第三章

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第三章

「やっぱり、雫石さんには何かあるのか」  プールの一件があったあと、ひよりを家まで送り届けた月歩と、合流した佑助はことの顛末を聞き、ため息をついた。  なにかあるというのはわかっていたが、改めて事実として突きつけられると、なんだかうんざりしてしまう。 「ええ」  月歩は綺麗な顔を困ったように歪め、 「彼女が泳ぎだした瞬間に、強い恨みの念が動きだすのを感じました。今まではうっすらと存在していたものが、突然色濃くなったような」 「……まさか、例のご両親の声ってことは」 「それはありません。彼女の反応を見る限り、ご両親の声は良いものだったみたいですから」 「そっか、ならいいんだけど……」  安易に応援かもよ、などと言ってしまった手前、気にしていたのだ。恨み節ということはないだろうと思ってはいたが、万が一本当に恨みごとだった時に、ひよりに合わせる顔がないなと思って。 「泳ぐとか……。何か、部活絡みでありそうだね」 「そうですよね。旭さんにこの間、守護の術をかけていただいたので、今すぐどうこううはないとは思いますが」  二回目にひよりを両家に呼んだ時、閉じているかどうかを確認するついでに、妖に狙われないように旭に術をかけてもらっている。それがある限り、今すぐに彼女に危害が及ぶことはないはずだ。  とはいえ、それはあくまでも時間稼ぎにすぎない。もしも、呪いの主が本気を出したら、犯人を特定しているわけでもない、大雑把な守護の術は効かない可能性が高い。呪いの根源を把握し、対処することが必要不可欠だ。 「もう少し、探ってみようかと思いまして」 「俺も手伝うよ」  ここまで来て、自分だけ抜けるというわけにもいくまい。 「ありがとうございます」  それにしても、 「珍しいね、月がそんなに依頼人に肩入れするの」  クールに私情を入れずに、淡々と仕事をこなしていく。それが卜部月歩へのイメージだった。まあ、ひよりを依頼人と呼んでいいのかは難しいところだが。 「クラスメイトですし」  少し照れたように月歩が言う。 「それに、多分なんだかわかってないだけというか、いまいち実感が薄いだけだとは思うんですけど、あの子、わたしのことを怖がったり避けたりしなかったので……。ちょっと嬉しかったんです」 「ああ」  その感覚は少しだけわかった。  幽霊が見えるだの、お祓いだの、使い魔だの、そんなことを言っていたら気味悪く思われるのが普通だ。 「完全に拒絶されないなら、ちょっとぐらい助けたいなって。いえ、もちろん、仕事ですので拒絶されていても助けるのですが。なんというか、気持ち的に素直に助けたいなと思えるんです」 「そっか」  月は優しいね、と頭を撫でると、彼女はちょっと顔を赤くした。  同時に、うらやましいと思う。月歩はひよりに受け入れてもらえたと思っている。そんな感情がうらやましい。  自分はひよりに本当のことを話せていない。話す気もない。だから、ひよりに受けれてもらえたとは思えない。それに、万が一本当のことを話したら、ひよりに拒絶されるだろう。そう思うと、暗澹たる気分になった。  大きく息を吐いて、苦い気持ちを押し出す。  拒絶されるのは今に始まったことじゃない。月歩や昇、旭、両家の宗主など、一人握りでも受け入れてくれる人がいることが僥倖なのだ。自分のような立場の人間が、多くを望むものではない。  嫌われるのが、当然の報いなのだ。 「部活絡みなら、学校かな」  気を取り直して、話を続ける。 「そうですね。中学のときということも考えられますけど……、それが未だに発露もせず、尾を引いているとも考えにくいですし」  中学の時に何かがあったのならば、ひよりに対して呪いがもっと効力を発揮していてもおかしくないだろう。 