第一章

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第一章

 それは、ぞっとするぐらい月の赤い日のことだった。  高校からの帰り道、月を見上げながら、雫石ひよりは歩いていた。  月が赤いのは、月蝕のせいだという。今朝のニュースでやっていた。  本当に真っ赤だ。 「……お姉は、今日は夜勤だっけ」  せっかくなら姉にも見てもらおうと、ケータイをポケットから取り出すと、空に向ける。小さなカメラじゃ、どこまで映るか心もとないけれども、少しでも。  かしゃり。  シャッター音とともに、僅かに視界がぶれた。目眩のような、地震のような。 「揺れた?」  小さく呟いて、辺りを見回す。地震ならば、周りの誰かが気づいたかもしれない。  辺りを見回して、息を飲んだ。 「……え?」  辺りには誰もいなかった。  駅に向かうこの道は、いつもならそれなりに人が居るのに。さっきまで周りには、多少人がいたのに。  いつの間に消えたの?  普段ならば偶然だと、笑ってすませるところだった。たまたま人並みが途切れることだってある。  だけれども、そのときはなんだか嫌な予感がしたのだ。  ざわりと、肌が粟立つ。  それはきっと、あの嫌に赤い月のせいだ。  このままそこに立ち止まるのが嫌で、早足で歩き出す。駅に向かって。  最初は早足で。  徐々に小走りで。  最終的には全速力で。  だっておかしいのだ。  いつまでたっても、駅にたどり着かない。すぐそこなのに。もうついてもいいはずなのに。  なぜだろう。  なんだか同じ道をずっと歩いている気がする。  半泣きになりながら、更に一歩踏み出したところを、 「きゃっ」  誰かに右手を掴まれた。  悲鳴をあげて足を止めると、そちらをみる。  どこから現れたのか。いつのまにか青年が一人現れて、ひよりの手を握っていた。  二十歳前後の長身の青年。黒い髪に黒い服。真っ黒な中で、右の睫毛だけが、なんだか真っ白だった。  それがぞっとする程、場違いに綺麗で、この人は人間じゃないのかもしれない、とひよりは思った。  だっておかしいじゃないか。誰もいないこんな変な場所に急にあらわれた、変な人。  咄嗟に手を振りほどこうとするのを、青年の力強い手が許さない。  なんだか泣きそうになるのを、 「大丈夫」  柔らかい声が押しとどめた。  青年の薄い唇が、小さく動く。 「迷い込んでしまったんだね」 「……何がっ」 「大丈夫」  もう一度言われた言葉に、抗議の声は飲み込まれる。  無条件に安心できるような、不思議な柔らかい声だった。 「落ち着いて。目を閉じて、深呼吸して」  その声に背中を押されて、言われるままに目を閉じると、深呼吸する。 「大丈夫。すぐに戻れるから」  目を閉じていると、また少し、揺れた気がした。 「目をあけて、大丈夫。帰り、気をつけて」  声がすぐ近くでして、目を開ける。 「……え?」  目を開けた時、あの青年の姿はなかった。  代わりに、辺りには駅に向かう人々の姿があった。呆然と立ち尽くすひよりを、不思議そうな顔で見ている。 「ひより? なにしてんのー」  声をかけられてそちらをみると、クラスメイトの真理が通りかかった。 「なぁに、間抜けな顔して」 「……ちょっと、目眩?」  かろうじて、それだけ口にした。 「えー、大丈夫?」 「大丈夫大丈夫」  真理に笑いかけてみせる。 「駅でしょ? 一緒に行こう」  それでもなんとなく一人になるのが嫌で、真理と一緒に歩き出す。  空を見上げる。月は赤い。  きっとあれは、夢だ。白昼夢だ。  自分にそう言い聞かせる。  じゃないと不自然なことが多過ぎる。  だけれども。  右手の手首を、左手でそっと握る。  握られていた右手には、まだ熱が残っていた。あの不思議な青年の、存外あたたかい掌の熱が。  最初は、赤い月の出ている日のことだった。 「しずくいっしさん! おっはよー!」  教室の後ろの扉から投げ込まれた言葉に、 「……おはよう」  ひよりは振り返ると苦笑した。 「あれ、なんかテンション低くない? 大丈夫」  なんて言いながら、碓井天真が柔らかなパーマがかかった明るい茶髪を、軽やかに踊らせながら、高いテンションではいってきた。 「お前のテンションが高過ぎんだよ」  面倒そうにつっこみながら、そのあとに天真の親友百瀬一貫が続く。 「普通だよ?」 「普通が高いんだって」  そんな会話をしながら、二人はそれぞれひよりの隣と、その後ろの席に着く。  礼楽高校一年一組、窓際の後ろから二番目、それがひよりの席だ。前回の席替えで隣になった天真は、無駄にテンションが高い。びっくりするぐらい高い。 「リーディングの課題、やった?」  こちらの顔を覗き込むようにしながら、天真が尋ねてくる。 「勿論」 「みせて」 「だーめ」  一限だからと出していたリーディングのノートを、そっと天真からは遠い方に動かす。 