お餅と神社とヤハタマル

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お餅と神社とヤハタマル

 赤い暖簾が見えた。  それだけで、米良(めら)楓華(ふうか)の足は少し速くなる。  愛らしさすらある小さな暖簾には、白い文字で「こやすもち」と書かれている。  漢字で書くと子安餅。安産祈願の神社である、宇美八幡宮(うみはちまんぐう)にある小さな甘味処、こやすもち。  そこが楓華の一番大好きな店だった。  世間の女子高生は、タピオカにはまっているようだが、楓華は小さな頃から一切ブレず、この子安餅が大好物だった。 023ec184-3f22-4410-a423-f3cc779b65ee 「ひとつください」  暖簾下の窓から、餅を焼く鉄板が見える。  店のおじさんに声をかけて、楓華は慣れた様子で注文した。  子安餅は、一個、一二〇円というお手頃な価格で食べることができる。高校生の楓華にとって、放課後の楽しみになるのは至極当然とも言えた。  楓華は、ほとんど毎日、ここで一つだけお餅を買って帰る。  一つだけしか注文しないことは、店員のおじさんも分かっている。だから、普通は白い紙袋に入れて渡すお餅を、ビニールで包んだだけの状態で直接手渡してきた。 「いつもありがとな、楓ちゃん」 「いつも美味しいよ、おじちゃん」  手のひらに乗る程度の小さな子安餅は、とても熱い。しかし、それだって楓華は慣れている。お店の前にあるベンチに腰掛け、さっそくビニールを剥くと、白い焼き餅がその熱を直に伝えてくる。  子安餅は、熱々の焼きたてであるため、ずっと手で持っていると熱くて堪らないが、その小さなサイズから、ほんの数口で食べ終わるので、熱さもあいまって、あっという間に頬張ってしまうのだ。  このサイズ感が絶妙で、あとひとつくらい食べられそう、と思ってしまう。  それを楓華はよく分かっているので、頑なに一つだけしか頼まない。 「おいしー」  ぱくりと、白い焼き餅にかじりつくと、中にある餡子の甘みと、焼きたて独特のパリっとした生地食感が楽しめる。  時間がたってから食べると、餅生地が柔らかくなった食感で、もちっとした食べ応えを楽しめるので、気分で変えたりしているのだが、基本的には焼きたてを食べるのが好きだ。  お店の中で餅を食べることもできるのだが、楓華は一つしか頼まないのに、お店の中で食べるのが申し訳ないという理由で、大抵店の外にあるベンチでひとつ、平らげる。  もうすぐ夏が終わる。秋がやってこようという時期だが、まだまだ気温は高く、熱い餅は季節外れかもしれない。  しかし、この福岡県にある宇美八幡宮は、いつも過ごしやすく涼やかな雰囲気に包まれていた。  それは境内にある大きな木が作る日陰のおかげだろうか。風に揺れる葉のざわめく音色のためだろうか。  パワースポットとしても有名であり、なにより、安産祈願のために訪れる参拝客が多い。  いつ来ても、赤ん坊を抱くお母さんや、マタニティマークをつけた女性を見ることができる。  そんな女性たちの表情はみんな幸せそうで、その雰囲気が楓華は大好きだった。  四口で食べ終わった楓華は、おじさんにご馳走様と挨拶してから、境内を抜けていく。  通学路の途中にあるので、ほとんど毎日通るこの神社は、楓華にとって小さな頃からある、生活の一部のような場所だ。  そんな神社の境内、本殿のそばに、ブロンズ製の馬の像がある。  楓華は慣れ親しんだ神社ではあるものの、そこまでこの神社のことに詳しいわけではないので、何を祀っているのかや、なぜ安産祈願の神社になったのかなんて、知らない。  大好きなのは、子安餅とこの馬の像だ。  なんとなく、この像が気に入っている楓華は、昔勝手に名前をつけていた。  八幡宮にある像なので、「ハッチ」。  朝、学校に向かう途中、「おはよう、ハッチ」と挨拶し、帰宅するときは「またね、ハッチ」と手を振った。  単なる馬の銅像なので、そんな様子を誰かに見られたら笑い話になるだろうが、なんとなく、そんな毎日が続いていた。  そう、なんとなく。なんとなくだが、このハッチが、自分の生活を守ってくれるかも、なんて妄想していた。  困ったときに動き出して助けてくれる、そんなちょっとした面白い空想をして楽しんだのだ。  自宅に帰ってから、家族と夕食を食べ、宿題を済ませたら、ネットやテレビを見て過ごす。お風呂に入って、布団に入ったら、あっという間に寝付く。  