「高校に入ってから何かあったと考えるのが妥当かな。部活断ったって言っていたし、それ絡みかもしれないね」  やたらと部活熱心な人間の、逆恨みという可能性も考えられる。 「ええ。ちょっと調べてみます」 「うん。俺もちょっと、行ってみようかな」  月歩とは見る視点が違うから、違う何かが見えるかもしれない。毎日通っている月歩が気づかない変化がわかるかもしれない。  つぶやくと、月歩がそうですね、と一つ頷いた。  両親のことは片付いたものの、月歩が言う謎の怪異とか、自分が抱く佑助のイメージと姉の発言の差異とか、よくわからないことはまだまだたくさん残っている。  それも自分では解決できない、ややっこしいものばかりだ。  そんなことを思って、ひよりは一つため息をついた。  チャイムが鳴ったのに、英語の先生はまだ来ない。こんな空いた時間には、ついつい余計なことを考えてしまう。 「雫石さん、どうしたのー? テンション低いじゃん」  天真に声をかけられて、 「んー、ちょっと考えることがいろいろあって」 「大変だねー。俺でよかったら相談にのるよ」 「ありがとう」  こんなオカルティックなこと、気軽に誰かに相談できないけれども、その気持ちが嬉しい。 「あ、でも」  そのものズバリを言うことはできないし、信じてももらえないだろうが、こういう聞き方なら相談してもいいかもしれない。 「あのさ、友達から聞いた評判と、自分がその人に感じるイメージが違ったらどうする? 友達が悪く言ってたっていうか、悪い噂が聞こえてきたみたいな感じで」 「んー?」  いざ口にすると、さすがに迂遠になりすぎてしまった。天真はちょっと眉根を寄せてひよりの言葉を飲み込むと、 「俺は基本的に、自分が見聞きしたものを信じたいかな。でも、友達のことも信じたいし……」  天真はしばらく考えていたが、 「うん、とりあえず本人に聞くかも。噂って本当かって」 「え、聞いちゃうの?」  あまりにも直球すぎる解決方法に驚く。 「うん」 「万が一、本当だって言われたらどうするの?」  そう聞きながら、ああ自分は、お姉の話を信じたくないんだな、と感じた。本当だなんて、言われたくないのだ。 「そしたら、それはそれでまた悩めばいいんじゃないかな。悪い噂が本当だとして、それでもその人と付き合いを続けたいなら続ければいいし、怖いならやめればいいし。でも、知らないと判断できないじゃん」  その答えはとてもまっすぐなものだな、と思った。とても天真らしい。 「相手が素直に答えなかったら?」 「それはまたそれで、判断材料じゃない? 嘘つかれたかどうかって、なんとなくわかるし。仮にわからなかったとしても、こっちが噂を知ってるってなって、気まずかったら向こうから距離をとるだろうし。わからないことをもやもやと抱え続ける方が、よくないと思うな」  抽象的な問いに、思ったよりも真面目に答えてもらえた。 「そっか」  小さくつぶやく。  やっぱり相談してみてよかったかもしれない。自分一人で考えていたら、やっぱり本人に聞いてみるなんて思いつかなかった。  いや、思いついたとしても、勇気が出ずに気づかなかったふりをしたかもしれない。 「ありがとう。参考にする」  それでも、天真の前向きすぎる意見は、ひよりの心に突き刺さった。そうだ、何事も、知らなければ話は進まないのだ。このまま一人で悶々としているのが、ひよりにとっては一番嫌なことなのだから。 「どういたしまして」  お礼を言うと、天真は微笑んだ。  タイミングよく、慌てた様子で遅れていた教師が教室に入ってきた。  しかし、佑助に実際に訊いてみるにしても、連絡先を知らないし……。  月歩に仲介を頼むという手もあるが、許嫁だの釘をさされたような現状では、いまひとつ頼みにくいところがある。  