬〟を支払ってしまえばいい。
――結局神官さん達に、兎の神子の受胎率ってどのくらいなのか聞きそびれたなあ……。
現在ジスは、妊娠を忌避している訳ではない。むしろその逆で、二度と会えないのならこの男の子どもが欲しいと思っていた。
このまま神殿に籠もって畑仕事や研ぎ仕事に精を出すだけの人生なら、加護を自分の為に使って〝授かりもの〟を得ても良いじゃないか――好いた男の子どもを育てるような彩りが、自分の人生に存在したっていいじゃないか。
そんな風に思ってしまったのだ。もちろんこれを言えば、シュタークは逃げてしまうだろうから言わないが。
「出してやる。必ず出してやる」
けれどそんな悲壮な覚悟を決めたジスに返されたのは、そんな的外れな言葉だった。
「……は?」
「あんたを安全に守るには、俺の『保護』だけでは足らない。『守護』が要る。そして『守護魔法』というのは獣兎神の神官達が編み出した魔法なんだよ。それを教えてくれと言ったらあいつら『では兎の神官になられますか?』と訊いて来やがった。狼の神子が兎の神官になるなんて前代未聞――獣狼神に対する冒涜に当たるんじゃないか? そこを確認してからじゃないとどうにも出来ないが、危険がないなら兎の神官になることもやぶさかじゃない。だから待っていてくれ。必ずもう一度、旅が出来るようにしてやるから」
「――あの、ちょっと……?」
一気にまくしたてられたジスは混乱に目を白黒させる。
「シュターク? 危険があるかもしれないなら、兎の神官になんてなっちゃ駄目だろう。俺はお前に危険なことをさせてまで旅になんて――」
戸惑いながらたしなめようとするジスに、シュタークは身を乗り出した。今度は諭すような、柔らかな囁きだった。
「でも旅が好きだろう? いろんな相手と出会って仕事をして、相手の笑顔さえもが報酬だって……あんたはそんな風に生きて来ただろう? 俺はそれを支えて守りたいって思っている」
「支えて……? 守りたい――?」
ジスはどくん、と胸を高鳴らせる。
「なあ、俺の気のせいじゃなけりゃ、それってプロポーズみたい……じゃないか……?」
いや、でもまさかなぁ――そんな自信のなさに尻つぼみになっていくジスの声。だがシュタークは誠実な色を浮かべた灰色の瞳をひたとジスに当てて、大きく頷いたのだ。
「そうだな。そう取ってもらって構わない」
「え――――」
予想外に肯定されて、ジスは目を見開いた。赤い瞳を揺らがせながら信じられないものを見るようにシュタークを見つめ、「嘘だろ」と呟いた。
「だってお前、俺に会いにこないっぽかったじゃん。襲撃の後とかもなんか冷たかったし」
「……襲撃の後――ああ、今後どうすべきか必死で思い巡らせていたからな。……冷たい反応に見えていたなら済まん」
あっさりと謝られ、俺はあれでかなり落ち込んだのに。とジスは苛立ちを募らせる。
「じゃあ今日の風呂では⁉ 『面会出来るなら会いに来て』って言ったのにお前『どうなるんだろうな』って……! どうなるんだろうなって何だ、何なんだよ⁉」
「いやあれは――面会というか俺も守護魔法習得の為にここに住むかも知れず『どうなるんだろうな』と。はっきするまではあんたに言わない方が良いと思っていたし……!」
苛立ちを隠さず口調を荒げはじめるジスに、やっとシュタークも焦りを感じ始めたらしい。
「そもそも神殿が守護魔法を教えてくれるかどうかも分からなかったからな……! ここが駄目なら他の方法を求めて別の国に行くかも知れなかったし、色々と分からなかったんだよ……!」
「じゃあなんで今言ったんだよッ。状況が定まってねぇのは今も一緒だろ⁉」
「あんたがそんな指輪出して来て、これが最後の別れみたいに言うからだろーが!」
「そりゃ言うだろ⁉ お前は冷たいし、俺はこっから出られない、なのにお前は会いに来ないとなると最後だろ! て言うかなんなんだよお前ッ。俺はお前に何にも言われてねーよ⁉ 出してやるとか待ってろとか言うなら、まず言うことがあるだろうが!」