ごく普通の、高校生の女の子と変わらない生活をしていた。  そんなある日のことだ。  楓華は夢を見た。 「おい、楓華」 「……?」  楓華はきょとんと首をかしげた。  見知らぬ男性――というか、歳がそんなに離れていない少年といった風貌の彼が、機嫌悪そうにこちらを睨んでいた。 「どなたですか?」 「オレは、ヤハタマルだ」 「やはたまる?」  はてさて、聞いたことがない名前だ。顔をまじまじと見つめても、その少年の顔はまるで記憶にない。  完全に、初めましての相手だと思った。 「そうだ、ヤハタマルだ。しっかりと覚えとけよな」  ヤハタマルと名乗った少年は、綺麗な和装姿だった。普段の生活ではあまり見ることがない純和風のその姿は、どこか色気を感じさせる。  顔立ちも美麗であり、少年ながらにどこか神秘的ともいえる雰囲気を纏っている。  つんけんした態度ではあるが、瞳が穏やかな色を携えていて、楓華はなんとなくこの人はいい人かもしれないな、とのんきに考えていた。 「私は、米良楓華です。何のご用ですか?」 「べ、別に用ってわけじゃない。ちゃんと名前を覚えとけって言いたかっただけだ」 「分かりました。ヤハタマルくん」  素直にお辞儀する楓華に、ヤハタマルは満足したのか、にんまりと笑顔を作って、よしよしと頷いた。 「じゃあな、間違えんなよ!」 「うん、じゃあね」  不思議と、普通に会話をして、ヤハタマルは消えていく。  これが夢だと思ったからだろうか? 初めて会った奇妙な少年に、何の警戒心もなく、あっさりした会話をしてその夢は終わりを告げた。  ピピピ――。  スマートフォンのアラームが鳴っている。  楓華はううんと伸びをしてから、アラームを止める。  朝の七時。いつもの朝だ。 「ヤハタマル? ……なんだか、変な夢みたなぁ」  妙に存在感のある夢だったことと、はっきりと記憶に残っているその夢に、楓華はしばしパジャマ姿のまま、ぼんやりと物思いにふけった。  朝食を終えて、学校に行く準備を整えると、楓華は高校に向かった。  普段の朝の通学路。  その途中にある宇美八幡宮。  とても広い神社で、駐車場も何ヶ所かに分けて用意されている。初詣のときは大混雑で、夜店も並んだりして、そのときばかりは静かな神社も大賑わいだ。  他にも色々年間行事をやっているのを知っているが、今は静かなものだった。  朝の神社の気持ちよさは不思議と自分の中に活力を生む。  パワースポットと呼ばれているらしいけれど、それは本当なのかもしれない。  楓華の暮らす町は、宇美町と言う名前なのだが、それは『産み』から来ているらしく、この宇美八幡宮は安産、子宝祈願の神社としてそれなりに有名らしい。  場所としては、福岡にあるごく普通の町で、そんなにものすごいものがあるという場所ではない、というのが楓華の認識だ。  楓華は小学生になってから、福岡のこの町で暮らすようになったが、生活するのにはなんの不自由もない過ごしやすい町だった。  ともあれ、ここ宇美八幡宮は、自分にとっての憩いの場であるというのは、自信を持って言える。  境内にある大きな樹は幹が太くて、中に入って生活できるのはないかという楠の木で、あまりに大きいからなのか、これ一本でも『衣掛の森』と名称がつけられている。  確か、国から指定された天然記念物だったはずだ。  他にも大きな樹があり、樹齢は推定二千年ほどにもなるのだとか。  とにかく、その存在感は凄まじく、神聖な雰囲気を更に深めているように思う。  調べてみると、実はものすごいものばかりの神社なのだが、楓華にとっての関心が集まるものは、子安餅しかなかった。  とにかく、これが美味しくて、最高だったのだ。  福岡には、有名な太宰府天満宮がある。  こちらにも、名物として、梅ヶ枝餅というものがあるが、基本的には、子安餅はそれとほとんど同じものだ。  一時期、この子安餅こそ元祖で、梅ヶ枝餅が後から作られたんだと、店のおじちゃんは言っていたが、楓華は別に梅ヶ枝餅だろうが、子安餅だろうが、おじちゃんの餅が好きだよと言ったら、おじちゃんは「でっへっへ」と笑った。  そんな境内を進めば、いつもの馬の像が眼に入ってくる。 「おはよ、ハッチ」  そんな挨拶を、像の隣を進みながらする。  日課だ。  ほとんど自然に、身体に染みついた行動で、意識を使って発言しているわけじゃない。  そのまま、素通りして境内を抜け、学校への道に入っていく。