そう思ったひよりは、放課後、両家の家の近くまで来ていた。まあ、実際自分の家も近くだし。  とはいえ、あの使用人とかいう女の人怖かったし、昇に消し炭にされたくないし、どうしようかな、うまいこと佑助さん通らないかな、旭さんでも取り次いでくれそうだな、とウロウロしていると、 「何かご用ですか」  背後から声をかけられ、びくっとする。  振り返ると、あの使用人とかいう女の人だった。 「あ、や……」  曖昧な笑みを浮かべる。  何気に一番会いたくない人に会ってしまった。 「以前、佑助様と一緒にいらしていた方ですよね?」  が、そんなの気にもせず、女性はぐいぐい話しかけてくる。 「あ、はい……」  仕方なくうなずくと、 「ちょうどよかった。あなたに忠告しようと思っていたんです」 「え?」  忠告? この人が、私に? 正直、なんの関係性もない間柄なのに? 「天神佑助は悪魔の子です。近づくのはやめなさい」 「……悪魔の子って」  小春も同じようなことを言っていたが。そしてそれを確認しにきたのだが、まさかこの人から、キーワードが飛び出すなんて。 「あいつの右目には悪魔が住んでいます。見ればわかるでしょう? 明らかに人と違うことが」 「まあ、確かにまつげ白いですけど……」  そんなミニマムな部分で人と違う、見ればわかるでしょう? と言われてもなーと思う。  悪魔というからには、ツノが生えてるとか、牙が生えてるとか、そういうそれっぽい記号が欲しいところだ。ゲームなんかを思い出しながら、そんなことを考える。  ひよりの思考など放置して、女の言葉は徐々に早口になっていく。興奮したように、それこそ何かに取り憑かれたように。 「あの右目に住む悪魔のせいで、あいつは実の親に捨てられ、その腹いせに親を呪い殺し、不幸な少年の皮を被って両家に入り込み、生き続けているのです。両家は、火の精霊のご加護を受けた由緒正しき家系。そんな中に入り込み、あの悪魔はのうのうと生き続けているのです」  女性がぐいっと迫ってくる。目が血走ってて、今一番怖いのは話の内容よりもこの人だ。思わず後ずさるが、その分女性も迫ってくる。 「旦那様も、昇様も、旭様も、騙されているんです。あの悪魔に。あんなに可愛がって……悪魔の子だというのに」 「でも……」  彼らが佑助に向けている感情は、まあちょっと変かなとは思うけど、本物の愛情に見えた。思わず反論しようとするが、女性はそれを許さない。 「卜部のご子息を、あんな目に遭わせたのもあいつなのに」 「え……?」  その言葉に、出かかっていた反論の言葉を飲み込む。  小春から聞いた話を思い出す。佑助と仲が良かった卜部という人が、意識不明のまま今でも目覚めないという。 「卜部って……」 「月歩様のお兄様の、進様です。あいつの、あの悪魔のせいで、意識不明のまま、目が覚めません」  小春が不思議がっていた。そんな意識不明になるほどのことじゃないのに、と。それは、悪魔のせいだから、現代医学とは違う働きをしたということなのだろうか?  ああ、そしてやっぱり、月歩の兄なのか。 「卜部のご当主も、なぜかあの悪魔のことを許しています。ご自慢のご子息があんな目に遭われたのに!」 「じゃあ、それは佑助さんのせいじゃないんじゃ……」 「きっと騙されているのです、あの悪魔に! 何らかの力を使って、権力を持つ当主に取り入っているのです」  そっとひよりが呟いた反論は、勢いの良い妄想にかき消された。結論ありきで話している人には、どんな説得も無意味だ。。 「私はずっと、悪魔から世界を救おうとしているのに。あいつはちっとも死なない。食事に毒を混ぜても、事故にみせかけようとしても、ちっとも!」  感情が高まったのか、女の声がいっそう、大きくなる。 「食事に、毒って……」  その言葉に、瞬間、心臓が跳ねた。  