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【-8-】
旅の疲れもあったのか、はたまたあれから数度交わした情交のせいか、翌朝ジスが目を醒ましたのは太陽が高く昇ってからだった。
「おはよう」
覚醒して身じろげば、優しい声が掛けられる。シュタークの胸に額を押しつけて眠っていたジスは顔を上げた。
「おはよ」
シュタークはジスを引き上げ、同じ枕に並んで目線を合わせてくる。青みがかった灰色の瞳に優しく見つめられ、ジスは胸をどぎまぎさせた。
――相変わらずきれいな目と顔……。
なのにこんな男が、ジスの事を好きだというのだ。
全くもって信じられない話だ、と思うが、昨夜のやり取りが真実だったことは今のこの状況が証明している――つまり、お互い素っ裸で素足を絡ませながら同じベッドで寝ているこの状況だ。
「よく寝ていたな。身体は大丈夫か?」
「へ。うん。別になんとも」
旅慣れた身なので寝汚くはないが、やはり寝具がいいと睡魔の誘惑に打ち勝てず長く眠ってしまうようだ。
「そうか。中々目覚めないので心配した」
シュタークは目を細めながらジスを見つめ、うさみみや髪に触れてくる。そして何やら近づいて来る、と思ったら、額にキスをされた。驚きにびしっと固まるうちに、案外柔らかなその唇は両方の瞼にも落とされ、頬をかすめ、本来の目的地であろうジスの唇へと着地する。
――え、あの、ちょっと……。
なんかちょっと、甘ったらしすぎませんか……? これまでの素っ気なさとのギャップに戸惑うジスを置き去りに、シュタークはジスの耳をもてあそびはじめていた。触れると跳ねるのを面白がるように、くすぐって撫でつけてを繰り返している。
「ちょ、ちょっと、シュターク……?」
「ん?」
戸惑って名を呼べば、シュタークがジスの目を覗き込んでくる。その顔にはやはり優しさと、そしてジスを可愛くて堪らないと思っている様子がありありと浮かんでいて――ジスは盛大に照れた。
「うわ、あ……」
顔を真っ赤にして、シーツと掛け布の間に沈んでいくジス。
「ど、どうしたジス……」
「は、腹減った……」
これ以上の追撃を食らうより先に、ジスは必殺の一撃を繰り出した。取り敢えずコレを言えば――。
「じゃあ飯でも貰ってくるか」
そう。面倒見のいい世話焼きシュタークは、ジスの空腹をそのままにはしておけない性分なのだ。身繕いを整えて彼が出て行った後に、ジスもこそこそとベッドを降りる。
シュタークに似合うと言われた神子服だが、飾り襞の作り方も着方もよく分からなかった為、居間に転がしていた自分の荷物から普段着を取り出した。そして寝室に戻り、やたらと豪華なカーテンの扱いに四苦八苦しながら寝室に明かりを取り入れ、換気の為に窓を開ける。
そうするうちに隣の居間にシュタークの戻る気配があった。
「飯、貰ってきたぞ」
シュタークの後ろには少年神官の姿があって、ワゴンを押している。
「ありがとう」
テーブルに配膳してくれる少年に礼を言うと、
「いえ。お目覚めになった事を伝えましたので、後ほどハルタ神官が参ります」
少年はきらきらした敬愛の眼差しをジスに向けて去って行った。
用意された食事は朝昼兼用なのか、たっぷりと量があり、焼いてソースを絡めた肉なども用意されていた。
まずスープを飲んで空腹の胃を温めながら、ジスは向かいに座るシュタークに目をやる。
「あのさあ、結局俺たちって『恋人同士』になった、って事でいいのか?」
「ああ」
頷くシュタークは頬を綻ばせている。旅の間には見られなかった幼げな仕草にときめいたジスは、思わずかわいいと呟きかけて、慌ててスープを飲み込んだ。
「えっと、じゃあどうなるんだ? 俺はここに住まなくちゃだけど――お前はここに俺に会いに来てくれる……でいいのか?」
「兎神官達の返事次第だが。どんな都合で何処に行くことになっても、ここに帰ってくるよ」
帰ってくるという言葉を聞いて、温かなものがジスの胸に満ちる。
「うん。待ってる……待ってるよここで」
淋しさの波間に掲げられた、たった一つの灯火。そのようなまばゆいものになれた気がした。
ハルタが姿を見せたのは、二人の食事があらかた終わってからだった。
さっきの少年神官を伴って現れたハルタは彼に食器を引いて戻らせ、自分は慣れた手つきで食後のお茶をセッティングする。勧められるままに口にした茶は、さっぱりとした味がした。
「昨日シュターク様からお尋ねのあった件なのですが」
「守護魔法?」
首を傾げるジスに、ハルタは柔らかく微笑む。
「ええ。我ら兎の神官が神子様がたを守るために研究を重ね日々進化させ続けている魔法です。こちら当然門外不出でございましてね……兎の神官以外には教えられない規則となっております」
そう聞いて、ジスは耳をしおれさせた。
じゃあ、シュタークは守護魔法に変わる何かを求めて旅に出ることになるのか。
