【-5-】

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【-5-】

 明くる日宿を発った二人は再び市場に赴いて、王都を目指す隊商と交渉を持ち、その群れに合流した。幾何かの金は支払ったが、安全が買えるなら安いものである。  隊商の中ほどを歩かせて貰えることになったのだが、その間もずっとシュタークは気を張っていた。今までジスの手など握ったこともなかったのに、襲われて以来ずっと握っている。それは宿の中でもそうで、食堂の行き帰りでも握っていたのだった。  過剰なほど過保護というか。ジスはかなり困惑している。 「いい年したおっさんが手を引かれてるとか恥ずかしいだろ? 離せよ」 「あんたはおっさんには見えないがな。俺は護送対象を守っているだけだから恥ずかしくない」 「何言ってんだ俺もう30手前だぞ」 「28だって言ってたろ。俺より二つ上なだけだ――でもあんたが30になった所で、おっさんには見えないと思うけど」  そう言って高い所から見おろされたので、ジスは真っ赤になって怒った。 「背が低いからって馬鹿にしてんだな⁉ 背だけで子ども扱いすんな!」  シュタークは呆れたように溜め息を付く。 「ほら、喋るのに夢中で歩くのが遅くなっているぞ。そういう所が子どもなんじゃないか」  ぐいと手を引かれて引き寄せられ、肩がくっつくほどの距離に戻される。 「護送対象だからってこの距離感はおかしいって――」  ジスの訴えが聞き入れられることはなく、二人は手を繋いだままその日一日を歩き切った。  その夜は野宿だったが、隊商の大きなテントに入り護衛の傭兵も多くいて、安全なものだった。そして何事もなく一夜が明けて――昨日と同じように手を繋いで歩いた二人が王都の門をくぐったのは、夕方近くの事だった。  宵といってもいい時刻にたどり着いた二人を、獣兎神の神殿は温かく迎え入れた。  ジスは久々の神子さまだと熱烈に歓迎された。シュタークの方も、他の獣神の神子さまが訪れるのは大変に珍しいと歓迎され、まずはおくつろぎ下さいと大浴場に通される。  彩色タイルの貼られた広い湯殿の天井には魔法陣が張り巡らされ、その軌跡がきらきらと光を発していた。 「ぅお……」  こんな豪華な風呂で寛げるか、とジスは内心悪態をつく。だが湯船につかりはじめて五分もすると、その心地よさに全身を弛緩させていた。緩んだ頬も上気して、大変気持ちよさそうである。 「もー、俺もうここに住みたい。兎の神子じゃなくて風呂の神子になる」 「何言ってんだ」 「だってどうせ出られないなら風呂でいいだろ。気持ちいい所にいたいじゃんか」  広い湯船だというのに並んで座った二人は軽口を交わす。無事に目的地にたどり着いたからか、暖かな湯の効果なのか、シュタークの緊張もほどけたようだ。  それを横目で見て取ったジスは、おそるおそる口を開く。 「無事に連れてきてくれて、ありがとな」  見納めかと思えばどんな景色も離れがたかったし、これで研ぎおさめかと思えば誰のどの農具も愛おしく感じられた。そのせいで随分と遠回りをさせてしまった。 「ちょっとヒヤッとした場面もあったがな」  二人は宿場町を出てすぐに街道をそれ、辺境の村や町を訪ね歩いた。なので〝旅をするうさぎ神子〟は人目に立にちくく、あの街に入って初めて存在が露見したのだろう。 「まあ、それはいいだろ。無事だったんだし。――で、お前はこの後どうするんだ? またどこかに旅立つのか?」 「……まだはっきりとは決まっていない。多分しばらくはこの街にいると思う」  なんでもきっぱりとしているシュタークにしては歯切れの悪い返答だった。 「いるんだ」  けれど同じ街にシュタークが居るというその事が心を和ませる。 「そしたらたまには会いに来てくれるか――? もしも面会が可能ならだけどさ」  ごく普通の、親しい相手にするような何気ない問いかけのつもりだった。シュタークはずっと面倒見がよく優しかったから、ジスは思い上がっていたのかもしれない。  シュタークはジスの方を見ないままそっと耳を伏せ、 「どうなるんだろうな」  とだけ答えたのだった。  風呂と食事を終えた後はシュタークとは別行動になった。  神官達と同じような白くたっぷりとした襞飾りの多い服を着せられて、神官長と面会をさせられる。ジスが神官というものに抱いていたイメージとはかなり違う、体格も風采も優れた白髭の立派な老人だった。