不穏当な言葉に、心臓がドキドキする。ここまでも穏当ではない言葉や、恐ろしい話は出ていた。  でも、それとは違う。食事に毒を入れるというのは、悪魔の子だのなんだのというファンタジーとは違う。ひよりが生きる現実と陸続きになった、まごうことなき、ただの悪意だ。  この人はそんなことをしたの?  そういえば、最初の日、月歩が何か言っていたっけ? 食事に毒を入れられた過去がどうとか。それは、比喩でなく、ただの事実だったのか。  悪魔という話は結局、意味がわからないし、小春が言っていたことが本当なのだとすると怖いし、しかしそれよりもこの女は気味が悪い。何せただの、殺人未遂犯の可能性があるのだから。  血走った目がこちらを見つめてくる。  ファンタジーじみた話よりも、今現在迫っている女性という危難からどう逃れようかと必死に考えていると、 「何をしているの?」  鋭い声が背後から飛んでくる。 「旭様!」  女性が慌てたように声をあげる。  振り返ると、旭が仁王立ちしていた。眉をきっと釣り上げて、この前見た笑顔とは違う。彼女は完全に怒っている顔をしていた。 「その子はあなたの客人では、ないわよね? どういう権限があって、その子に話掛けているのかしら?」 「いえ、わたくしは……」  さっきまであんなに勢いづいて話ていた女は、旭の登場で毒気を抜かれたらしい。目に見えておとなしくなっている。 「言い訳は今はしなくていいわ。このことは、父上に報告しておきます。あとで、父上に直接してちょうだい」 「それは、旭様」  途端に顔色を変える女に、 「退がって結構よ」  旭は冷たく言い放つ。  真っ青な顔のまま、それでもこれ以上旭に悪印象を抱かせてはならないと思ったのか、女は素直に家の中に入っていく。 「ひよりちゃんだっけ? 大丈夫?」  怒りを引っ込め、少し柔らかく微笑んだ旭の言葉に小さく頷く。 「あれになんか言われた?」 「……あの」  女に言われたことがまだ整理しきれていない。それでも、どうしても知りたい事実を旭に問いかけた。 「天神さんが、悪魔の子って……。そのせいで、卜部さんのお兄さんが意識不明って……。本当ですか?」  問いかけると、旭は眉根を寄せて、 「……本当よ」  ため息をつくかのように、言葉を吐き出した。 「そんなことをあれは話したの? なら、隠してもしかたないわね。それは、そのとおり。言ったでしょう?」  彼女は首をかしげると、続けた。 「マイノリティの集まりだって」 「……そうですか」  うまく処理ができない。  何を信じていいのかがわからない。というよりも、意味がよくわからない。今聞いた情報を整理しきれない。 「すみません、今日は、帰ります」  それだけかろうじて口にすると、逃げるようにそこを走り去った。  旭は走り去っていくひよりを追いかけようかと一歩踏み出しかけ、代わりに軽く眉をひそめると、指先をその背中に向ける。  ひよりの背後で、小さな火花がいくつかあがるが、幸いにも走っているひよりは気づかなかったようだ。  彼女の背後をうろうろしていた霊を燃やした旭は、一つため息をついた。 「まったく佑助は、一体何に首を突っ込んでるのかしらね?」 「雫石さんに、知られた?」  帰宅早々、玄関付近で待ち構えていた旭に捕まり、告げられた言葉に佑助は、心底ぎょっとした。  知られる覚悟はしていたが、まさか自分の知らないところで暴露されるとは夢にも思っていなかった。 「そう、……なんか、ごめんね。うちの人のせいで」  自室のソファーに座って、旭が困ったような顔をする。それを佑助は、いつかのようにラグに座って聞いていた。 「いや……。そっか」  なんて言えばいいのかが、よくわからない。  もちろん、こうなってしまったことを悲しむ気持ちはあるし、告げてしまった使用人を詰りたい気持ちもある。