「そんなこと言わずに」 「一限なんだから間に合わないんだし、諦めなよ」  手を伸ばしてくる天真を避けようとしたら、 「うわっ」  机の上にあったひよりのペンケースを肘で落としてしまった。かっしゃんと音を立てて、色とりどりのペンが床を転がっていく。 「もー」 「ごめんごめん」  二人で散らばったペンを拾っていると、 「はい」  遠くまで転がってくれた分を拾ってくれた、白い手。 「卜部さん」  学校一の美少女、卜部月歩がピンク色のペンを持って、微笑んでいた。 「ありがとう」 「どういたしまして」  ひよりの手にペンを渡すと、月歩は自分の席に向かう。 「はー、相変わらず綺麗だねー」  天真がのんびりと呟いた。誰のせいでペンが転がったと思っているのか。 「ほんと」  でも、ひよりも同意見なので、ぼーっとその後ろ姿を見ながら頷いた。  眉上で揃えられた前髪。綺麗な黒髪は腰まであるが、顔の周りだけ顎のラインで揃えられている、いわゆる姫カット。  そんな絵に描いたような、漫画のような髪型が嫌味なく似合ってしまう。それは他の女子たちとは違うおしとやかな物腰とか、小さな唇とか、大きな黒い瞳とか。とにかく全てが「きれい」で表現される顔のパーツと、所作のおかげだろう。  高橋真琴が描く、かぐや姫みたいだと密かにひよりは思っている。  そうこうしていると、担任が教室に入ってきた。 「おー、いないやつだれだー」  適当な出欠確認が始まる。  それを聞きながら、ボールペンをしまうと、ひよりは窓の外に視線を移した。  軽く目を閉じると思い出すのは、あの赤い月と不思議な青年のこと。あれは、なんだったんだろうか。  結局あれは夢幻だったのではないかと思う程、毎日は平凡に流れて行っている。あれから、一週間が経ったけれども、ひよりの身に変わったことは起きていない。  夢だったのだろうか。  そう思う一方で、ふとした瞬間にあの日のことを思い出す。ひよりの心にそれだけ強く刻みこまれている。  もしも夢じゃないのならば、あの人にもう一度会いたい。なんだかよくわからないけれども、あの人が助けてくれたのは間違いないだろう。だからちゃんと、お礼が言いたい。  そう思いながら、自分の右手を左手で軽く触れた。  放課後、ひよりが帰る準備をしていると、 「雫石さん、帰宅部だっけ?」  天真が声をかけてくる。そういう彼は、サッカー部だ。 「うん」 「部活入らないの? 中学の時は、水泳部のエースだったって聞いたけど」  水泳の言葉に、一瞬心がざわりとする。ヤスリで撫でられたような、小さな痛み。それに気づかないふりをして、天真の言葉に曖昧に笑みを返す。 「高校はいいかなーって」 「そっかー、残念、すっごい速かったっていうから、見てみたかったのに」  天真が本当に残念そうに言うから、なんて言葉を返すか迷っていると、 「天真、先行くぞー」  同じくサッカー部の一貫が、教室の入り口で彼を呼ぶ。 「待って、今行くー。じゃあね、雫石さん。また明日」  話が終わったことにホッとしながら、笑顔で片手を振る。 「うん、また明日」  部活に消えていく天真と一貫を見送る。楽しそうに会話している。 「部活、かー」  うらやましくないと言ったら、嘘になる。でも、部活をする気はなかった。ましてや水泳なんて。 「帰ろ」  ため息をついて立ち上がると、スクールバックを肩にかけた。  のんびりと校門に向かって歩いていると、 「ひより! 帰るの?」  真理に声をかけられる。 「うん」 「あたしも、今日は部活休みだから帰るのー。途中まで一緒に行こう」  そのまま二人並んで歩き出す。 「そういえば、LINE見た?」 「ううん。なんかきてた?」  言いながら、カバンに入れたままのケータイを取り出す。確かに、クラスのグループLINEに何かきていた。 「校門のところに、めっちゃかっこいい人がいる……?」  テンション高そうな顔文字に装飾されたそれを読み上げる。 「そうそう、気にならない?」 「確かに」  わざわざグループにメッセージを送ってくるぐらいのイケメンがどんなものだか気になる。  などと話していると、校門が近づいてきた。  女子が何人か、校門の見える位置で固まってざわざわ話をしている。  見知らぬ影が、校門の横に立っていた。制服姿とは明らかに違うもの。 「うわっ、黒。葬式かよ」  真理が思わずつぶやくほど、その姿は黒い。上下とも真っ黒だ。見ようによっては、縁起が悪いかもしれない。  それにしても……、 「あの人って……」  黒い姿、あれは……。この前助けてくれた、謎の人? 「でも確かに、イケメンだね」 「そうだね」  適当に相槌を打ちながら、自然に足が速くなる。顔をちゃんと確認したい。あの時のあの人が実在するのならば。  そんなひよりの横を…… 「佑助さん!」  影が横切った。長い髪の毛が、宙を舞う。 「……卜部さん?」  月歩が小走りで、青年の元に駆け寄った。 「月」  呼ばれた青年が振り返る。