それはどのくらいの期間なのだろう? あてどなく旅をするのだろうか? それとも計画的に――たまには帰って来てくれるのだろうか。
ここに一人取り残されると思うと、払拭したはずの淋しさがまたひたりと胸に押し寄せる。
「嫌だシュターク……! 俺もう旅になんて出れなくてもいいから、ここに居てくれよ」
思わずそんな女々しい懇願を口に上らせてしまう。
待つと答えた舌の根も乾かぬうちに、である。己の失態に頬を染めるジス。恐る恐るシュタークの様子を確認すると、やはり困った様子で眉根を寄せていた。
――だって、俺の為……なんだもんな。俺が邪魔しちゃいけなかったよな。
「ごめん」
恥じ入ってうつむくジス。その頭上に落ちたのは、ハルタの忍び笑いだった。
「ふふ。ですがね、兎の神子様を愛しているご身内の方には、お教えするにやぶさかではないんですよ」
ハルタの言葉に、ジスとシュタークはぱっと顔を見合わせる。ジスは単に驚いた風だったが、シュタークは次第に、驚愕を喜色へと染め上げて行き、最後には満面の笑みを浮かべた。
ハルタはそれを満足そうに見つめ、そのハルタに頷いたシュタークは、傍らに座るジスの手を握った。
「ジス、結婚しよう。生涯の伴侶になってくれ」
「え、え?」
ジスは突然の展開について行けずに目を白黒させている。
「え、でもそれって守護魔法の為――――」
「馬鹿。あんたの為の守護魔法なんだから、そこは拘っても意味ないだろうが」
「あ、そっか」
シュタークはジスの手の甲にうやうやしく唇を押し当てた。
「愛しているから支え守りたいんだ――あんたに最高の『保護』と『守護』を捧げたい」
そしてそう囁やきながら強い瞳で見つめられ、ジスは瞬間的に頬を赤く染め上げた。昨夜散々抱き合ったというのにシュタークのその眼は飢えた獣のようで――昨夜の己の痴態やシュタークの力強さを思い出さずには居られなかったのである。
「返事を」
呆気にとられているうちに、シュタークは返事を促してくる。もう一度手の甲に唇を押し当てられ、はっと我に返れば、次には濡れた舌先を肌に感じた。
「ひゃっ⁉」
早く答えなければもう一度舐めるぞ、というように、シュタークが上目遣いで見上げてくる。すでに真っ赤な頬を更に染め上げながら、ジスは唇をわななかせた。
「わ・わかった。シュタークと結婚する……!」
答えた途端に全身に衝撃が走った。ジスの手を離したシュタークが、起き上がりざまにジスを固く抱きしめたのだ。胸が潰れそうな程の強さの抱擁にジスはひくりと喉を詰まらせる。
「シュ、シュタ……」
「愛している」
プロポーズ、抱擁の次は告白である。昨夜からの急転直下の展開に、ジスは息切れがしそうだ。
「お、俺も愛してる……」
昨夜シュタークに一夜限りをねだった時には、こんな展開は思い描いてもいなかったのに。去って行くシュタークを見送りながら、己が腹を抱く未来しか想像していなかったというのに。
それがまさか、こんな幸福を手に入れるとは。
「俺もシュタークが大好きだ……!」
思いの丈を言葉にして、シュタークを抱きしめ返す。
そこへぱちぱちと、拍手の音が響いた。
「おめでとうございます! 結婚式は是非神殿で。楽しみですねー、兎の神子様の晴れ姿!」
「は・ハルタさん……」
すっかり存在を忘れていたハルタが、ローテーブルを挟んだ向かいで手を叩いている。
「そうか、結婚式か……」
ジスを抱きしめたままシュタークが感慨深げに呟いている。何やら危険を察知して、ジスはシュタークを見上げた。
「そ・そんなのしなくていいだろ⁉ 忘れてるかもしんないけど、俺三十手前のおっさんだぞ⁉ うさみみの生えたおっさんだぞ⁉ 晴れ姿とか、必要ないだろ……⁉」
ジスは必死で自分の姿の奇妙さを訴えた。でないと、シュタークは本当に結婚式を決行しそうな気がしたのだ。
――なんか俺が思っている以上にこいつ、俺のこと愛しちゃってないか……⁉
それは有難いのだが、この場合は諸刃の剣だ。愛とは時に暴走するものなのだから。
シュタークは腕の中のジスを見つめながら、強硬な態度の恋人をどう言いくるめようかと思案する様子である。
「いえいえ、きっととてもお似合いですよ。神子様の結婚式となれば、うちの服飾部の神官達もさぞかし腕が鳴ることでしょう……!」
「ハルタさん……!」
またしても存在を忘れられていたハルタ。何故か己が神の神子たるジスではなく、狼の神子であるシュタークの意に添う様子である。
「ふふ、狼の神子が『群れの保護』を地で行く家族をお作りになるのですねえ。大変素晴らしいことです。――時にお二方、昨日お求めになった避妊薬はちゃあんとご使用になられましたか? 兎の神子の受胎率は八割ですからね。受胎は計画的にお願いしますよ?」
(おわり)
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