でもその一方で、仕方がないなと諦めている自分も強く存在していた。  両家の使用人や、分家の人間に自分が昔から快く思われていないのは知っていた。あたりまえだ。自分だって、気味が悪いと思っている。  この右目も、悪魔も。  生まれてすぐに、実の母親は佑助の右目が気味悪いといったそうだ。  何かの病気ではないか、どうにかして治らないか、と医者に詰め寄ったと聞いている。おそらくその時点では、右目は疎まれていても、佑助自身はまだ愛されていたのだろう。この右目がこの子の将来の妨げにならないように、と母が尽力したと聞いている。  しばらくして、佑助が泣くと怪奇現象が起きることが多くなった。  電気がちかちかするとか、写真たてが倒れるとか、どこからともなくバチバチと音がするとか、そういう典型的なポルターガイスト現象が。  度重なる怪奇現象と、育児疲れで、母親はどんどんノイローゼのようになっていった。それと同時に、佑助への愛情も目減りしていった。  泣いた佑助とそれに伴う怪奇現象に神経をすり減らし、母親は佑助に手をあげる。結果、子供の佑助はさらに泣きわめき、怪奇現象もさらに強くなっていく。そんな悪循環。  そしてエスカレートしていくなかで、落ちてきた蛍光灯で母は頬を切った。傷跡が残るほど深く、ざっくりと切れた。  いい加減に不気味に思った父親が、伝手を使って、手を尽くして、どうにかこうにか頼ったのが両家だ。  そこで自分の右目には、悪魔が住んでいることがわかった。どうしてそうなったのかは、わからないけれども。  両親は自分を手放して、両家に預けた。  それからしばらくして、両親が揃って突然死した。因果関係は明らかになっていないが、周りの人は自分の悪魔のせいだと思っているし、自分だってそう思っている。  自分に害をなす人間に、悪魔は危害を加える。  それは、自分を守ってくれているからとかではなく、ただ単に悪魔にとって不愉快な出来事だからだ。  両家で、悪魔を抑える方法を教わって、だいぶ平和に過ごせるようになったけれども、それでも周りから疎まれていることに変わりはない。最近では、目に見えた嫌がらせはされなくなったけれども。  それでも、不気味な存在なのは、怖いのは仕方がない。呪われた子供なのだから。由緒正しい両家の異分子なのだから。 「俺が悪いのは、事実だから」  そう言うと、旭は痛ましそうな顔をした。 「何度も言うけど、進のことはあんたのせいじゃないわよ」 「違うよ、俺のせいだ」  両家の人も、卜部の宗主ですら、佑助のせいではないというけれども、卜部進が未だに目を覚まさないのは自分のせいだ。  暴れはじめた、佑助の悪魔を封じようとして失敗したのだから。 「でも、旭。ありがとう。かばってくれて」 「……うん」  旭が困った顔をして頷く。 「雫石さんのことは、残念だけど……」  これでもうきっと、前みたいに話してくれることはないだろう。旭や月歩たち以外で、佑助と普通に話してくれる人はそんなにいなかった。そんな人との縁が切れてしまうのは、それはすごく残念だ。  でも、仕方ない。遅かれ早かれこうなることはわかっていたのだから。 「ひとまずは、彼女に迫っている怪異のことをどうにかするよ。それさえ片付けば、もう彼女には近づかないから」  願わくは、彼女が月歩まで一緒に嫌わないといいな。そう思いながら、佑助は微笑んでみせた。  強がっていると思ったのか、旭はやはりどこか痛ましそうな顔をする。まあ、強がりには違いないのだが。  だが、やがて諦めたようにふっと息を吐いた。  それから、姉の声と顔になって、忠告を始める。 「ねえ、ひよりちゃんのことだけど、調査するのはいいんだけれども、無茶はしたらダメよ?」 