第四章

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第四章

「佑助さん、ご相談があるんですけど」  ひよりの件については空いた時間を使い、佑助と月歩で調べていた。  特に目立った成果が出ないまま、数日経ったころ、本業のための待ち合わせ場所に現れた月歩が開口一番そう言った。 「相談? どうしたの?」  彼女がこんな神妙な面持ちで相談してくるなんて珍しい。相談する前に豪快に片付けるタイプなのに。そう思いながら問い返すと、 「蓮香を見かけないんです」 「え?」  意外な名前が出てきた。 「ここ三日ぐらい、あの賑やかな姿がどこにもない。おかしいと、思いませんか?」 「それは……」  三日も蓮香の姿を見かけないなんてこと、佑助が在学中にはなかった。もちろん、毎日会っていたわけではないけれども、寂しがり屋のあの幽霊は、見える人のところには頻繁に顔を出していた。 「蓮香に、何かあった……?」 「もちろん、わたしの考えすぎかもしれませんが」 「いや、おかしいと思うよ、それは」  しかし、幽霊である蓮香に一体何があったというのか。今さら彼女が成仏するとも思えないし。 「気になって姿を探したし、調べてみたんですけど、あまりよくわからなくって。わたしはその、得意じゃないので。そういうことが」 「ああ、まあ、そうだね」  繊細そうな顔をして、意外と大雑把な彼女はそういった調べごとが苦手だ。 「まだ何かあると確定したわけでもないし、ましてや言い方は悪いですが学校の幽霊の安否のために、卜部の人間を駆り出すのも気がひけますし」  あくまでもこれは、佑助と月歩の個人的な捜査でしかない。 「そっか、それじゃあ」  正直、あんまり行きたくないけど、 「ちょっと明日、改めて学校の方を探ってみようか」 「はい、お願いします。放課後までに、わたしの方でも、もうちょっと手がかりを探してみますね」  しっとりと月歩は頭を垂れた。  自分の感情には自分でケリをつけるといったものの、ひよりはイマイチ冴えない日々を送っていた。  休み時間、天真は友達と喋っているから、隣から話しかけてくることはない。  仲の良い友達も、職員室に呼ばれて行ってしまった。  だからひよりは、思う存分、思考の世界に入ることができた。  あれから月歩とは学校では顔をあわせるものの話すこともないし、佑助に至っては顔さえ見ていない。  佑助の連絡先は知らないが、月歩に聞けばすぐにわかるだろうし、仲介もしてくれるだろう。でも、それをする勇気が今ひとつでなかった。  まあ、連絡先を聞いた所で、ちゃんと連絡するのか、その時何をいうのか、自分でもわからなかったが。 「怖いのかな」  佑助のことが。  でも、それも何かが違う気がした。怖いというよりも、わけがわからない。理解ができない。  佑助のことも、月歩のことも、あの人たちが言うことは結局のところ何一つ理解できない。おとぎ話のようで。  とはいえ、そんなものには、やっぱり関わらない方がいいのかもしれない。理解しないで忘れるというのが、唯一の正解なのかもしれない。  何度目かの結論に、ひよりは何度目かの溜息をついた。  今日も現状が打開できそうにない。 「雫石さん」  そんな風に思っていたところを、突然横から声をかけられた。 「う、卜部さん」  驚いた拍子に、思わず声が裏返った。月歩がやわらかく微笑みながら、気付いたら隣にいた。 「どうしたの?」 「少し、確認したいことがあるんですけど。お時間よろしいですか?」 「うん?」  用件が見えなくて首を傾げながらも、頷いた。  ここではちょっと話しにくいので、と言われて、月歩に連れてこられたのは、屋上だった。 「屋上って鍵開いてないんじゃ?」  小声でつぶやくと、振り返った月歩が意味深な笑みを浮かべた。  それでなんとなく察する。ここ最近の出来事でわかったが、この美しい同級生は、たまに見た目に合わない大胆なことをする。 「ここなら邪魔は入りませんからね」  自ら外に出たくせに、日差しを気にするかのように、日陰に入りながら月歩が言う。ひよりは少し距離をあけて、隣に立った。 「雫石さんの周辺を少し調べていたんです。その過程で何かがやはり、いることだけはわかった。でも、申し訳ないんですけどそれが何かわからなくて」  どこか悔しそうな顔で月歩が言う。 「もう一つ、気になることがあって。別件かもしれないんですけど。この学校の幽霊がいなくなったんです」 「学校の幽霊?」  そんなもの、いたの? 「あ、全然悪さをするタイプの子じゃないので、そこはご心配なく。ただ、ここのところ姿が見えなくて。佑助さんにも調査をお願いしているのですが」  出てきた名前に一瞬どきりとする。 「念のため雫石さんにも確認しておきたくって。四日ほど前に、何か変わったことはありませんでしたか?」 「変わったことって……」  そんなもの自分が気づくとも思えないが。 「別に幽霊っぽいことじゃなくていいんです。普段とは違う何か、ありませんでした?」 「いつもどおり、授業受けて帰っただけで……」  言いかけて思い出す。天真に慰めてもらったのは、その頃じゃなかったろうか? 「何がありました?」  ひよりの顔色の変化を読み取り、月歩が尋ねてくる。 「いや、でもこれは関係ないんじゃ」 「それを判断するのは、こちらです」  ぴしゃり、と強く言われて、ちょっとイラッとする。  何、その言い方。  むっとしたひよりの顔に気づいたのか、月歩が困ったようにため息をつく。 「不愉快に思う気持ちも、細かいことを言いたくない気持ちも、わかります。ですが、事態はあなたが思っているよりも深刻です。このままじゃ、プールに入る入らないよりも大きな問題になる可能性があります」  そこで月歩は、ひよりの顔をまっすぐみて、 「協力してください」  頭を下げた。  それになんだか、こみ上げていた怒りが霧散する。  だいたい、そもそも彼女は自分のために動いてくれているのだ。無償で。 「他の人には、言わないで」  それでも謝る気にはなれなくて、本題から切り出す。 「はい」  謝罪がないことに気分を害した様子もなく、月歩は頷いた。 「放課後に碓井くんと話したの」 「碓井……」  月歩は少し悩むような顔をしてから、 「あなたの隣の男子ですね」 「うん。あのね、天神さんのこと聞いて、そのちょっと、いろいろ考えてて」 「悪魔のことを知ったんですよね。まあ、知らない人からすれば悩みますよね」  あっけらかんとなんでもないことのように言われて、悩んでいたのがちょっと馬鹿らしくなった。 「卜部さんは、どう思っているの?」  ふとこの綺麗なクラスメイトの考えが知りたくて問うと、 「悪魔のことですか?」  月歩は少し言葉を整理するような間をおいてから、いつもの上品な口調で話し出す。なんでもないことのように。 「卜部の人間としては、一刻も早く佑助さんから悪魔を離さなければいけない、と思っています。現状、その手だてはありませんし、佑助さんは両家の預かりなので、卜部が手を出すことではありませんが」  そこで月歩は、ゆっくりと綺麗に微笑んだ。 「卜部月歩個人としては、特に気にすることではありません」 「え? お兄さんのことは?」  意識不明の兄のことは、気にすることではないのだろうか? どんなに仲が悪かったとしても、家族のことは多少気になりそうなものだけど。 「兄が失敗して、意識不明になんてなったのは、兄の力が弱かったからです。それは兄の責任です」  ぴしゃり、と彼女は言い切る。責任を追及する、厳しい口調だった。  ひよりがちょっと驚いていると、ふっと柔らかく笑い、言葉を続ける。 