わずかに微笑んだその顔は、やっぱりあの時の青年だった。右目だけまつげのあたりに違和感がある。 「来てくださんたんですね」  月歩の嬉しそうな顔。あんな顔、するんだ。それにちょっとびっくりする。月歩はクールなお姫様、というイメージだった。 「あれ、卜部さんのカレシ?」 「……さあ?」  真理の言葉に首をかしげる。そんなもの、こっちが聞きたかった。  二人はなんだか連れ立って歩いていく。すらりと長身の青年と、小柄で華奢な月歩。 「まあ、なんにせよ、美男美女でお似合いって感じね」 「……そうだね」  真理の言葉になんだかもやっとしたものを感じながらも、頷いた。  別にあの二人がお似合いだろうとなんだろうと、ひよりにはかけらも関係ないことではあるんだけれども。クラスメイトの月歩はもちろん、あの青年のこともよく知らないし。 「なんだかなー」  小さく呟いた。  真理とは駅で別れ、電車に乗る。  二駅先の自宅最寄駅に着いた。  今日はお姉、夜には帰ってくるんだっけな? 姉の予定を思い出しながら、夕飯の食材を買いにスーパーに向かおうとして、 「……あれ?」  いつものように角を曲がったところで、違った道にでたことに気づいた。  ぼんやりしすぎてしまったようだ。そんなにあの謎の青年と月歩のことを自分は気にしているのだろうか。  それにしても、こんな道あったっけ?  首をひねりながら、元来た道に戻ろうとして……、 「え?」  振り返ったその先に、自分が来たはずの曲がり角がなかった。 「やっ」  なにこれ、気持ち悪い。  肌が粟立つ。  ああ、これは、知っている気がする。  あの時、あの月喰の日、あの青年にあった日。紛れ込んでしまった、あの場所に、似ている気がする。  ざく、っと何か音がした。  足音のような、何か。  誰か、いるのだろうか?  それとも、何か?  恐る恐る振り返ると、 「ひっ」  遠くに、大きな影が見えた。三メートルはありそうな影が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。  ただの大きな影だが、こちらに視線を向けた、ような気がした。 「やっ」  とっさに逃げようとして、足がもつれて転ぶ。  必死に立ち上がろうとするが、思ったように動けない。  首だけで後ろを振り返ると、影が近づいてきていた。  ゆっくりだけど、着実に。  あれがなんだかわからないけど、あれに出くわして無事に済むとも思えない。  だれか……。  ぎゅっと目をつぶった時、 「動くな!」  斬りつけるような声がして、  だんっと、何かが目の前に落ちる音がした。  恐る恐る目をあけると、誰かが目の前に背を向けて立っていて、 「消えろ」  低くつぶやくと、右手に持った何かを振った。刀のような、何か。  次の瞬間、大きな影が崩れ落ちる。砂のようになり、消える。  一体、何が……。  怖いのとわけがわからないのとで、完全に動けなくなったひよりの目の前で、謎の人物が一つ、大きく息を吐く。  というか、この人、多分……。 「大丈夫ですか?」  ゆっくりと振り返ったその人物は、 「……君は」  怪訝そうに瞬きする、その右のまつげだけが真っ白で、 「この前の?」  現れたのは、あの青年だった。 「あ……」  見覚えがある人物に、少しだけ安心する。いや、もうこの人の身元もよく知らないし、絶賛怪しい人物なことには変わりがないんだけれども、それでも。  ぽろっと、右目から涙が溢れて、ひよりは慌てた。完全に無意識だった。 「やっ」  慌てて、拭おうとするけれども、涙はあとからあとから溢れてくる。  ああ、やっぱり、怖かったのだ。  頭のどこか冷静な部分でそう思う。  思わず両手で顔を覆うと、青年が困った気配が伝わってきた。  少しの間の後、衣摺れの音。 「怖かったね、もう大丈夫」  近づいた声に顔を上げると、青年が目の前にしゃがこみんでいた。どこか困ったように微笑みながら、軽く頭を撫でてくれる。  その手の平は、やっぱり暖かくて。少なくともこの人が生きていることを教えてくれて、それにまた安心した。  しばらく、そのままぐずぐす泣いていると、 「佑助さん!」  誰か女の人の声と、足音。  あれ、この声、聞いたことがあるような……。  ひよりが、とっさに制服の袖で目元を拭っていると、 「月」  青年が名前を呼ぶ。  さっき、どこかで、聞いたようなやりとり。 「大丈夫だった?」 「もちろんです。……そちらは?」 「迷い込んだみたいで」  言いながら、青年が立ち上がる。  青年の足越しに見えたのは、やっぱり月歩だった。 「あら、雫石さん」  街で買い物中にばったり出会ったかのような気安さで声をかけられる。 「……卜部さん」  こちらは呆然と名前を呼ぶしかないというのに、 「月、知り合い?」  青年が尋ねると、 「クラスメイトなんです」  月歩が頷く。  ああ、というか、ちゃんと自分を、月歩もクラスメイトを認識しているんだ。