「わかってるよ」 「両家から人を出してもいいんだけど」 「俺が絡んでるってなったら、両家の人、嫌がるでしょ」  それは多分、卜部でも一緒だ。  協力するのをしぶるぐらいならば、まだマシだ。佑助の立場を悪くするために、わざと手を抜く可能性も考えられる。それはひよりにとってマイナスに働くから、避けなければならない。 「そうなのよね」  その事態ももちろん想定しているであろう旭は、陰鬱に一つ息を吐いた。 「私や昇だと、そんなに自由が効かないから、全面的に手伝ってあげられないし」  両家の宗主の子供達には、それに見合った仕事がある。こんな小さな事件に長時間かまけるわけにはいかない。それはわかってる。 「大丈夫、月も一緒だから」 「それが心配なのよ。月姫、結構豪快だから」  それは確かに。月というよりも、太陽と言うべき瞬間が多々ある。 「なんか他人事みたいな顔してるけど、あんたも月姫と一緒だと、ついつい暴走しがちなところあるんだからね。月姫に乗せられやすいの、自覚してる?」  きっと睨まれって、そっと視線をそらす。確かに、月歩に 「大丈夫です、行きましょう!」  と言われたら、ついつい一緒になって突っ込んでしまう節が自分にはある。月歩はなんというか人を乗せるのがうまいのだ。  そんな佑助に呆れたような視線を向けながら、 「とにかく、根源を見つけったらその段階でちゃんと一回こちらに相談しなさいね。あんたたち二人で無茶しないで」 「うん、わかってる」  両家に来た時から実の弟のように自分を可愛がってくれている旭は、いつまでも自分を小さな子供とらえている節がある。成人してるし、そろそろ一人前として扱ってくれてもいいんだけどな。そう思いながら佑助は頷いた。  頷いたのに、旭の視線はまだどこか疑うようなもので、ちょっとだけうんざりした。   翌日、放課後を見計らって、佑助は高校にやってきていた。  この学校の卒業生として、先生に会うという名目を作り、学校側には許可を取ってある。卒業生でよかったと、初めて思った。  来客用の入り口でスリッパに履き替えていると、 『佑ちゃん、久しぶりー!』  明るい声が降ってくる。上を見ると、制服を着た女子生徒の幽霊がにこやかに手をふっていた。 『ちっとも会いに来てくれないんだもん。さみしかったぁ!』 「あー。ごめん、蓮香」  小声で謝る。いわゆる学校の幽霊の蓮香は、佑助が高校生だった時にはすでに学校にいた。見えることがバレてから、いろいろ遊ばれ続けたのだ。  悪い幽霊ではないのだが、ちょっかいをかけてくるのがひたすら面倒だ。 『ううん、いいのよぉ、今日はゆっくりできるのよね?』 「いや……」 『んもう、わかってるわよー! お仕事でしょ? 佑ちゃんったら真面目なんだからー。まあそこが可愛いんだけどぉ』  見学するーと、背後をふよふよとついてくる蓮香を従えながら、階段を上がる。月歩の話では、月歩たちのクラスは一年三組だ。   「雫石さん?」  声をかけられて、ひよりは慌てて顔をあげた。天真が心配そうな顔をしてこちらを見ている。 「大丈夫? もう、SHR終わったけど」 「あ、うん」  誤魔化すように微笑む。  昨日、佑助のことについていろいろ考えていたら、寝不足だった。今もどうしたらいいのか答えがでずに、ぼーっとしてしまっていた。 「昨日のことで、なんかあったの?」 「うん、ちょっと」 「もしかして、俺余計なこと言っちゃった?」  天真が困ったような顔をする。 「え、違うよ、そんなことないよ」  慌てて否定する。  確かに、天真が言うとおりに動いた結果、佑助のことを知ることになった。だけど、それは天真のせいじゃない。  どう処理していいかわからないけれども、知りたいと思ったのは自分自身なのだから。あえていうならば、ひよりの自業自得だ。 