「まあ、まったく恨んでないかといえば嘘になりますし、悪魔の力がまったく怖くないかといえば、それも嘘になるんですけれども。でも」  言葉を切って月歩は首をかしげる。 「それって、好きの前ではなんでもないと思いません?」  綺麗な笑みから放たれた言葉に、一瞬呼吸が止まる。  悪魔だの、人が死ぬだの、そんな話が好きという身近な一語で片付けられてしまった。美しいこのクラスメイトは、やはりどこかクレイジーだ。やっぱり、変な仕事してるからだろうか。 「わたしの話はいいんです。それで?」  あっけにとられているひよりに、月歩が先を促してくる。ええっと、なんだっけ。 「碓井くんに、詳細は隠してだけどちょっと相談して。人間関係大変、みたいな感じで。それで慰めてもらって、あとちょっと……泣いちゃって」  そこまで言ってから、これ本当に関係なさそうだな、と思った。 「ごめん、関係ないよね」  無駄な時間を過ごさせてしまったと謝罪すると、 「いえ。それって、教室で?」 「え、うん」  意外にも、詳細を尋ねられた。ひより的には関係ない話をしたつもりなのに、妙に神妙な顔をしている。 「あの日、蓮香は佑助さんについて教室にまで行った。私たちが帰ったあと野次馬しててもおかしくないし、むしろ蓮香ならするはず」  月歩は小声で何かを呟き、思考をまとめるような仕草をする。それから、 「おいで、葛根湯」  またあの芋みたいなやつを呼んだ。 「今の話、佑助さんに伝えて」  芋がどっかに消えていく。 「参考になりました。ありがとうございます」 「あ、ならいいけど」  なんの参考になったのだろうか。  月歩は真剣な顔を緩めると、 「ひとまず、教室に戻りましょう」  佑助が葛根湯からの連絡を受け取ったのは、高校近くの神社でだった。 「そっか。わかった。ありがとう。逆に月にこれを伝えてくれる?」  伝言を託すと、月歩の使い魔は姿を消す。 「あたりかな」  そう呟く彼の視線の先には、二つに割れた大きな石があった。切れた注連縄も落ちていて、かつてここに何かが封印されていたことを示していた。  昇か旭に連絡すれば詳細がわかるかもしれないな、と考える。  もっとも、連絡しようにも携帯電話を持っていない佑助にはその術はない。悪魔の影響なのか、佑助の身の回りの家電製品はよく壊れるのだ。  最近めっきり見なくなった公衆電話を探すほどではないし。  とりあえず月歩が学校終わるまで待つか。  割れた石自体には、今のところの何の問題もないことを確認すると、時間を潰す場所を探して歩き出した。  佑助からの連絡を受け取った月歩は、ふぅと息を吐いた。  答えが見えてきた。そういうことか。  佑助は両家か卜部かに連絡したほうがいいと言っていたが、月歩にはそのつもりはなかった。  これぐらいならば、他の人間の手を煩わせることなく、自分たちだけで解決できるだろう。忙しいであろう人々を、ほぼ自分たちの都合であり、特別依頼されたわけでもない事件への協力を強制することには、少しためらいがあった。  なによりも、彼女のプライドがそれを拒んだ。  なんだかんだ言って、昇も旭もいい人だというのはわかっている。力もあるし、こちらに気を使ってくれる。変人だけど。  でも、彼らはいつまでも、月歩を卜部のお姫様と侮った扱いをする。卜部の人間たちだってそうだ。  確かに自分は、大きな力を持っていた兄に比べれは劣る。月歩は葛根湯たちのことが大好きだが、その使い魔たちの力が弱いことも、ビジュアル的に問題があることも、わかっている。でもそれは、あくまでも兄に比べれば、だ。  卜部の分家の人間に比べれば、自分の力はそこまで劣っていない。もう高校生になったのだ、子供ではない。  だいたいその兄ですら、失態から今は意識不明なのだ。  もう少し、自分に頼ってくれてもいいじゃないか。努力を認めてくれてもいいじゃないか。  月歩はそんな不満をずっと抱えていた。  両家でお荷物扱いされている佑助も、似たような気持ちを抱いているのはなんとなくわかっている。  何かとコンビを組まされることの多い自分たちで、自分たちだけの手で、この事件を解決する。そうすれば、両家も卜部も、自分たちのことを少しは見直すだろう。  だから、 「わたしたちだけで、蹴りをつけましょう。そうでしょう? 葛根湯」  戻ってきた使い魔に微笑みかける。使い魔が首をかしげたような気がした。 「碓井くん」  昼休み、食事を終えて戻ってきた天真は、急に学校一の美少女、卜部月歩に声をかけられて驚いた。  これまで彼女と喋ったことなど、ほとんどない。業務連絡だって、あるかどうか。 相変わらず綺麗な顔をしているなと思いながら、一体何のようだ? と内心首をかしげる。  そんな天真を気にすることなく、月歩は話を進めていく。 「放課後、少しお時間よろしいかしら?」  確認を取るような、やんわりとした口調だったけれども、何か有無を言わさないものを感じた。 「……なんで?」  その言い方に、なんとなく嫌なものを感じる。せっかくの美少女のお願いだから、聞いてあげようかという気持ちもあったのだが、今は若干薄れている。 「雫石さんのことで、ちょっと」 「雫石さんのこと?」  確かに、彼女が最近、隣の席の雫石ひよりと仲が良さそうなのは知っていたが、なぜ自分に? 「ええ」 「わかった」  不穏なものを感じないでもなかったが、ひとまず頷いた。  雫石ひよりにまつわることならば、ちゃんと聞かなければいけない。なぜだかそんな気持ちになったのだ。 「でも、部活あるから早く切り上げて欲しいんだけど」  とはいえ、その上で釘をさすと、 「それは、あなた次第ですね」  しれっと月歩は答えた。  一体なんなのか? ひよりは目の前の光景に目を疑った。  放課後、掃除を終えて帰ろうとしたら、廊下から天真が校門のところに立っているのが見えた。  部活じゃないのかな、珍しい。そんな風に思って見ていると、さらに意外なことに月歩がそこに現れた。  一言二言会話して、二人して学校から出て行く。  月歩と天真。その組み合わせになんだか嫌なものを感じる。さっきの自分の話が原因な気がした。天真にも迷惑をかけてしまっただろうか?  だとしたら、申し訳ない。そして、自分の知らないところでこれ以上、話が進んでいくのは嫌だ。  そう思うと、駆け足で校舎から飛び出す。  二人の姿は既に見えなかったけれども、 「卜部さん? あっち行ったよ」 「ありがと!」  目立つ月歩のことだ。尋ねたらすぐに目撃証言があがってきた。  そうして、たどり着いたのがこの場所。学校近くの神社だ。小さいその神社、あるのは知っていたが中に入るのは初めてだ。  こそこそと隠れながら二人を追う。  しかし、月歩と神社って絵になるなぁ。やっぱり姫カットの賜物かなぁ。  少し奥まったところに行くと、黒い影が立っていた。佑助の姿に、ドキッとする。悪魔とやらのことを知ってから、顔を見るは初めてだ。  近くの植え込みに体を滑り込ませる。木がいっぱいって便利だな。  佑助は二人の姿を見ると、軽く眉をひそめた。 「月、なんで彼を連れてきたの?」 「さっさと終わらせたほうがいいじゃないですか」  咎めるような佑助の口調にも、月歩はしれっと答える。  佑助はそんな月歩を見て、諦めたようにため息をつき、 「ご足労かけて申し訳ない」  天真に対して、小さく頭を下げた。 「てめぇ……」  天真が小さく唸る。 「話ってそういうことかよ。雫石さんを泣かせたの、こいつだろ?」  天真の発言に、隠れてるのを忘れてつっこみそうになった。何を言っているのか、そりゃそうなんだけど。って、あれ。