ジスは苛立ちのすべてをぶつけるようにローテーブルを叩いた。件の指輪が跳ね上がり、床に転げ落ちてカツンと音を立てたが、二人とも注意を払わなかった。その指輪がこの部屋にあるどれよりも高価なのは明白だったが、そんなものよりも大事な問題が二人の間に勃発していたのだ。
ソファに座って腕組みをするジス。赤い目には明らかな怒気が宿り、忌々しげに唇を引き結んでシュタークを睨んでいる。その向かいに座るシュタークは狼の耳をしおれさせながら立ち上がるとローテーブルを回り込み、そろりそろりとジスに近づいた。そしてその隣に腰掛け、
「俺はあんたが好きだ」
と言ったのである。
ジスはそれを横目でじろりと睨んで、苛立ちを継続させたままでいる。
「もうひと声」
「ッ……初めて会った時から気になっていたんだ……!」
これにはジスもさすがに目を瞠った。
「はぁ? 初めてって、最初の晩の――?」
「そうだ……俺はあんたみたいにひと晩かぎりってのはやらないんだよ。あんたが初めてで……!」
「えッ、初めて⁉」
「いやッそれは初めてじゃない……!」
ジスの挑発によって余計な告白までさせられたシュタークは、羞恥に顔を真っ赤に染めている。
反対にジスは呆気にとられてシュタークを見返していた。
「――――何が気に入ったんだ……? 俺なんてごく普通の……」
「そんなの俺にも分からないけどな、なんか良いって思えたんだよ。あんたは強引で不躾で結構失礼だったけど、それが全然嫌じゃなかったんだ。あんたが突拍子もない事を言い出しても『次は何を言うんだろう』って、むしろワクワクするような気持ちになったっていうか――つまり、あんたと一緒にいるの、楽しかったんだよ」
「へ、へえぇ……?」
ごく普通の顔……と続けようとしたのを遮って熱弁され、ジスは複雑そうに相槌を打った。むしろ容姿は全く問題にされていなかった。ジスの内面というか、行動の事しかシュタークは頭に無いようだ。
「強引で不躾で結構失礼……ッ、ってひどくね?」
「いやいやいや、だってあんた俺に一番最初に何言ったか覚えているか? 『昔飼ってた犬と似た耳だ』って言ったんだぞ?」
「お、おう……言われてみれば似てるなっ」
「違うだろそういう時は普通謝るモンだろ。……まあそういう所がなんか……あー……良く分かんないけど良いって思えるんだよ……かわいい感じがしてさ」
「――蓼食う虫も好き好きッ⁉」
「それだ‼」
シュタークに力一杯肯定されて、ジスはぶすりと顔を歪ませた。
「なんなんだよぉ……! 俺もお前の事好きだけど――……お前は俺の事なんとも思ってないって思ってたから、好かれてるらしいのは嬉しいけどッなーんか素直に喜べない告白しやがってくそったれ!」
悪態をつきつつも、ジスは頬を紅潮させている。
「あ、あんたも俺の事が好き……?」
悪態の中から都合の良い所だけを拾い上げるシュターク。ジスはむすっとしたまま頷いた。
「好きじゃなきゃ最後に一回、なんてお誘いかけねーよバーカ!」
「いやでもあんた誰とでも寝るって言っていたから……」
自信なさげに耳を伏せたシュタークにそう言われて、ジスは息を詰めた。痛恨の一撃だった。シュタークはシュタークで、ジスの気持ちを測りかねていたのだろう。
「――もう既にお前は『誰とでも』の範疇に入らねえよ」
ようやく腕組みを解いたジスは、首をめぐらせてそろりとシュタークに向き直る。
その動作に反応しシュタークは、ジスの言葉を聞き漏らすまいとするように耳をぴんと伸ばした。
「……お前だから寝たかったんだ」
「もうひと声」
決死の思いで絞り出した告白に、先程自分が言った言葉をやり返され、ジスはショックを受ける。そしてやけくそ気味に叫んだ。
「お前が好きだから、お前とだけ寝たいんだ! 誰とでもなんてもう寝ねぇよ!」
拳を握っての渾身の告白に、シュタークは彼らしからぬ満面の笑みを浮かべた。晴れ晴れとして明け透けな、彼の喜びが素直に表れたまばゆい笑みに、ジスは目を奪われる。
だがそれも一瞬の事で。
「よし。じゃあ寝よう」
と叫ぶや否や抱き上げて来たシュタークに、ジスは悲鳴をあげる羽目に陥った。
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