「噂が、本当だって聞いて、ちょっとがっかりして、どうしたらいいかわからなくなっちゃっただけ」 「そっか……」  ばたばたと教室から人が出て行く。 「ごめんね、碓井くん。部活でしょ?」  もう教室に残っている人もまばらだ。  ひよりがぼーっとしているから気を遣ってくれているのかもしれないので、そう促したが、 「いや、いいよ」  だけど、彼は席を立とうとしない。 「でも」 「だってさ」  天真はちょっと怒ったような顔をしながら、 「そんな泣きそうな顔をしているのに、置いていけるわけないじゃん」  言われた言葉に、そうか自分は今泣きそうなのか、と他人事のように感じた。この胸のもやもやは、泣きそうなのか。 「そんなこと言われても」  どうにか笑みを作る。 「私が、勝手に信じて、勝手に裏切られたと感じているだけだから」  だから、勝手に傷ついている。詰る資格はない。  そうだ、だって出会った時から、佑助は怪しかったじゃないか。いくらクラスメイトの知り合いだからといえ、優しくされたからといえ、助けてもらったからといえ、信じてしまったのか。  そして、彼は別に何も言っていなかったのに、なんで裏切られたと思っているのか。あまりにも、身勝手がすぎるじゃないか 「雫石さん」  天真が立ち上がると、ひよりの真横に立った。その姿を見上げる。  いつの間にか、教室には他に誰もいなかった。  グラウンドから、運動部の声がする。 「無理しないで」  彼の手が、ゆっくりと伸びてくる。 「感情なんて全部、勝手なものだよ。それで自分だけのものだ。他人のことを気遣って、黙る意味なんてない」  言われて、視界が滲む。  怖いと思ったわけじゃない。悪魔だのなんだの、信じているわけじゃない。だけど、私は、 「あの人が……、そんなみんなに嫌われてるなんて、知りたくなかった」  変わってるけど、優しい人だと思ったのだ。そう思っていたかった。  天真の手が頭に触れると、そっと彼の胸に抱き寄せられた。 「雫石さん、俺の方が幸せにできるとか、俺なら泣かせないとか、そんなことを言わないけど……。でも、一人で泣かないで」  耳元で言われた言葉は優しい。  手を振りほどく理由が見いだせなくて、代わりに彼のシャツの裾を握った。  その光景を佑助は、廊下から見ていた。  ひよりが静かに泣き出したところで、一つため息をつくと、教室をあとにする。  これでは、調査どころではない。 『あれれ、佑ちゃん帰っちゃうの? このままじゃ、ひよりっち、天ちゃんにとられちゃうよ?』  蓮香が周りをふよふよしながら言う。 「とられちゃうってなんだよ」  実に恋愛好きの蓮香らしい言葉だ。苦笑する。 「……いいんだよ、これで」  本来なら交わるべき関係ではなかったのだから。自分のような異端な者のことは忘れてくれるぐらいでちょうどいいのだから。  下駄箱まで来たところで、 『あ、月っち!』  微笑んで、月歩が待っていた。 「月」 「おつかれさまです」 「うん」  なんとか笑みを作って、頷く。 「なにか収穫ありましたか?」 「残念だけど」 「そうですか。困りましたね」  ふぅっと頬に手を当てて月歩が呟く。 「とりあえず帰りましょうか」 「そうだね」  靴を履き替えていると、 「ねぇ、佑助さん」  声をかけられる。振り返ると、月歩が綺麗に微笑みながら、 「わたしなら自分の身はきちんと自分で守れますし、ちょっとやそっとじゃ傷つきませんし、お得ですよ?」  それだけ告げると、かろやかな足取りで佑助の横を抜けていった。  こんな状況下でも、あまりにも揺るがない微笑みと言葉に、佑助の心臓は一瞬、だがとても力強く揺さぶられた。  月歩だけは、いつでも自分を肯定してくれている。怖くなるぐらいに。  もしも、月歩にまで拒絶されたら、自分はきっともう二度と、誰にも受け入れてもらえなくなるだろう。  