あの二人って面識あったっけ? 「あら、あなた。佑助さんと面識ありました?」  ひよりの疑問にあわせるように、月歩が言う。 「それは……雫石さんと卜部さんが仲良くし始めて、この男が学校に頻繁に来るようになったら、なんかあるんだろうな、ぐらい思うだろ?」  天真が答える。なるほど、二人とも目立つし。 「あら、そうですか。でも」  月歩の声のトーンが、少し低くなる。 「それだけじゃありませんよね? 碓井くんから、離れていただけます?」 「は? 何を言って」 「お芝居はいいですから」  怪訝そうな天真の声を、ぴしゃりと月歩は切り捨てる。  隙間から覗いた月歩の顔は、少し怒ったように見えた。  それにしても、この人は何を言っているのだろうか? なにも天真にくついてるようには見えないけど。 「わたし、怒っているんです。蓮香はおしゃべりでうるさい子だったけれども、人に危害を加えるようなことはしなかった。なのに」  きっと天真を睨みつける。月歩の声は少し震えていた。それは多分、怒りの感情で。 「あなたは、あの子に何をしたの?」  天真は月歩の顔をまじまじと眺め、それから笑い出した。 「ああ、なんだ」  その声がだんだん、天真のものじゃなくなっていく。誰かの声がかぶって聞こえ、 「バレてるのね」  最後には女の声だけになった。  天真なのに、天真じゃない。その光景にぞっとする。  できの悪い吹き替え映画を見ているみたいだ。 「蓮香をどうした?」  黙って成り行きを見守っていた佑助が問いかけると、 「食べたよ」  天真の形をした何かは答えた。いや、違う。影が、喋ってる?  天真の影が、別の形になり、声はそこから聞こえている。 「そうか」  佑助は重く、一つ息を吐いた。 「そんなことだろうと、思ったんだ」 「なんてことを」  痛ましそうに月歩の顔が歪む。 「だって、あれは見てしまったからね。この姿を。でもいいじゃないか。どうせ、死んだ人間だ。現世にいるべきものじゃない」 「でも、地獄にも天国にも行けない。存在を消していい理由にはならないな」 「まあ、食べたら消えるだけだからね」  影が笑う。神経を逆なでするような、嫌な笑い方。 「蓮香の仇。雫石さんと、その少年の身の安全。三つの観点から、お前には消えてもらう」  影を睨みつけて、佑助が言う。 「へぇ、できるのかい? 両家の忌み子よ」 「できるかできないかじゃない、やるかやらないかだ」  佑助が一歩踏み出したその瞬間に、影が形を変え、彼の方に突き刺すように動いた。 「冬虫夏草!」  同時に月歩が叫ぶ。すると、どこからともなく、根っこに手足が生えたようなものが出てきた。彼女が使う使い魔、葛根湯に似ているが、それよりも大きい。  出てきたその根っこは、腕? を伸ばし影を切りつける。  すると、影がよろけたようになり、天真の体が後ろに倒れかける。 「高麗人参!」  同じような姿をしたものがもう一つ出てきて、天真の体を支えた。 「月、そっちは頼む」 「おまかせください」  佑助の声に頷くと、月歩が腕を振った。天真の体を抱えた根っこが、彼女の横にまで下がる。 「彼を外に」  その言葉で根っこは結構な速さで、神社の外に走って行った。  もう一個の根っこが、佑助とともに影に立ち向かおうとし、 「おや」  突然動きを止めた影に、つんのめるような動作をする。嫌に人間くさいな、あの根っこ。  影は体をぐるりとひねるように動き、 「役者は揃っていたか」  呟く。  見られた。とっさに、そう思った。  相手の目がどこにあるかもわからないのに。 「何を言って……」  月歩が怪訝そうな顔をし、 「っ、月、後ろだ!」  佑助が叫びながら走り出す、こちらに向かって。  それよりも早く、影もひよりに向かってやってくる。 「冬虫夏草!」  月歩の指示で、根っこが影にその腕を突き刺し、動きを鈍らせる。その横を佑助が駆け抜け、 「何やってんだよっ」  舌打ちと共に、隠れていたひよりの元にやってくると、腕を掴んで立ち上がらせた。そのまま、背中にかばうように立つ。 「雫石さん、なんでここにっ」 「あ、ごめんなさい。碓井くんと卜部さんが出て行くのみかけて」  小声で弁明すると、 「月っ」 「反省します」  佑助の叱るような一声に、月歩が一瞬顔を歪めた。 「あの、なにが」  事態についていけないまま問うと、 「見えてます?」  月歩が影を指差すので、頷いた。 「あれが、あなたを狙う正体です」 「だからここには来てほしくなかったのに」  佑助が月歩とひよりの前に立ちながら、舌打ちする。 「ごめんなさい」 「こちらは大歓迎だよ、雫石ひよりぃ」  影が言う。  いつの間にか戻って来た、天真を担いで行った方の根っこも、影を取り押さえるのに加勢した。 「丘に上がった人魚よ」 「人魚?」 「さあ、泡になって消えるがいい。そうしたら、その足を貰ってあげるよぉ」  影の言葉の意味はよくわからない。でも、敵意が自分に向けられているのだけはひしひしと感じた。  ひんやりとしたものが、右手に当たってびっくりする。見ると、月歩がひよりの手を握っていた。 「あなたをここに連れてきてしまったのは、わたしのミスです。大丈夫、あなたのことはわたしが守ります」  ひよりの顔を見ると、守られるお姫様のような綺麗な顔で告げた。何度か聞いた言葉だけれど、今までで一番真剣だった。 「最善は元の岩に戻す、最悪は消す。月、いい?」 「わかりました」  影を睨んだままの佑助の言葉に、月歩は頷き、次の瞬間佑助は駆け出した。いつの間にか右手に刀のようなものを持っていて、それを影に向かって振り下ろす。 「冬虫夏草はこちらに、高麗人参は佑助さんを補助して」  右手をあげて月歩が命じると、根っこの一人、冬虫夏草がひよりたちを守るかのように目の前に立った。  佑助が刀を振るう。  影が避ける。  影が腕のようなものを佑助に振るうのを、根っこ・高麗人参が庇う。  一体、何が起きているのか、わからない。 「わたしたちだけで解決したかったのですが、仕方ありません。葛根湯、卜部でも両家でもいいから、誰か呼んできて」  月歩が呼び出したあの芋が、どこかに消えていく。  影が佑助の足元に腕を叩きつけ、体制を崩させると、ひよりの方に別の腕を伸ばしくる。それを、目の前にいた冬虫夏草が防いだ。 「いっ」  衝撃で冬虫夏草が傾いだのに合わせて、月歩がうめき声を漏らす。  ああ、何が起きているのか。ひよりにはわからない。わかるのは、 「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい」  自然と口から謝罪の言葉がこぼれ落ちる。これが、自分のせいだというのだけはわかる。  ひよりの腕を握る、月歩の手に力がこもる。 「いいえ、これは私の落ち度です」  囁くように月歩がつぶやく。  佑助が一瞬、痛ましそうにひよりを見たが何も言わなかった。 「そうだな、お前のせいだなぁ」  代わりに影が楽しそうに言う。 「反省したらちょうだいよ。足を」  けたけたと笑うその影に、 「うるさい、黙れ」  佑助が吐き棄てるように言いながら斬りかかる。ぶしゅっと、影から腕が一つ、分断された。  びしゃり、と影のくせに確かな質量を持って、切り離された腕が地面に落ちる。  影がうめき声をあげる。 「岩へ」  月歩の命に高麗人参が、影に体当たりする。  月歩の視線の先には、二つ割れた大きめな岩があった。  影が伸ばした、別の腕を佑助が切り落とす。  高麗人参の再度の体当たりによって、うめき声をあげた影が岩にぶつかった。その瞬間を逃さず、佑助が影に刀を突き立てる。  