目立つ月歩からは、地味な自分のことなど視野に入っていないだろうと勝手に思っていたので、ちょっと驚いた。 「そうなんだ。この子、この前の月喰の時も迷い込んでて」 「そういえば、誰か助けたっておっしゃってましたもんね。雫石さん、変なスイッチでも入っちゃったかしら」  綺麗な眉を綺麗にひそめて、月歩が言う。  変なスイッチって、何……。 「そんな気がするよね。とりあえず、用も済んだし、ここからでようか」 「そうですね。雫石さん、立てます?」  目の前に歩いてきた月歩が、白い右手を差し出してくれるから、恐る恐る自分の手を重ねる。  月歩の白い手は、見た目どおり少しひんやりしていた。  手を借りて、立ち上がる。  まだちょっと足が震えている。 「スカート、直した方がいいですよ」  そっと月歩に耳打ちされて、慌てて汚れたうえに、少しまくれていたスカートの裾を整えた。  その間も、月歩は手をつないだまま。それにちょっと安心する。 「戻ろうか」 「はい」  青年の言葉に月歩が頷き、ひよりに、 「行きましょう」  小首を傾げ微笑むと、手をつないだまま歩き出した。なんだかよくわからないけれども、素直にそれについていく。  しばらく歩くと、駅前の知っている道に出た。そこでようやく月歩が手を離す。 「おつかれさま、月」 「佑助さんも。雫石さん、どうします?」 「とりあえず、両家に連れていくかな。旭、今日居たかなぁ」 「ああ、それがいいでしょうね」  二人がなんだか勝手に自分の処遇について話していくので、 「あの……」  恐る恐る声をかける。  綺麗な顔が揃ってこちらを見てきた。ちょっと怯む。 「あの、今のは……?」  ひよりの問いに、二人はちょっと顔を見合わせて、 「簡単に言うと、異世界みたいなものなんだけど」  青年の方が口火を切る。 「い、異世界……?」 「ええっと。どう説明したらいいかな?」  助けを求めるように青年が、月歩を見る。 「そうですね……。雫石さん、ゲームとか漫画とかで異世界物ってご覧になったことはあります?」 「一応は……。剣と魔法のファンタジー的な?  転生ものみたいな?」 「それです」  あっさりと断言された。しかし、こんなにすんなり断言するあたり、月歩もゲームとか漫画とか、見るんだろうか。 「この世ではない世界、魔物が住む世界、そう言ったものが世の中にはあるんです」 「そこの入り口は普段閉ざされていて、普通の人は入り込めないんだけれども……。どうやら君は、そこに紛れ込むくせがついてしまったみたいだね」  なに、その嫌なくせ……。  怪訝な気持ちが顔に出たのか、 「大丈夫」  ふっと青年が苦笑する・ 「たまにそういう人がいるんだけどね、そのくせをなくすことは簡単だから」 「はぁ」 「むしろ、雫石さんはラッキーでしたね。二回とも、たまたま佑助さんが近くにいて……。下手したら、戻ってこれなかったかもしれません」 「え、戻ってこれないとか、あるの?」 「ありますよ。それがいわゆる、神隠しです」  ああ、さっきからなんかすっごい電波なこと言われてる。 「とりあえず、今から、そのくせを無くす……うちでは閉じるって言っているんだけど、それをやろうかと思うんだけど……時間大丈夫?」  それを聞いて、慌ててケータイを取りだし時間を見る。 「……スーパーのタイムセールが」  もうすぐ終わってしまう。 「あらやだ、スーパーのタイムセールと、ご自分の命、どちらが大事なんですか?」  心底呆れたように、月歩が言う。 「まあ、いきなりこんなこと言われて戸惑う気持ちもわかるけど……」  青年も苦笑しながら、言葉を続ける。 「本当にどうしても急ぎじゃないなら、さっさと閉じた方がいいと思うよ。俺がいつでも、助けてあげられるわけじゃないから」  真剣な声色で言われる。  正直言って、何を言われているのか、全然わからない。月歩のことはかろうじてクラスメイトだけど……それでも、二人とも怪しいと思う。  でも、それ以上にまたあんな変な空間に入り込むのは困る。だってあれは、とても怖かったから。  ああ、多分、霊感商法とかってこういう風に不安を煽るんだろうな、なんて思う自分もいるし、とりあえず……。 「あの、」 「ん?」 「うち、お金ないんですけど……」  多分、そういうお祓い的なのって高いだろうし。  恐る恐る言うと、青年が少し固まり、それからふっと笑った。 「大丈夫、お金とらないから」 「でも」 「君みたいに、ふらっとあっちに入る人が増えると仕事が増えるからね。そのための対策だから、まあ、無料サービスだよ」 「はぁ……」  怪しいは、やっぱり怪しいよな。でも、背に腹は変えられない。 「あの、それじゃあ、よくわかんないけど、お願いします……?」  微妙に語尾を疑問系にしながら言うと、 「はい」  青年が微笑んで頷いた。 「そうそう、君の名前は? 俺は天神佑助」 「あ、雫石ひよりです」 「雫石さんだね。よろしく。