そんな普段通りの朝――になるはずだった。 「おい待て」 「……?」  不意に声をかけられた。  男の声だったが、最近どこかで聞いた声だったと思って、楓華はきょろきょろと周囲を見回すが、どこにも人の気配がしない。  あるのは、馬の像。ハッチだけだ。 「名前、覚えろっていったよなぁ?」 「えっ? だれ?」  その声の出所を追いながら、楓華は、ハッチと目が合った。  銅像である馬のその目は、当然ながら意思なんて見えない。だが――。 「オレの名前は、ヤハタマルだって言っただろうが!」  怒声に、楓華は「あっ」と思い出して声を上げた。  今朝、夢で見た、あの少年のものだと、思い至った。  すると、馬の像から円が広がるように、奇妙な雰囲気が広がっていく。  九月の夏の朝、まだセミが鳴いていたはずなのに、その円の中に入ると、蝉の鳴き声が止まる。  そして、健やかな空気が、自分の周囲を取り巻いているような気がした。  とたん、強い風が吹いた。目を開けていられなくなって、楓華は瞼を閉じた。  バタバタと、強風でスカートが舞う。  強い風がやんで、そっと目を開くと、ハッチが消えていた。  そして、その代わり、そこには夢で会った、あの少年が腕組みをしてふんぞり返っていた。 「オレは、ハッチじゃねえ! ヤ・ハ・タ・マ・ル!」 「ハッチ……?」 「ヤハタマルだって言ってんだろっ! 覚えろいい加減!」  ヤハタマルは、つばを飛ばしかねない勢いで楓華にツッコミを入れる。 「どういうこと? 夢のつづき? わたし、もしかして、まだ起きてない?」  楓華は、もしこれが夢ならそろそろ起きないと学校に遅れそうで、慌てた。  その慌て方が、的外れだったので、ヤハタマルのほうががくりと肩を落としてしまう。 「……慌てるとこ、まちがってんぞ、お前」 「で、でも、ハッチ……じゃない、ヤハタマルくん? 夢に出てきたよね?」 「そうだ。そうでもしないと、お前に忠告できなかったからな」  自分はハッチじゃない。ヤハタマルだ。それを伝えるために、夢の中に登場したというのか。  楓華は、ぽかんとしてヤハタマルを見てから、ぺこっと頭を下げた。 「そっか、わざわざごめんなさい」  夢の中まで出てきてもらって注意されたのは生まれて初めてだ。そんな手間をかけさせてしまったことを、申し訳ないと、楓華は謝った。 「……謝るところも間違ってるぞ、お前」  呆れた声を出して、ヤハタマルは端正な顔にしわを作った。 「昔っからお前は、のほほんとしやがって」 「昔って……いつから?」 「お前がオレをハッチって呼び出してからだよ」  ふん、と鼻を鳴らしてヤハタマルは楓華の前に立った。  身長は百六十五センチほどだろうか。楓華より大きく、綺麗な眼が、見下ろしてくる。  服装は着物なのだが、どこか神秘的な雰囲気のある美しい出で立ちに、楓華は少しだけ見とれていた。  素直に、綺麗だと思ったのだ。  柔らかそうな髪は後ろでまとめられていて、下ろせば肩を覆うくらいまであるかもしれない。  馬の尾のように、一つにまとめた――まさにポニーテールの髪型は、少年に似合っていて、中性的な雰囲気もある。  黙っていたら、少女のようにも見えるが、とげとげしい態度から、彼が少年であることを雰囲気で纏わせている。 「ハッチって……私が小学生のときくらいだよ」 「そうだよ、それからオレはお前にいっつもハッチ、ハッチって呼ばれて、周りの神様たちからからかわれてばっかりだったんだぜ」 「でも、八幡宮だから……」 「八幡なら、他にも名前は思いつくだろ!」 「あっ、そっかぁ。それでヤハタマルなんだね!」  ぽん、と手を打った楓華は、なぜハッチがヤハタマルなのか合点がいった。  八幡は、ヤハタとも読める。  そんな発想は、小学校の頃の自分にはできなかっただろう。 「それ、自分で考えたの?」 「う゛っ……、そ、そうだよ」  素朴な疑問、という様子で純粋に訊ねる楓華に、ヤハタマルはばつが悪そうな顔浮かべる。 「これから、ハッチのこと、わたし、ヤハタマルくんって呼ばないとダメなの?」 「そうしろって言っただろ。こっちは住吉さんにからかわれて……」  スミヨシさん。その名を出したとき、不意にまた風が巻き起こるようだった。  気配がまた生まれる。  楓華は、風の先を追った。そこには、三人の男性が並んでいた――。
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