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そんな親父との記憶がよみがえったのはここ最近のことだ。
お互いにそれなりのポジションにもつき、仕事は順調そのもの。だからこそ、忙しさに伴い俺達はすれ違いの日々が続いていた。会話も減っていき、一緒に出かけるなんてこともなくなっていた。休日は疲れを取るためだけのものだった。先を見据えるならこんな状態がベストなわけがない。同棲が長いのも考えものだ。
「いいか響一。隣に立ってる彼女より月の方が綺麗に見えたら、それは別れ時だ」
思い出される親父の言葉。そのせいで、俺は最近月恐怖症だ。まったく。なんて遺言だよと愚痴も言いたくなる。
あと少しで店に着こうとした、その時。亜希の言葉は突然だった。
「響一、ちょっと見て! ほら、月がとっても綺麗!」
大通りのはるか頭上を指さしている亜希を見て、俺は震えた。なんでこのタイミングだ? せっかく下向いて歩いてたのに……。
「ほら、見てってば! なに? もしかしてスーパームーン?」
そのどっかで聞いたセリフはやめてくれ。
見たくはない。早く消えてくれ。でも、これからのことを考えるなら。
「ほら、ほら!」
亜希からの催促で、俺は覚悟を決めて顔を上げた。
亜希の指の先には、青みがかった銀色に輝く、まん丸のでっかい月があった。星も見えない夜空にある唯一無二の存在。
俺は圧倒された。それと同時に恐怖もつのる。
固まっている俺に、亜希の声が届く。
「綺麗よね」
聞き慣れた声のはずなのに、なぜかドキッとしてしまい、ひかれるように亜希の顔に目をやってしまった。
すると、俺の側には月より綺麗な亜希がいた。柔らかく降り注ぐ銀の光を受けて、見慣れているはずの顔がうっすらと輝いている。あらためて惚れなおす、いや、違うな。おかしな言い方だが、あらためてひとめぼれだ。これは。
「死んでもいい」
自然と出た俺の言葉に亜希は大笑いした。
「ちょっと、なにそれ? お前はどっかの文豪か! しかもセリフ逆じゃない?」
親父。どうやら俺の彼女はこんなに綺麗な月よりも綺麗だ。母さんの幸せそうな写真にも負けてないよ。俺、続けてもいいよな?
俺は亜希の右手を握った。手を繋ぐなんてどれくらいぶりだろうか。握った手から亜希のとまどいが伝わってくる。当然だ。俺だってとまどってる。
「行くぞ!」
勢い良く口に出し、ごまかすように亜希の手を引いて歩きはじめる。
急に元気になった俺を訝しながらも、亜希も歩みを俺に合わせてくる。
そして、握り返される手の感触を感じて、俺の靄は確信の風に流されて消えた。
「大丈夫」
小さく呟いた俺の手がまた握り返される。
「大丈夫」
亜希も小さく呟いた。
驚いて顔を向けると、ご自慢の切れ長の目尻を下げて、亜希が俺に微笑を向けていた。
俺は小さくも力強く頷いた。
了
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