二つに割れた岩の反対側を、高麗人参が抑えた。 「失礼」  月歩がそうひよりに短く声をかけると、ポケットから何かを取り出し、岩に向かって走る。小声でなにかをつぶやきながら岩に駆け寄ると、持っていた紙のようなものを岩に貼り付けた。  がたがたと岩が揺れ、一度発光し、沈黙した。  二つに割れていたはずのものは、いつのまにか一つに戻り、そこに影の姿はない。 「終わり、かしら?」 「そうだね」  月歩と佑助が顔を見合わせると微笑み合う。  謎の根っこと二人? きりにさせられてしまったひよりは、なんとも言えない気持ちでそれを見ていた。これで、片付いたのだろうか。 「雫石さん、ごめんなさい」  そう言いながら月歩が振り返り、こちらに近づいてこようとして、次の瞬間表情を強張らせた。 「冬虫夏草!」  彼女が叫ぶと、冬虫夏草がひよりを抱えて、後ろに跳躍する。細いその腕? は意外とたくましくひよりを抱えた。  ばしっと、先ほどまでひよりがいた場所に、影の切れ端が叩きつけられた。 「くそ、しぶとい」  佑助が舌打ちし、ひよりの方に向かう。  再度にひよりに飛びかかろうとした影は、刀で背後から切られ、そのあと高麗人参に抱え込まれる。 「佑助さん!」  月歩が叫ぶ。  もう一つ、影の切れ端が佑助の背後から飛んでくるのを、振り返った佑助が迎撃し、 「まずいっ」  そこに、高麗人参の腕から逃れた細かい切れ端が飛んでくる。体制を崩した佑助の手元、刀に向かい影がすべて飛んでくる。  勢いに押され、佑助の手から刀が落ちる。 「ちっ」  慌てて佑助がそれに手を伸ばすが、それよりも早く影の切れ端たちが刀に群がった。影にまみれた刀を、佑助はそれでも強引に手を伸ばし引き寄せる。  影を振り払うかのように刀を動かす。影は消えたが刀は黒く変色していて、 「佑助さん!」  月歩の悲鳴。  ひよりが視線を移すと、彼女の顔は泣きそうに歪んでいた。さきほどまで、冷静そうだった顔が。 「月、ごめ」  佑助は、こちらも泣きそうな顔でそういうと、刀を抱えたままひよりから距離を取ろうとし、 「ぐっ」  小さくうめくと、地面に膝をつく。  思わずひよりが駆け寄ろうとするのを、冬虫夏草に阻止される。冬虫夏草はそのままひよりを抱え、月歩の隣に移動した。 「死なば諸共ってことかしら、やられた」  月歩はさきほどよりもいくらか落ち着きを取り戻した顔で、それでも舌打ちしながらそういうと、ひょりを背中に庇う。  ポケットから取り出した、先ほどと似た紙を地面に置くと、何かを唱えた  佑助が抱えいていた刀は黒く光り、佑助の右目に飛び込むようにして消えた。  ひっ、とひよりの喉の奥で悲鳴があがる。  刀が消えた佑助の右のまつげは、黒くなっていた。まっしろなはずの、まつげが。それは当たり前の光景のはずなのに、どこか違和感がある。  地面にひざをついたまま、佑助は虚空を見つめる。何も、感情をもたないような顔で。  右目に、違和感がある。  目を凝らしてわかった。そこにあるはずの、眼球がなかった。代わりに、ぽっかりと黒い穴が空いている。  その穴に、吸い込まれるようにして、影の切れ端が消えていった。  どこから湧いて出てきたのか、別の黒い影のようなものもどこからか飛んできて、同じように瞳に吸い込まれる。まるで、掃除機のように。 「な、に……、あれ」 「悪魔の食事です」  ひよりが呟くと、月歩が淡々と答えた。 「食事?」  月歩の方に視線を動かすと、 「その紙よりも前に出ないでください。結界なので」  足元の先ほどおいた紙を指差しながら注意する。 「あの刀は悪魔の力の化身。普段はなんでもないんですが、さきほどあの怪異のせいで、悪魔の力が活性化してしまいました。結果、今佑助さんの意識は奥においやられ、悪魔が表にでている状態です」  そう話している間にも、変な、それでいてどこか禍々しいものたちが瞳に吸い込まれていく。 「今消えていっているのは、近くにいる小物の怪異や幽霊たち。それらを喰らい、悪魔は力をためます。力をためきると、悪魔が完全に表にでて」  そこで月歩はひよりの顔を見つめた。 「佑助さんは自我を失います」 「自我を?」 「彼が彼ではなくなる、ということです。ただの悪魔に、成り下がります」  それは困る。悪魔がどういうことなのか、実はまだよくわかっていないけれども、何を言えばいいのか、これからどうすればいいのかわからないけれども。  だけど、彼にはまだ言わなければいけないことがあるはずなのに。 「それを防ぐために、今やらなければならないことは二つ」  白い指を二つ立てると、 「まず、悪魔の食事を阻止する。瞳に吸い込まれる前に、こちらで退治してしまうんです。これで悪魔の活性化はある程度防げます。でも対処療法にしか過ぎない。確実に終わらせるために必要なもう一つが、佑助さんの中に入って、佑助さんに語りかけ、起こし、自我を取り戻してもらう」  やるべきことは二つ。そしてこの場にいるのは、ひよりと月歩の二人だけ。  ここから何を言われるのか、なんとなくわかった。それでも、嫌だと思うことなく、真剣にひよりは月歩の話に耳を傾ける。 「使いを出しているので、もうすぐ卜部か両家の人間がくるでしょう。くるかもしれません。ですが、それまで佑助さんが持つのかわからない。食事を阻止することで時間稼ぎもできますが、起こす時間が遅くなれば遅くなるほど、佑助さんの負担になります。悪魔を防げても、無事に目覚めるかどうかがわからなくなる」 「私は、どうしたらいいの?」  自然にそう尋ねていた。月歩は一つ頷くと、 「外を戦う術のないあなたに任せることはできません。佑助さんを起こしてきて、欲しいんです」 「うん」  一つ頷く。そうなるんじゃないかと、思っていたのだ。 「ですが、中にはいって失敗すれば、眠ったきり目を覚まさなくなります。わたしの、兄のように」  その言葉で何かが繋がった気がした。ああ、そういうことか。だから仲が良かったはずの月歩の兄が巻き込まれたのか。 「もっともあれは兄の慢心が招いた油断でもあったのですが」 「油断?」 「中に入ったついでに、悪魔を根元から断とうとしたのです。その結果、まんまと返り討ちにされた。外に引き戻せただけ、御の字ですね」  どこか寂しそうな顔を、一瞬した。なんだかんだ言って、家族のことなんだもんな、思うことはあるだろう。 「うん、わかった。失敗しなければ、いいんだよね」  できるできないじゃない、やるかやらないかだ。そんな言葉が頭をよぎり、ああこれはさっき佑助本人が言っていたのかと苦笑した。 「そうです。そういう考え方、わたし、好きですよ」  月歩がふっと笑う。 「本当は、一般人を巻き込むものではないんですけれども……」  今更なことを言いながら、 「でもあなた、佑助さんのことがお好きでしょう?」  ひよりの逃げ道を月歩は塞いでくる。この綺麗なクラスメイトは、こうやって強引な手段にでることが本当に得意だ。  そんな言い方をされたら、 「ずるいね。できないなんて言えない」  その言葉に、月歩が少し笑う。 「卜部は使い魔を使役する一族。わたし、使えるものは使い魔でなくとも使うんです」  それに思わず、ひよりも少し笑った。  卜部月歩に使えるものと認定されたのか。それはいいかもしれない。  だってこれは、私が引き起こしてしまったことだから。少しぐらい、責任をとるための行動ぐらい、させて欲しい。 「これを」  月歩は制服の胸元から、かけていたネックレスをはずすと、ひよりの首にかけた。小さな透明の石がついた、ネックレス。さらに、さきほど地面に置いていたのと同じような紙を渡す。 「お守りです。