とりあえず、うちまで来てもらえるかな? 五分ぐらいで着くけど」 「あ、はい」  頷くと、佑助が歩き出す。慌てて、そのあとをついていく。  月歩が佑助の隣に並んだ。 「月、仕事は終わったんだし、もう帰ってもいいよ?」  え、知っている人に帰られたら嫌なんだけど! 思わずひよりが口を挟みそうになったが、 「あら? わたしは帰っても構いませんけど、佑助さんがお一人で女の子連れて帰った、なんてなったら、両家のブラコン王子はどうなさるかしら?」  月歩が首を傾げる。長い黒髪が、さらりと揺れた。  ぐっと、佑助が言葉に詰まった。 「雫石さん、消し炭にされちゃうんじゃないかしら?」  消し炭って何!  佑助は困ったように顔を歪めると、ため息まじりに、 「……ごめん、撤回。一緒に来て」 「はい、もちろん」  うっとりするぐらい綺麗な笑みを浮かべて、月歩が頷いた。それから、不穏当な言葉に固まっているひよりの方を振り返ると、 「大丈夫、雫石さんのことはちゃんと守りますから」  守られるお姫様みたいなきれいな顔をして、微笑む。こんな美しい同級生に、守るなんてことできるのだろうか? 「はぁ……」  事態に圧倒されて、曖昧な言葉を返すしかないひよりとは大違いだ。 「先触れ、出しておきますね。おいで、葛根湯」  月歩がそう言うと、差し出した右手に変な茶色い、丸い芋みたいなものが現れる。  葛根湯? 風邪のときに飲むやつ? 「先に両家に行って、話を通しておいて頂戴」  月歩がそっと話かけると、その変な芋みたいなものに、にょきっと細い手足みたいなものが生える。まるで子供が描いた手足のように。  そのまま、ひゅんっと月歩の手から飛び降りると、どこかに消えていった。  な、なにあれ……。 「便利だよね」  しみじみと佑助がつぶやく。 「ケータイでメールを打つよりもよっぽどはやいですからね」 「……ケータイ、壊れたんだよね」 「またですか?」 「もう諦める」 「……まあ、体質ですしね」  ケータイ壊れる体質ってなに!  ひよりにはおおよそ理解できない会話をしながら、ずんずん歩いていく二人。慌てて追いかけながら、ああ、なんだかやばいものに関わってしまったかもしれないな、ということだけはひよりにもわかった。  しばらく歩いて、 「ここがうち」  と示された家は、ひよりの近所のお屋敷だった。そう、ただの一軒家というよりもお屋敷というのがぴったりの佇まいをしている。 「え、ここですか? 本当に?」  見るからに高そうな、洋風のそのお屋敷は、近所でも話題の家だった。いつも黒塗りの車が出入りするところしか見なかったけど、住んでいる人が本当にいるんだ。 「まあ、俺の家じゃないけど。居候だから」  などと言いながら、佑助が門のチャイムを押す。 「佑助です。戻りました」  彼がインターホンに話しかけてしばらくすると、ぎぃっと門が自動的に開いた。  すっごい、ハイテク! 我が家なんか、オートロックもついていないアパートなのに!  見上げるほど大きな門にひよりが場違いにも感動していると、 「置いて行きますよ?」  我がもの顔をして入っていく月歩に言われる。慌てて、そのあとを追った。 「ただいま戻りました」 「お邪魔します……」  佑助がドアをあけ、そのあとについていく。 「お帰りなさいませ、佑助様」  中年の女の人がゆったりと歩いてきて、告げる。 「ただいま戻りました、旭様と昇様は?」 「昇様が、お部屋にいらっしゃいます」 「わかりました。ありがとうございます」 「お客様もいらっしゃるようですし、ご案内します」 「いえ、大丈夫です」 「いいえ」  女の人が射抜くように、佑助を見る。ちょっと怖いぐらいの目つきで、口調こそ丁寧だが、この人の中に佑助を敬う気持ちは一ミリもなさそうだ。 「お客様をご案内しないようでは、わたくしが怒られますので」  女性と佑助の間に微妙な空気が流れ、ひよりは顔を動かすこともためらわれ、ただ目だけで二人を見比べるしかなくて、 「あらやだ、両家の使用人は卜部のことを疑うの?」  それを打ち破ったのは、月歩の言葉だった。 「月歩様……」  女性はそこで初めて、月歩がいることに気づいたらしい。困ったような顔をして、 「家人が不要だと言っているのに、頑なに案内を申し出るなんて、客人を監視するためとしか、わたしには思えないのだけど?」  一歩前にでて、月歩が冷たく告げる。 「そういうわけではありませんが……」 「なら退きなさい。不愉快です」  高貴なお姫様が、断罪するかのようにはっきりと告げる。 「しかし」 「ここは退きなさい。文句があるのならば、卜部が受け付けます。そう両家の宗主にお伝えして頂戴」  お姫様が言い切ると、 「……かしこまりました」  しぶしぶと、女性は引き下がった。  三人で歩き出す。  しかし、廊下すらもなんだか広い。 「ありがとう、月。助かった。でも、いいの? あんな言い方して……。