柔和に微笑む神官長から獣兎神の神子としてうやうやしい挨拶を受けたのちに、ジス付の神官となる者と引き合わされた。  これまた、立派な体格の青年である。  ハルタという若い神官は、神官長の立ち会いの元、ジスの今後の身の振り方を説明してくれた。  曰く――。 『神殿は出入り自由です。身の安全が保証されているなら出て行っても構わないこと』 『神殿にいる間は、神子の身柄は何を置いても守り抜くこと』 『神子といえど遊んで暮らせる訳ではなく、神官と同じように働いてもらうこと』 『神子の意に染まぬ婚姻や受胎の強要は行わないこと』 『市井の者と結婚して神殿内で暮らす神子もいる。独身の神子に王族や貴族から縁談が寄せられることもあるが、あくまでも神子の意志を尊重する。縁があって他国に嫁いだ神子もいる』  などであった。 「兎だなんて馬鹿にされることもありますが、我々は神子を守り抜く為にかなりの武闘集団なんですよ」  と笑うハルタもその後ろで悠然と構えている神官長も、確かにいい体格をしている。筋肉みなぎる二人の上腕を見比べて、ジスはシュタークを思った――どっちが強いんだろう、と。 「俺、旅の農耕具研ぎ師なんですけど、需要ありますか?」  ひとまず筋肉は置いておいてそう言ったジスに、神官長もハルタも頬をほころばせて頷いた。 「勿論です。神殿内でも農作物を作っておりまして、かなりの広さの畑があります」  まあ取り敢えず、詳しい話はその都度、と言うことでジスは神官長の部屋を辞す。  ハルタが次に案内したのは、神子達の居住棟だった。礼拝堂と中庭を隔てて面した建物で、神殿の中央付近に位置する。現在は三人の神子が住まい、ジスは四人目ということだった。 「もう夜も遅いので明日。ジス様のお部屋はこちらになります」  ハルタが部屋の扉を恭しく開ける。礼を言って進んだ先は魔術印で照らされた広い部屋で、ソファには何故かシュタークが腰掛けていた。 「え、同じ部屋?」  驚いて足を止めたジスの背後で、静かに扉が閉ざされる。  あっという間に二人きりにされた空間に、ジスは戸惑った。 「いいや。俺の部屋もちゃんと用意されている。きちんと話をしようと思って、待たせてもらっていただけだ」 「話――ああ、仕事の報酬とかそういう事か」  シュタークの座るソファの前にはローテーブルを挟んでもう一つソファがあり、その足元にジスの荷物が横たえられていた。 「まあ、それもあるが」  ジスはしゃがみこんで荷物を漁ると、その奥底から小さな革袋を取り出した。 「ええとな……、お前への報酬、俺の手持ちの現金じゃ足らなくて。だから現物支給でどうだ? 換金すれば釣りが出るくらいだと思うんだが、まあ釣りごと貰っといてくれたらいいや」  シュタークに見えるように手のひらを突き出したジスは、そこに革袋の中身をあける。茶色い革袋からころりと転がり出て来たのは、透明で素晴らしく輝く石の嵌め込まれた指輪だった。石の大きさはシュタークの親指ほどもあり、石を取り囲む金の土台には細やかな装飾が施され、そこにも小さいが色とりどりの石が嵌め込まれていた。  見るからに、貴族の――それも上位貴族、もしくは王族の持ち物だと分かる。間違っても庶民が手に入れられるようなものではない。  思いがけない宝飾品の出現にシュタークは目を瞠り、息を飲む。 「あんたそれどうしたんだ」 「親の遺品。親父とお袋がまだ若い頃に、やんごとなき貴族のご令嬢を助けた事があったんだと。それで礼に貰ったとか。困った時の神頼み的にとっておいたんだが、今まで困らなかった幸運な家族なんだなあ俺たち」  父も母も長患いする間もなく旅空にぽくっと逝ってしまったので、出番がなかったというのが実際でもある。  また単なる庶民のジスには、これを適正に安全に換金する当てもなかったのだ。だが世慣れた傭兵のシュタークならばそうした伝手もあるに違いない。 「はい。ここまでありがとな。シュターク」  ジスは微笑んで、それをシュタークに差し出した。 「必要ない」  首を振って受け取ろうとしないシュターク。ジスはやむなく、ローテーブルに指輪を置く。そしておもねるようにシュタークを見つめた。 「……多すぎるのが気に入らないならさ、お前を俺に一晩売ってくれないか?」  指輪に当てられていたシュタークの視線が、ぎょっとしたようにジスへと向けられる。その灰色の瞳に映るジスは、淡い微笑みを浮かべていた。
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