これで直接、雑魚どもがあなたに襲い掛かることはないでしょう」 「え、でも、卜部さんは?」 「ご心配なく。わたしは自分の身は自分で守れますよ」  微笑むと、彼女はそばに立つ冬虫夏草と高麗人参を撫でた。よく見たら、冬虫夏草の方が大きい、ような気がしてきた。  月歩は、いいですか? と佑助の方を指差すと、 「瞳の中に飛び込んでください。飛び込む、という意思があれば大丈夫です。中に佑助さんがいます。なんでもいいから、立ち上がらせてください。正直、行ってみないとわからないところがあるので。戻り方は大丈夫。佑助さんが、しっかりと意識を取り戻せば、戻ってこれます」 「わかった」  ネックレスを握る。  まったく打ち合わせにもなっていない。行き当たりばたりの作戦もいいところだ。  でも、これぐらいやることが単純な方が、何もわかっていない自分にはちょうどいい。そう言い聞かせる。  いざ挑もうとしたところ、 「雫石さん、もう一つだけ」  月歩が引き止めた。  彼女は、柔らかく唇の端をあげ、美しく微笑むと、 「今回は、ナイト役は譲って差し上げます。佑助さんを助けて。でも、勘違いしないで。王子様に目覚めのキスをするのは、わたしです」  とても大事なことのように告げてくる。  はっと思わず乾いた笑いが漏れた。ああ、本当にこの人はクレイジーだ。この局面で、いつもの月歩節を放つなんて。  ひよりは何も言葉を返さずに、代わりに大きく息を吸うと、佑助に向かって走った。  私は、クレイジーなクラスメイトの力を借りないと、好きな人を助けることすらできないのだ。何も、言えない。  月歩の言葉どおり、まわりを漂う変なものたちは、ひよりの体に触れることはなかった。弾かれるように、飛んでいく。飛んで行った先で、結局佑助の瞳に吸い込まれるのだけれども。  自分にできることなんて、きっとほとんどない。それでも、責任を取るのだ。  佑助の虚ろな左目。この人のことはよくわからないままだけど、このままおしまいなんて、絶対に認められない。  覚悟を決めると、彼の右目に向かって手を伸ばした。  ぐっと、何かに引きずられる感覚がして、意識が一瞬、消えた。  ひよりが佑助の中に入ったのを見ると、月歩は佑助の前にたった。  はぁ、と艶かしく溜息をつく。 「嫌になるわ……」  左手の人差し指を軽く折り曲げ、口元にあてる。第一関節と第二関節の間を軽く噛むと、艶っぽく呟いた。  本当に嫌になる。自分でけしかけておいてなんだが、ためらいもなく突っ込んでいったクラスメイトの思いっきりの良さが嫌になる。好きだなんて鎌をかけた部分もあるのに、事実だなんて。  それに、一般人の力を借りなければ、想い人を助けることができない、自分の無力さが嫌になる。  なによりも、この事態を引き起こしたのが自分だというのが、本当に許せない。自分たちの力だけでどうにかできると思い、先走った結果がこのざまだ。  さらに、ひよりに後をつけられていることを気付かなかったのも、こんなに大事になる前に元凶を特定して根絶することができなかったことも、佑助の悪魔を暴走させることになってしまったことも。自分自身の無力さが許せない。  指を、つっとあげる。  でも、月歩はわきまえていた。今は反省する場ではない。それは、無事に家に帰ってからすることだ。イライラすることには、かわりないけど。 「ああもう、むしゃくしゃするわ」  だんっと、地面を踏みならす。その細い体のどこから、そんな音がしたのか、地面が派手に鳴った。 「冬虫夏草! 高麗人参!」  八つ当たりの気持ちも込めながら、傍らに立つ使い魔たちに命じた。 「殲滅なさい!」  どんっと、地面に叩きつけられる。 「いたたた」  思わずひよりは呟くが、言うほど痛くはなかった。地面はやけに、柔らかいから。これなんだろう、ちょっと気持ち悪いな。 「これが、天神さんの?」  あたりを見回しながら呟く。  なんだか薄暗い。洞窟のようになっていて、手を伸ばすと壁のようなものにふれた。これも、なんか柔らかい。  不気味な光景に心が折れそうになるが、お守りを握ると、 「よし」  気合を入れて歩き出した。  佑助はどこにいるだろうか?  一本道になっているので、ひたすら前に進むしかないが。 「あ」  しばらく行くと、蹲っている人影に出会った。 「天神さん?」  呼びかける。だが、少し近づいて、間違えたかと思った。やたらとその人影が小柄だったから。というよりも、小学生ぐらいの子供だったから。ああ、でも、見知らぬ子供がこんなところにいるだろうか?  子供が顔を上げる。その右目のまつげは、真っ白だった。 「天神さん」  今度は確信を持って名前を呼ぶ。  ひよりの顔を見て、少し驚いたような顔をする。  原理はよくわからないが、彼は今、子供になっているようだ。  ここまで変なことが続いたあとならば、彼が子供になっていることぐらい瑣末でしかない。 「帰りましょう?」  彼に視線を合わせてしゃがみ込む。  佑助はゆっくり首を横に振った。 「どうして?」 「ぼくがいると、みんながこまるから」  少年は小さく呟く。たどたどしく。 「悪魔の子は、いないほうがいいから」 「そんなこと」 「みんな、ほんとうはそうおもってるから」  だから、行かないと少年は言うと、膝を握る腕に力を込める。  試しにその腕を引っ張って、強引に立たせようとしたが、無理だった。根でも生えてるのかもしれない。  これはもしかしたら、彼の小さい時の本当の光景なのかな、と根拠もなくそう思った。自分はいらないと、責めている。こんなに小さいのに。  そんなことないって、どうしたら伝えられるだろうか。 「天神さん」  ちょっと悩んでから、その頭を撫でる。小さな子供にするように。まあ実際、今は小さい子供なのだが。 「私は、あなたがいなくなったら困ります」  考えて、ひよりにできることは、ただ思ったことを言うしかないのだな、という結論に達した、高度な交渉術など、自分にはない。 「どうして? ぼくが悪魔の子なこと、しってるでしょ?」 「知ってます。聞きました。この目でも見ました。でも、それはそれです」  少しだけ、佑助の頭が動く。ひよりの話に興味を持ったように見えた。 「私、バカなので難しいことはわかんないですけど。本当は、私があなたのことをどう思っているのかもわかんないんですけど。でも、もっとあなたを知りたい。あなたが悪魔だとかっていうことと、あなたがいい人かどうかは関係がないから」  必死に言葉を探す。なんて言えば、想いが届くだろうか。  少ない語彙の中から、少しでも、確実に想いが届くように。 「助けてくれたこと、感謝しているんです。今回のことも、卜部さんと一緒に色々調べてくれて。私が来たせいで、こんなことになって申し訳ないんですけど」 「君のせいじゃないよ」  聞こえた返事は、少ししっかりしていた。  顔をあげた佑助の顔が、先ほどよりも大人びている。 「僕と月が、失敗したんだ」 「でも、私が考えなしだったことは否定できませんから」 「君のせいじゃない」  もう一度、佑助はそう言った。そこにはしっかりと佑助の意思があるように感じられた。悪魔だからというだけではなく、佑助としての気持ち。  ここに、突破口がある。そんな気がする。  なんでもいいから 呼び戻せと月歩は言っていた。ならば、少し小狡い手を使ってもいいだろうか。  そう、けしかけてきたクラスメイトのような、手口を。 「もしも、天神さんのせいだとおっしゃるのなら。お詫びをしてください」  佑助の顔が不思議そうに傾く。 「ここから出て、戻って、私にお詫びをしてください」  図々しいが、彼の責任感をつっつく。 