卜部に迷惑がかかるんじゃ」 「どうせあの女の独断です」  つんと澄まして月歩が答える。 「両家のブラコン王子はもちろん、旭さんも、宗主も、佑助さんのことは受け入れているじゃないですか? 受け入れていないのは、宗家以外の人間です。わざわざ卜部に文句を言う度胸なんて、あるわけがありません。仮に言われたとしても、父はそんなことを意に介さないでしょう。そんなことより」  月歩は佑助の顔を見上げる。 「まだこんなに嫌がらせをされているんですか?」  不満げに歪められた眉に、佑助が一瞬気圧されたような顔をする。しかし、すぐに、 「たまにだよ」  なんでもないかのように微笑んだ。 「昔に比べたらなんでもない」 「そんな底辺みたいな過去と比べないでください。どうせ、佑助さんのことだから、食事に毒が入っていないだけマシ、みたいなしょうもないことをおっしゃるおつもりでしょう?」  しょ、食事に毒?  突然始まった物騒な会話に、ひよりは驚いて思わず足を止めてしまう。 「月」  それを見た佑助が、たしなめるように月歩を呼び、ひよりの方をちらりと見た。月歩もそれを見て何かを察したらしい。 「失礼しました」  さらに問い詰めようとしていた口を閉じる。  さしずめ、客人、あるいは部外者がいるところでする話ではない……ということだろうか? 「この話の続きはあとで」  月歩はそんなことを付け足したし。  またあとでその話をされるのが嫌なのか、佑助は露骨に顔を歪めた顔をした。  そのあとは三人とも黙って歩く。家、広いな……。  一室の前で足を止めると、佑助がドアをノックした。 「どうぞ」  中から男性の声がする。 「失礼します」  一声かけて、佑助が中に入る。 「おかえり、佑助」  佑助よりは年上だと思われるメガネの青年が、微笑んで出迎えた。立派な書斎机に向かい、本を読んでいたらしい。ぱたん、とその本を閉じる。  青年の横にいた、さっき月歩が出した芋みたいなのが、ぴょんっと月歩の方に飛んできた。 「葛根湯、ご苦労様」  月歩がそれをねぎらい、そっと頭を撫でると、その芋は消えた。  ちょっと何が起きているのかがわからなくて、頭がくらくらする。  あと、この部屋、個人の部屋なのだろうか? ひよりの家と同じぐらい広い気がするんだけど。いや、まあ、うち狭いですけどね。 「その子が?」 「そう、雫石ひよりさん。葛根湯から聞いたかもしれないけど、月のクラスメイトなんだって」  紹介されて、慌ててひよりは頭をさげる。 「雫石さん、こちらは両家昇さん。この家の宗主の息子さんで、これから君を助けてくれる人だよ」 「あ、よろしくお願いします」  もう一度頭をさげる。 「いや。仕事だから」  青年がどこかつまらなさそうに答える。やや事務的な印象の強い人だ。  それを黙って見ていた月歩が、 「ねぇ、昇さん」 「なんだい、月姫?」 「旭さんは、なんでいらっしゃいませんの?」 「俺じゃ不満なわけ?」  月歩の言葉に、青年の方が不満そうな顔をする。 「ええ、いささか。雫石さん、消し炭にされてしまうんじゃないかって心配で。一応、大事なクラスメイトなので」 「……月姫は俺のこと、なんだと思っているのかな?」 「あらいやだ、両家のブラコン王子以外の何者とも思っていませんわ」  くすくすと月歩が笑う。昇が顔をしかめる。ばちばちと、なんだか二人の間に見えない火花が見える。 「気にしないで。この二人はいつもこうだから」  そっと佑助が耳打ちしてくる。 「……変わった人しかいないんですか?」  思わずそう問い返すと、佑助はちょっとだけ面白そうに、それでいて困ったように笑った。 「否定しろよ、佑助」  しっかりとそれを聞いていた昇が不満そうに言う。 「あら、事実じゃないですか。ブラコン王子は確かに変人です」 「今の発言には、絶対月姫も含まれていたよ」 「ええ、わたしには普通という枠は狭すぎますから」 「よく言うよ」 「あのさ、話を進めていいかな?」  佑助の言葉に二人は黙る。 「閉じてあげて欲しいんだ」  ひよりのことを手で指し示す。 「ああ、そうだったな」  座って、とソファーを進められる。 「失礼します」  それに腰を下ろすと、昇が目の前に跪き、ひよりの顔を下から覗き込む。近い顔に一瞬びっくりする。 「おびえなくて大丈夫ですよ」  くすりと笑って、月歩が言う。それから、そっとひよりの耳元で、 「この人、女の人には興味ありませんから」  小さくつぶやく。  ……それはそれで、気になる発言なんですけど。  とか思っている間に、昇はひよりに、 「目を閉じて」 「……えっと」  このよくわからない状況で、無防備に目を閉じるのは勇気がいる。ちょっと怖くて戸惑うと、 「月姫」 「はいはい」  月歩が、ソファーの肘置き部分に腰掛け、ひよりの手を握った。さきほどと同じように、安心させるために。 「クラスメイトのことなら、少しは信用してくださるでしょう?」  おどけたように言われ、少し迷ったが頷くと、目を閉じた。 