そう感じてしまうぐらいに、彼女は自分を受け入れてくれている。なぜだかは実はよくわかってないんだけれども。 「……なんで、そうなるかなぁ」  いろいろな感情を持て余して、そう呟く。 『うーん、相変わらず月っちはぐいぐいだねぇー!』  蓮香が楽しそうに、歌うように言った。  一通り泣いたら、スッキリした。 「ごめん、ありがとう」  ひよりがそう言って、軽く頭を動かすと、天真は素直に手を離した。 「ありがとう」  もう一度言うと、彼は照れ臭そうに笑う。 「ねぇ、雫石さん。あれだったら、俺がさ……」 「ありがとう、もう、大丈夫」  何かを言いかけた天真を遮るようにして、笑ってみせる。これ以上、心配をさせたくなかったから。迷惑をかけたくなかったから。  だって彼はこのあと部活があるだろうし。 「あとは、私の感情の問題だから。ちゃんと私自身でけりをつけるよ」  彼が泣かせてくれたおかげで、少し気持ちが楽になった。わずかに胸を張ってそう告げた。  天真は何か言いたげな、微妙な顔を一瞬してから、 「そっか」  少し安心したように笑った。 「じゃあ、うん。がんばって。何かあったらいつでも相談に乗るから」 「うん、ありがとう。優しいね」 「そんなことないよ」  でも、彼は優しいと思う。よくわからない説明しかできていないのに、ただのクラスメイトの相談にのってくれるなんて。 「ごめんね、部活遅れちゃったよね」 「たまには大丈夫だよ」 「でも、」  言いながら、時計を見て、 「あ、やばい。タイムセール」  我に返った。実に庶民的な理由だが、今日はスーパーで肉が特に安くなる日なのだ。現実の吸引力は恐ろしい。あっという間に、ひよりを元のひよりに戻した。 「帰らなきゃ、ごめんね。話を聞いてくれたのに。今度ちゃんとお礼するね」 「いいよ、気にしないで」  ひよりの勢いに飲まれたのか、天真は少し苦笑する。  確かにちょっと自分勝手がすぎる展開かもしれない。ちゃんとお礼の品を見繕ってこなきゃな、と心に誓う。  しかしそれよりも、今は肉だ。 「本当に、ありがとう!」 「ううん、気をつけて」  天真に片手をふると、現実に戻り、早足で教室を後にした。 「そっか」  一人、教室に残された天真は呟く。  俯いて。  先ほどまでの笑顔を消して。 「やっぱり、ダメか」  ざっと強風が教室内に吹き込み、カーテンを持ち上げ、天真の姿を隠す。 「陸にあがった人魚姫は、死ぬしかないね」  カーテンの中から、天真とは違う女の声がした。 『はわわわ、やばやばじゃん! 佑ちゃんに知らせないとっ』  一部始終を黒板から顔を出す形で野次馬していた蓮香が、慌てて顔をひっこめようとしたが、 『ぎゃっ』  何かに頭をつかまれる。霊体の、頭を。  おそるおそる蓮香が目線をあげると、天真から出ていた黒い影に、頭を押さえつけられていた。 『ひっ』  小さく悲鳴をあげる。  意味がわからない。幽霊になってから、誰かに触られたことなんて、ないのに。  これは、とても、やばい。 「見たな、小娘め」  風はおさまって、カーテンは元の位置に戻っている。  天真はぼーっと天井を見上げて、突っ立っている。  足元から生えた黒い影が、女の形をとり、喋った。 「気づかなければ平穏に暮らせたものを」 『待って……言わないから、だからっ』  視界が滲む。  ああ、幽霊にも涙ってあるんだ。恐怖って、あるんだ。  あるはずのない心臓が、ドキドキと早く脈打つ錯覚を感じながら、どこか他人事のように思った。 「死ね」  蓮香の声を無視し、女は大きな口を開け、蓮香の頭に噛み付く。 『いやぁぁぁぁぁ』  幽霊である蓮香の悲鳴は、誰にも届くことなく消えた。
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