「だから僕は、ここで消えようと思って」 「それをされても、私は一ミリも嬉しくありません。むしろ迷惑です。だから、それはお詫びじゃないです」  力強く言い切ると、佑助が困ったような顔になった。 「それと、私まだ、今回のことがどうしてこうなったのか聞いてません。碓井くんになにがあったのか、あの影がなんなのか」 「それはあとで、月にでも聞いてくれないか?」  答える声が、さきほどよりも低くなっている。  彼がどんどん大人になっている。手応えを、感じる。 「いやです。私はあなたの口から説明を聞きたい。それがあなたの、仕事じゃないんですか?」  少し高飛車に、強い口調で。わざと責めたてていく、  佑助の瞳が何かを探すように揺れ動く。見えないカンペを、答えを探すように。でも佑助さん、答えはあなたが出さないといけないんですよ? 「天神さん」  鋭く名前を呼ぶと、また腕を掴んだ。  彼は驚いたように身をすくませたが、振り払ったりはしなかった。いつかのように、彼の体温は少し高い。 「そんなふうに考えるまでもないと思います。迷っている暇もないかと思います。ここから出ましょう。だって、私がわざわざ来たのですから。一般人の私がここにきてしまったのだから」  佑助の腕を持ち上げることができた。彼が縋るようにひよりを見る。  本当は彼もわかっているのだ。自分がどうすべきか。でも、強大な力の前に弱っているだけで。  そのまま腕を引っ張ると、つられたように彼は立ちあがった。 「私を外に連れ出すのは、あなたの仕事ではありませんか?」  言い聞かせるように告げると、佑助の顔が困ったように歪み、やがてゆっくりと小さく微笑んだ。 「そうだね、仕事だ」 「ぐっ」  力に押されて後ずさりながら、月歩は呻いた。  一つ一つの力は弱い雑魚だちだが、集まると埒があかない。  使い魔たちが受けるダメージが、月歩のもとにもやってくる。少しずつは大したことないが、集まると流石にしんどい。  右手の雑魚を一掃し、左に視線をやる。左から攻めてくるものに対抗しようとしたところで、頭上に影ができた。  とっさに、横に飛び退く。さきほどまで月歩がいた場所に、大きめの悪鬼が降ってきた。そのまま、素早い動作で月歩の足に噛みつこうとする。  とっさにそれをなぎ払おうとし、右手側から飛んできた別のものに驚き、足元が危うくなる。 「やっ」  これはまずい。使い魔を目の前に呼ぼうとするが、使い魔は使い魔で手がふさがっているようだった。 「いっ」  月歩の右足に一度嚙みつき、さらに顔を狙おうと跳躍した悪鬼に、なすすべもなく襲われそうになったところを、 「月っ」  声とともに現れた誰かが、薙ぎはらった。  黒い、影。 「佑助、さん?」  思わず声をかけると、彼は一つ頷いた。 「ごめん」  小さく謝る。  佑助の瞳の吸引力がなくなったとこで、自由な動きを取り戻した悪鬼たちが、まとまり始める。 「雫石さん」  佑助の後ろにいたひよりが、どこかこわばった顔をしながらも、それでもしっかりと頷いた  ああ、よかった。帰ってきてくれた、この人が。  思わず体の力が抜けて、座りこみそうになる。それを、佑助の右手が支えた。 「疲れているところ悪いけど、月、もう少しいける?」  佑助の言葉に、 「当たり前です」  強気で答える。考えるまでもなかった。守られる側ではなく、守る側なのは月歩の矜持なのだから。 「雫石さんのことは気にせず、思うがままに」  抜けかけた気力を、入れ直す。顔にかかった髪を片手で直し、微笑んでみせる。 「ありがとう」  佑助は、目を細めて、笑う。 「さすが月、頼りになるね」  それに月歩の心臓がどきりと跳ねた。  ああ、もうこの人は狙ってやっているのでは? 月歩が欲しい言葉をいつもくれる。好きになるなという方が無理だ。 「さて」  佑助はごちゃごちゃと集まった悪鬼たちに向き直ると、 「ここから本気で行くぞ。お相手願おうか」  高らかに宣言した。  佑助が困ったように微笑み、ひよりの腕を掴んだ。そう思った次の瞬間、外に出ていた。一人で苦戦していた月歩と合流する。  どこか気がぬけたような顔をした月歩の姿を見て安心した。なんだかわからないけれども、自分は成功したのだ。  そして今、月歩がひよりをかばうように立っている。 「行くぞ」  佑助がつぶやき、自分の右目に片手をあてる。今度はひよりからもはっきり見えた。彼の右目から、刀がでてくるのを。 「あの刀自身が悪魔の正体。佑助さんはそれを抑える、鞘です」  月歩が淡々と解説してくる。  ああ、右目に宿る悪魔というのは、そういうことなのか。想像以上に、物理的な話だった。  腰を落とし、刀を一度ふるう。ただそれだけで、周りにいた悪鬼たちが消滅した。一つ、残らず。影も形もなく。 「さっきは封印しなおすのを目的としていたから、手加減していた。このただの一振りで消滅させる力。これが佑助さんの本当の力です」  さっきまで月歩が苦戦していたものたちが、あっという間にどんどん消えていく。たくさん数がいたのに。  手が、震える。  詳しく何が起きているのかわからなくても、目の前にあるのが圧倒的な力の強さということだけは、わかった。 「怖いですか?」  月歩の問いに、怖くないと否定しようとして、 「怖いよ」  素直に答えた。月歩が少し意外そうにこちらを見る。  怖いか怖くないかで言ったら、怖いに決まっている。だって、あんなよくわからないものを、一振りでなかったことにしてしまうのだから。  でも、だから、目が離せない。  それでも、目が離せない。  それは、力を持っているのが天神佑助だから。  それってつまり、 「これが、恋でしょ?」  そう尋ねると、 「あなた、嫌な人ね」  どこか不服そうに月歩がつぶやき、 「冬虫夏草」  逃げてきた悪鬼を使い魔に踏みつぶさせた。ぐりぐりと足が動く。若干、オーバーキルの気配がする。  そうして、最後に残ったものを、佑助が叩き潰した。    刀を構えたまま、あたりを見回し、残党の気配がないことを確認すると佑助は大きく息を吐いた。  刀を右目に押し付けるようにしてしまう。  すぅっと瞳に吸い込まれたそれは、今日もわずかな異物感を与えただけだった。この違和感のなさが、いつまでたっても恐ろしい。  少しためらいながら振り返る。 「お疲れ様、冬虫夏草、高麗人参」  月歩が微笑みながら、使い魔たちを眠らせている。しかし、やっぱり彼女のネーミングセンスはいかがなものか。  月歩の後ろに隠れるようにして、ひよりはこちらをじっと見ていた。その瞳にある感情が何なのか、佑助にはよく読み取れなかった。 「雫石さん」  代わりに、ためらいながら声をかける。 「はい?」  思っていたよりもしっかりした返事があって、安心した。  もっと恐怖で怯えているかもしれないと思ったし、自分と話すのは嫌だというかもしれないと思ったのだ。それがなかっただけで、だいぶうれしい。 「助けてくれて、ありがとう」  頭を下げてそういうと、 「そんな、私の方こそすみません」  彼女は慌てて両手を振り、否定の意を示した。 「……お礼とお詫び」 「え?」 「何が、いい?」  先ほどした会話を思い出しながらたずねると、 「え、あ、あれは別にその。無我夢中で言っただけで本気じゃ」 「でも、迷惑をかけたのも、助けてもらったのも事実だから。俺ができる範囲だったら、なんでも」  そういうと彼女は困ったような顔をして、それから、 「………じゃあ、デートで」  思いもかけない提案をしてきた。デート? 「ダメですか?」  訝しげなこちらの表情を見て、おそるおそる聞いてくる。 「いや、ダメっていうか。それでいいのかっていうか」  デートってあれか? 