「失礼」  眉間にそっと、指先を当てられる。ほんのり熱を感じる。  なんだかぞわぞわする。  小さく、昇が何かを唱えている。  何が起きているのだろうか。目を開けたい気持ちと必死に戦う。指先が動いて、思わずびくっと肩を震わせると、月歩がなだめるように、ひよりの手の甲を撫でた。  しばらくそのままでいたあと、 「大丈夫、目を開けていいよ」  その言葉にゆっくりと目を開ける。昇はさっさと立ち上がっていた。ドライな人だ。  もういいですよね、と月歩が手を離す。 「あの……?」  何が起きたのかよくわからなくて問うと、 「これで、もう変なところにふらっと入り込むことはないから大丈夫」 「はぁ……」  何かが変わったという気もしないが。 「まあ、実感はないだろうけどね」  ひよりの気持ちに気づいたのか、昇が苦笑する。 「なんていえばいいかな……。さっきまでの君は、異界へとつながるドアへの鍵を持ったままだったんだ。異界への扉は、自動ドアで鍵を持った人間が近づくと、勝手に開いてしまう」 「自動ドアに鍵ってどういうことですか?」 「月姫、邪魔しないでくれるかな?」 「ETCだと思った方がいいと思うんですけど。搭載していれば、料金所で止まることなく、高速道路の料金所を通過できてしまう」 「そんな例えが思いついているなら、ここに来る前にこの子に説明してあげればよかったじゃないか」 「今思いついたんです」 「あの……」  先ほどのように軽くにらみ合う二人に思わず声をかけるが、ちょっとかすれた声しかでなかった。  それを見て、佑助がため息をつきながら、 「二人とも、どっちでもいいから話を進めてあげて」  その言葉に、二人は黙る。口喧嘩しないと喋れないのだろうか、この人たち。 「まあ、自動ドアでもETCでも、どっちでもいいんだけど……。君は、さっきまで異界に入れる鍵を持っていた。困ったことに、それは本人も気づかない。それを取り上げたんだ。だからもう、大丈夫」  昇がわずかに微笑む。 「ありがとうございます……?」  語尾がわずかに跳ね上がったのは、結局イマイチ何が起きているのかが把握できていないからだ。 「念のため、明日もう一回来てくれるかな? ちゃんと閉じられているか確認したいし。正直、こういうことは俺よりも、もう一人の方が得意だから」 「もう一人?」 「俺の双子のきょうだい」  ああ、さっきから名前だけは出ている、旭という人だろうか? 「詳しい説明も聞きたいなら明日ちゃんとするよ。今日はもう遅いから」  言いながら昇が壁に目を向ける。いつの間にか十九時になろうとしていた。  ああ、スーパーのタイムセール……。 「そうですね、おうちの方、大丈夫ですか?」  月歩の言葉に、 「あ、今、誰もいないと思うんで大丈夫。二十時ぐらいまでに帰れれば……」  大丈夫じゃないとしたら、 「夕飯の準備してないのは、あれだけど……」  家に何かちゃっと作れるような材料あったっけな? 「あら、お夕飯、雫石さんが作っていらっしゃるの?」 「うち、両親いなくて……。姉と二人だから」  言ってから、場の空気を悪くするかな? と思った。未だにこの話を、どういうテンションですればいいのか、よくわからない。 「そう。お料理作れるなんてすごいわね」  予想に反して、月歩は感心したようにそう言った。まさか、月歩に褒められることがあるとは思わなかった。 「月、苦手だからね、料理」 「そうなんですよね……」  ふぅっと月歩がため息をつく。なんでもそつなくこなせそうな顔をしているのに。茶道とか習ってそうなのに。 「フライパンを丸焦げにしたことがあるもんな」  ちょっとした事故じゃないですか、それ。 「あ、でも、今日はその……スーパーでお弁当でも買います」  普段なら買わないけど、たまにはいいだろう。この時間なら値下げされているだろうし。 「そっか。じゃあ、送っていくよ」  佑助が言う。 「え、でも」  申し訳なくて断ろうとしたが、 「もう大丈夫といっても、やっぱり心配じゃない?」  そう言われて、言葉に詰まる。確かに、また何かがあったら嫌だな、という気持ちがある。 「私も行きます」  月歩も立ち上がる。 「月、本当にそろそろ帰ってもいいんだよ?」 「あらいやだ」  そっと二人だけに囁くように、月歩が続ける。 「ブラコン王子が火でもつけそうな顔で睨んでいるのに、そんなこと言っていいんですか?」  佑助と一緒に、黙ったままの昇を見る。  入ってきた時と同じように、書斎机に戻って、座っているがどこか不機嫌そうな顔をしている。 「……うん、ごめん、月お願い」 「はい」  というか、さっきからブラコン王子、ブラコン王子って言われているけど、あの人何なんだろう?  「それじゃあ、昇。送ってくるから。月と一緒に」  後半部分をちょっと強調しながら告げると、 「ああ」  昇はちょっとまだ眉間にしわを寄せたまま頷いた。 「あの、ありがとうございました」  立ち上がり、頭をさげると、 「いや、仕事だから」  少しだけ昇が笑った。  