男女交際的なあれか? 今この流れで、そんな言葉が飛び出てくるとは思わなかった。 「それがいいです」  なんだか力強い彼女の言葉に、ひよりの中で自分がどんな存在になっているのか思い悩み、 「佑助さん」  小声で名前を呼び、月歩が袖を引いた。振り返ると、 「昇」  両家昇がそこにいた。月歩の知らせを聞いてやってきたのだろう。彼はやけに無表情で佑助とひよりを見ると、右手を挙げた。  そのモーションに見覚えがあった。彼が精霊の力を借りて、火を放つ時の動作。 「ちょ、昇!」  慌ててひよりの腕を掴むと、自分の背中に隠すようにする。  ブラコン王子。消し炭にされちゃうのでは? そんな言葉が脳裏をよぎる。  昇は勢い良く腕を振り下ろし、直後、ごっと何かが燃えた。  佑助とひよりの後ろで。  振り返ると、小さな悪鬼が燃えていた。 「ツメが甘い」  淡々と昇が言う。ああ、なんだ、助けてくれたのか。  ほっと安堵の息を吐くと、 「佑助、お前まさか、本当に俺が、その子を消し炭にするとでも思ったんじゃないだろうな?」  クールな顔を不機嫌そうに歪ませて尋ねてくる。正直思ってたので、あいまいに笑ってごまかした。 「さすがの昇でも、こんな白昼堂々消し炭になんてしないわよねぇ」  どこか楽しそうに言いながら、旭もやってくる。 「お前、それフォローしたつもりか? 闇討ちならするって言ってないか?」 「被害妄想がすぎない? そうそう、倒れていた少年はちゃんとお家に帰しておいたわよ、安心して」  そういって微笑む。 「あ、ありがとう」 「いいえ。月姫、連絡ありがとう」  そして旭が微笑む。冷たく。 「ねぇ、でも、遅いんじゃないかしら? 連絡が」  綺麗な笑みに背筋が凍る。旭は今、本気で怒ってる。そして、昇もだ。 「こんなことになる前に、ちゃんと連絡してくれないかしら? たまたま無事にすんだからいいけれど」 「預かりものの佑助と、卜部のお姫様に何かあったら、俺たちが責任をとらされるんだぞ」 「ましてや、一般人まで巻き込んで」 「もっと早く、相談してくれればよかっただろうが」 「それは」  月歩が一瞬こちらをみて、それから言い訳するかのように早口で言った。 「これはあくまでも、わたしと佑助さん個人の捜査であって。両家のお力を借りるのは公私混同といいますか」 「なら、私か昇の個人の力を借りればよかったでしょう? ねぇ、そんなに私たちは信用できない? 頼りない?」  旭に畳み掛けられて、月歩はゆっくりと首を横に振った。 「いいえ。わたしが、悪いです」  軽く唇を噛んで、まっすぐに旭を見つめる。  月歩はプライドこそ高いが、だからこそ反省するべきところはきちんと反省できる子だ。彼女のそういうところは、佑助も好ましく思っていた。 「あら、素直」 「佑助は?」 「反省してる」  それは事実だ。誰も怪我をさせずに済んだが、悪魔を暴れさせて。失敗したらどうなっていたかわからない。 「オッケー、お説教の続きは帰ってからね」  あ、続くのか。これは長くなるぞ、とひっそりと覚悟する。反省はしているが、二人の長々しいお説教を聞きたいかといえば、それは話が別だ。 「ひよりちゃん、大丈夫?」  旭の言葉に、ことのなりゆきを目を白黒させながら見守っていたひよりが、慌てて頷いた。 「大丈夫です」 「よかった」 「うちの弟と、月姫を助けてくれてありがとう」  昇が礼を言うなんてめずらしい。などと、佑助はどこまでもひどいことをさらっと思った。 「一つ、確認していいかしら? あなたは今日、全てを見たと思うんだけど。それでも、まだ、うちの弟とデートしたいって思うの?」  旭は旭で、なんでもない口調でとんでもないことをぶっこんでくる。できればその話は昇がいるところで掘り返してほしくはなかった。  ひよりは困ったように佑助の顔を見てから、 「ずっと考えていたんです。悪魔ってなんだろうって。いざ言われてみると意味がわかんないなって」  それはとても、素直な感想だと思った。  悪魔なんて所詮架空の生き物で、せいぜいゲームや漫画の中で出会うしかない。それが、普通の感覚だ。 「天神さんのこと、怖くないって言ったら嘘になります」  その言葉に、少しだけ胸が痛む。わかっていたことだけれども、覚悟していたことだけれども。  そんな佑助に気づかず、ひよりは言葉を続けていく。 「でも、ぶっちゃけた話をすると、私、卜部さんのことも怖いです」 「あら」  急に話が飛んできて、月歩が意外そうな声をあげる。 「だって、変な根っこ操るし」 「根っこじゃありません」  月歩が本気で怒った声で答える。まあ、根っこだよね。 「あと、昇さんもなんか手のひらから火出すし。旭さんも、できるんですよね? もうほんと、意味わかんないし、変だし、怖いです。でも、その怖さのレベルは、正直みんな同じです」  ひよりは全員の顔に視線を移しながら続ける。 「私から見たら、精霊のご加護も、使い魔も、悪魔も、全部得体が知れなくて怖いです。だから、悪魔だから特別怖がれって言われても、困ります。それに、悪魔が怖いかどうかと、佑助さんを信頼するかどうかってまた別の話だし。それはもちろん、卜部さんたちのこともですけど」  ひよりの言葉を、佑助は意外な気持ちで聞いていた。  彼女は今、自分のこの厄介な悪魔を両家の精霊や、卜部の使い魔と同じに扱った。正当な、由緒正しい力として扱われている、両家と卜部の力と。悪魔のやっかいな力、ではなく。  たとえ、それが知識不足からくるものであっても、忌子として扱われてきた自分には、どれだけ嬉しいことか。後ろ向きだけれども、今この瞬間は正当な力と一緒に扱われたのだ。 「佑助さん!」  そんな佑助の表情に何を読み取ったのか、月歩が慌てたようにひよりと佑助の間に割って入った。 「勘違いしちゃだめです。落ち着いてください。いいですか、雫石さんは今、どちらにしろ怖いって言ったんです。悪魔も、精霊も、使い魔も全部怖いというカテゴリに入れたんです。それは勘違いしないでください。受け入れたわけではないんです。いいですか、佑助さんには、わたしがいます!」  月歩がそう宣言すると、ひよりがその後ろで微妙そうな顔をした。  確かに月歩が言う通りだ。  彼女に怖がられているのは紛れもない事実だ。でも、どこか救われた自分がいるのも、また事実なのだ。 「あらー、うちの弟モテモテね」  旭が楽しそうに呟くのが聞こえた。 「やってられないな」  小さく昇がつぶやくと舌打ちした。こっちはとっても怖い。  碓井天真は夢を見ていた。  中学の時、雫石ひよりの水泳の試合を見に行った時の夢だ。  当時付き合っていた子が水泳部で、近所だったことと、日曜で暇だったことから応援しに行ったのだ。  そこで、泳ぐひよりを見た。  彼女の泳ぎは素人目から見てもとても速く、美しかった。まるで水を味方につけた、人魚姫のようだ。  目が離せなくなった。その試合で恋人は負けたけど、恋人のことなんて全然見てなかった。  恋人とはその後すぐに別れて、結局試合にいくことはなかった。だから、ひよりの姿を見たのはその一度だけ。  高校に入って、教室にひよりがいた時は驚いたし、嬉しかった。同じ学校なら、泳ぐ姿をまた見られると思ったのだ。  でも、彼女は水泳部には入らなかった。それどころか、水泳自体をやめてしまったようだった。  もったいない。残念だ。また見たかったのに。  そんなことを思いながら、学校近くの神社を掃除していた。神社の掃除は、サッカー部の伝統行事なのだ。  友人たちとふざけながらゴミを拾う。そんな中でしめ縄とお札のようなものが貼られた、大きな岩を見つけた。意味深で、怪しげだ。  どろをかぶって少し汚れている。それが気になって手を伸ばし、その岩に触れると、 「え?」  次の瞬間、ばきっと音がして岩が割れた。  ええ、俺どんな怪力になっちゃの!?  誰かを呼ぶべきか、このまま見なかったふりをするべきか、とか思っていると、岩から謎の光がでて、それをもろに浴びた。  それだけだった。  だから、ちょっと不思議な体験として、すぐに忘れた。  でも、それから何度か夢を見た。  見知らぬ女が、許せない、ずるい。足をくれ。入らないのならば。そんな言葉を繰り返す夢。  意味のわからない、夢を見ていた。  それも、最近では見なくなった。いつだったか、神社の前で倒れていたところを、通りすがりの人に助けてもらった辺りから、見なくなった。  しかし、あの人、めちゃめちゃ美人だったな。  あとなんであの時自分は、神社で倒れてたんだっけ? それも実はおぼろげだ。部活サボったことになって、めちゃめちゃ怒られたけど。  そんなことを夢うつつに、天真は思った。   「あの岩に封印されていたのは、昔の人間。簡単に言うと、罪人だね」  あの事件から二週間後、いろいろな事後処理が終わったという佑助に呼び出され、やってきた喫茶店でのことだった。 「逃げ足の速さを生かし、何度も窃盗を重ねていたらしい。そんな中で、神社にある高価な宝石を盗み、祟られた。祟られたというか、宝石に憑いていた悪いものと一体化してしまった、というのが正しいかな。周囲に甚大な被害を及ぼすようになったから、足を切られて、封印されたんだ」 「それがなんで、碓井くんに?」 「同調したんだと思うよ。碓井くんが抱いていた、雫石さんへのもったいないとか羨ましいとか、そういう気持ちとうまいこと」  その言葉にちょっと微妙になってしまう。  彼にもったいないと思われているなんて、知らなかった。自分の水泳をそんなにも評価していてくれた人がいることを、どう受け止めていいのか。ちょっとまだ、よくわからない。 「あと、あれは足を奪われていたから。足を持っているのに泳ぐのをやめた雫石さんから奪おうとしたみたい」  まあ、すべては偶然の積み重ねだね、と彼は締めくくった。 「なるほど」  半分もわかんなかったが、とりあえず頷いておく。  正直、聞く前から自分にはわからない話だと決めてかかっていた。だから、真相なんて二の次なのだ。  確かに今日は、事件の真相が聞きたいという理由もあったが、それよりも重要なことがひよりにはあったからだ。 「あの、今日これからデートいう認識でいいんですよね?」  本題についてそうたずねると、佑助は一瞬困ったように動きを止め、それでもしっかり頷いた。 「約束だからね」 「だから、そんなお洋服なんですか?」  今日の彼はいつもの黒ずくめじゃない。  ポールスミスの赤い花柄のシャツを着ている。派手だが、よく似合っている。最初見た時、その格好だけでテンションが上がった。わざわざおしゃれをしてきた、ということだろうか。 「あ、いや、旭が張り切って。デートならちゃんとおしゃれしなさいって。これ、昇のなんだけど」  あの人、こんな服着るのか。意外だな。というか、旭さん、グッジョブ。 「似合ってないよね。恥ずかしいよね、ごめん」  早口でそういう彼の方が、恥ずかしそうだ。 「そんなことないです、かっこいいです!」  勢いよく言うと、どこか照れたように笑う。可愛い。 「あの、このあとどっかいきましょう。映画とか。いいですか?」 「もちろん。今日はどこにでも付き合うよ」  柔らかく微笑む彼に、無条件で嬉しくなる。  ここ数週間でいろいろなことがあった。でもひょりの胸に今あるのはただ一つの思いだけ。  あの時、あの場所で、何かお礼をしろと言い、デートを提示した自分、超グッジョブ! 頑張った甲斐があるというものだ。  デートの詳細をつめようと、さらに言葉を重ねようとしたところに、 「あら、雫石さん、佑助さん、奇遇ですね」  どこか棒読みのセリフが降ってきた。 「……卜部さん」  何故か微笑んで月歩が立っていた。しかも、その後ろには、 「なんで碓井くんまで」 「すぐそこで会って。お茶でもしようかということになって」  ここ、いいですよね? と月歩は言うと、返事も待たずに座った。それも、佑助の隣に。せめてこっちじゃない? 「お邪魔するね」  言いながら、天真がひよりの隣に座る。  本当に邪魔だ。偶然を装っていたが、月歩のことだ。絶対わざとだ。どこからか今日がデートの日だという情報を手に入れて、邪魔をしにきたに決まっている。天真がなんで一緒になってきたのかはわかんないけど。 「雫石さんさ」  じろっと月歩を睨んでいると、隣から声をかけられた。慌ててそちらを見ると、天真がちょっと真剣な顔で、 「もう、水泳はやらないの?」  思いもかけない言葉に、一瞬息が止まる。  どういうきっかけなのかはよくわからないが、彼は自分の水泳を認めてくれていた。そんな人には、真摯でありたいと思ったのだ。  だから、少し考えて、 「競技としては、やらないかなって思う。でも」  完全に離れられない程度には、ひよりは水泳のことが好きだ。  この前久しぶりに泳いだとき、心が弾んだのは事実なのだ。姉は水泳をやっていたときの自分はきらきらしてたと言っていたが、変な話、自分でもそう思う。  だから、 「趣味ではまたやろうかな、って思ってる」  微笑みながら告げたひよりのその答えに、 「そっか」  となんだか嬉しそうに天真が笑った。 「俺、雫石さんが大会で泳いでるの見て。中学の時。すごい、綺麗だなって思って。目が釘つけになった。だから、もう一回、見たいなと思ったんだ」  なんだか照れくさいをこと言われた。 「それなら、今度、みんなで一緒にプールにでも行って」 「雫石さん」  遮られた。  天真が真剣な顔をして、こちらを見ている。そうして、彼は、 「俺と、付き合ってください」  爆弾発言した。 「え?」  思わず動きが止まる。 「あらあら」  月歩が楽しそうな声を出す。ああ、この人は、知ってて彼を今日ここに連れてきたのか。全てを悟る。  天真と話したことなどほとんどなかったはずなのに。  それでも、ひよりと佑助のデートを邪魔するためには、天真をうまいこと言って呼び出したのだ。なんて人だ。クレイジーガールめ!  肝心の佑助はというと、我関せずといった顔でコーヒーをすすっていた。  それになんだか、イラッとする。 「あの、私、好きな人がいて」 「それ?」  ひよりの言葉に、天真が佑助を指差す。それって、ひどいな。  そうは思いながら、事実だから頷くと、 「でも、卜部さんの婚約者なんでしょ?」 「月。君はまたそうやって、いろんな人に嘘を教えて」 「あら、約束したじゃないですか」 「子供の時のことだよね」  佑助と月歩がそんなやりとりを始める。  ああ、なんだか、とてもややっこしいことになっている。 「じゃあ、わかった。とりあえず、付き合うのはなし。でも出かけよう。みんなで」  天真が言う。 「さっき、雫石さんそう言ったよね」  確かにプールに誘おうとしていたひよりとしては、違うとは言えなかった。 「あらいいですね。今日もよかったら、このあとみんなで出かけません?」  デートの約束を知っているくせに、月歩がそんなことを言う。  思わず佑助の顔を見ると、彼は軽く肩をすくめ首を横に振った。  二人を止められそうもない、ということらしい。頼りにならないなぁ!  それから彼は、小声でつぶやいた。 「ややっこしいのは、勘弁してよ」
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