よく考えたら、仕事仕事って言っているけど、それも一体何なんだろう?  気になるけれども、今はとりあえずお姉が帰ってくるまでに家に帰らないと。あんまり遅くなると心配をかけてしまう。洗濯物もまだ取り入れてないし。 「また明日、よろしくお願いします」 「うん、気をつけて」  告げて、両家をあとにする。 「スーパーって駅前の?」 「そうです」 「じゃあ、戻らないとだね」  言いながら、歩く。  そこからの道は特に何事もなかった。それに安心した。  スーパーに来たことがないのか、月歩のテンションが妙に高かったのがちょっと面白かったが。 「やだ、佑助さん、お弁当が二十パーセント引きですって! 三百円ですって! カニクリームコロッケですって!」 「月、ちょっと恥ずかしい」 「それ、美味しいよ。高いから値引きのときしか買わないけど……」 「本当ですの? 買おうかしら!」 「月、家でご飯用意されているんじゃないの?」  外野の二人のわいわいした声を聞きながら、自分の分と姉の分を買う。  しかし、今まですごくクールで近づきがたい人だと思っていたけど、卜部さんって面白い人だなぁ。  スーパーを出て、少し歩いたところで、 「すぐそこなので、ここで大丈夫です」 「そう? 家まで送るよ?」 「いえ、大丈夫です」  正直、あのお屋敷に住んでいる人に、自宅の古いアパートまで送ってもらうのがためらわれる。 「そっか。じゃあ気をつけて」 「はい」 「明日はちょっと時間かかるかもしれないから……、お姉さんに伝えておいた方がいいかも」 「あ、はい」 「それじゃあ、また明日」 「はい。ありがとうございました」  二人に頭を下げて、家に向かう。 「月、明日も付き合ってくれる?」 「いいですよ。心配ですものね、両家のブラコン王子」 「……月は本当、昇のこと嫌いだねぇ」  二人のそんな会話が聞こえてきて、ちょっと振り返る。  ひよりに背を向けて、二人並んで歩いているところだった。   やっぱりお似合いだな、とちょっと思う。  しかし、変な人たちだった。 「あ、やばい。お姉が帰ってくる」  何が起きているのか考えるのは後回しにして、家へと急いだ。  ひよりが立ち去りしばらくしたあと、佑助と月歩はゆっくりとその後を追いかけだした。 「尾行だなんて、趣味がいいとは言えないよね」 「仕方ありません」  小声でそっとそんなやりとりをする。  少し先を歩くひよりは、二人には気づいていないようだった。やや早足で進み、古いアパートの外階段をのぼりだす。 二階の一室で鍵をあけると、中に入った。  二人はそれを見届け、 「ああ、ほら、やっぱり」  月歩がため息をつく。  その部屋のドアに、へばりつくように、中の様子を伺うようにしている黒い影が数体いた。 「月、引き離せる?」  ドアに近づいて、ひよりに気付かれるのを恐れて佑助が問うと、 「おまかせを」  月歩は綺麗な笑顔で頷いた。 「おいで。冬虫夏草、高麗人参」  そっと自分の右手に呼びかけると、次の瞬間、彼女の眼の前に二匹の使い魔が現れる。その姿は植物の根っこのようだった。  月歩の使い魔は見た目と名付けのセンスが独特だよなーと、佑助は今日も思う。  その間に、自分は人払いの結界を張った。人通りは少ないが、これからやることを一般人に見咎められないように念のため。 「引き剥がしてらっしゃい」  月歩が命じると、二匹の根っこは妙な俊敏さで、ひよりの家のドアに向かう。そして、ドアにへばりついていた黒い影、悪霊をぐいっと強引にひっぺがし、肩に担いで荷物のように戻ってきた。  繊細そうな顔をして、月歩の使い魔の動きは豪快だ。  刀を用意して待っていた佑助は、使い魔が影を地面に乱暴に転がし、離れた隙に斬りつける。別段強い能力も持っていなかった影たちは、すぐに霧散し、消えた。  刀をしまうと、使い魔をねぎらい、元に戻した月歩に向き直る。 「やっぱりあの子、何かに呪われてるね」  急に何度も異界に片足を踏み込むのはおかしいと思って家までついてきたが、家も悪霊に囲まれていた。雑魚そうな霊ではあったがそこに何らかの悪意が働いているのは間違いないだろう。 「そうですね、困ったことですが」  ふぅと艶やかに月歩はため息をついた。 「普通の女子高生が一体何に呪われるのかしら」 「学校で何かあったりとかは?」 「クラスメイトとはいえ、別段話したこともないので。ただ、特に悪い噂を聞く子でもありませんね。誰かをいじめたり、などといったことはないかと思います」 「そっか」 「今日明日に彼女に何かが起きそうなわけでもなさそうですが、とりあえずおうちには結界張っときますね」 「うん、お願い」  霊を退ける結界を張る月歩の隣で、佑助は空を見上げた。 「厄介なことにならないといいけど」  小さく呟いた。
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