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「そういえば、さっき渡していたのは何だ?」
再び流れに乗って歩き出しながら、思い出したように尋ねた。隣を歩く犬面はきょとりとした様子で「さっき?」と首を傾げる。
「ほら、丸い玉みたいな」
指で丸を作って示すと、合点がいったように「ああ」と頷く声が聞こえた。
「あれは、所謂お金だよ」
斑鳩は紫の巾着から3つの玉を出した。透明と青と赤。提灯の光に照らされて輝くつやりとした玉は、一見しただけではビー玉にしか見えない。
「透明が100圓、青が500圓、赤が1000圓。それ以上大きい単位や細かい単位はないよ。早々使う場面もないしね」
「ごめんな。俺、この町のお金もってなくて……さっき払わせてしまった」
「いいよ、これビー玉だし」
「えっ」
本当にビー玉だった。
驚いてまじまじと見つめるが、確かにどの角度から見てもビー玉にしか見えない。徹頭徹尾そうなのだから当然だ。
「さっき出したのだってラムネに入ってたやつだから気にしないで」
「え、でも」
釈然としない様子の千咲を遮るように、「何て言うかね」と斑鳩は頭を掻く。
「極楽町だけじゃなくて”彼岸モノ”全体に言える事なんだけど……あ、“彼岸モノ”ってわかる?」
千咲は首を横に振る。
「えっと、怪異やあやかしや幽霊みたいな所謂人間でないモノを”彼岸モノ”、逆にそうじゃない者を”此岸もの”って呼ぶんだよ。”彼岸モノ”の集まりやすい土地を境界線上の町ってことで”境町”って呼ばれる。これが転じてキミの住む町は”逆衣町”って呼ばれてるんだ。極楽町はいわば逆衣町を入口にした異世界の町ってところかな」
そこまで語り切って「話を元に戻すけど」と1つ咳払いをした。
「多種多様である”彼岸モノ”の間にはそもそも売り買いの感覚がないから、お金の概念が浸透してないんだ」
「それじゃあさっきのは?」
「この町の者たちは昔から人間の真似事をするのが大好きなんだよ。この祭も始まりはそうだったって聞いてる。……さっきのあれは金銭のやり取りをする人間の真似であって、通貨自体に価値があるわけじゃない。ビー玉集めにハマって屋台を出してる人もいるけどね」
「それじゃあ払わない方もいるのか?」
斑鳩は「いるよぉ」とあっけらかんとしている。
「そういう時はどうするんだ?」
「”もってけ泥棒!”って言って終わり」
「そんな大雑把な」
「知能レベルがピンキリすぎて、ルールや法律を作っても徹底できないんだよ。守れもしないものだから最初からない。でもそれだと無秩序すぎて迷惑だから、勝手に取り締まったり監視している機関があるんだけど……この話はいいや。関係ないし」
つらつらと語った斑鳩はビー玉を巾着に仕舞って大きく伸びをした。
「藤丸先生は本当に何にも説明してないんだねえ」
「ああ、そもそも俺はあの人の名前も知らなくて……。この招待状も落とし物だと思って拾って届けただけだったんだ」
四角四面な表情で頷く千咲に、斑鳩は「それで押し付けられちゃったの?」と可笑しそうに唇を歪めて見せる。
「押し付け……られたのか?」
気まずそうに首を捻る。
藤丸と約束をしていたという彼からしたら、まるで相手に嫌がられているような表現は不愉快ではないかと思ったのだ。
「押し付けだよ~。俺と藤丸先生はやっかいな頼まれごとをしててさ。あのものぐさで面倒くさがりな先生の事だから、偶然会った親切な君に押し付けたに決まってる」
「頼まれごと?」
「……それはもう少ししたら説明するよ。もちろん、此処に来た以上は手伝ってくれよ? つき合ってくれるって言ったろ」
「逃がさないぜ」とばかりにニヤリと笑う斑鳩に、「それは構わないけど」と真面目な顔で躊躇いもなく頷くものだから思わず笑みを消した。
「千咲くんはいつか騙されて損をしそうだね」
「嫌な事を言わないでくれ!」
千咲が悲痛な抗議の声をあげた時だった。
進行方向の先から何か大きな物が倒れるような音と、獣のような叫び声の交じる喧騒が飛び込んで来たのは。
「な、何?」
「……喧嘩かな」
恐々と身体を強張らせる千咲を小さな背に庇いながら顔を顰めた。
この極楽町にはルールや法律がないと語ったのは自身の口だ。それはすなわち、いつどこで争いが起きても不思議ではない場所だという事。現在進行形で連れまわしている自分が言う事ではないかもしれないが、なるべく危ない目には合わせたくなかった。
後ろにいる千咲の手を取ると、騒ぎから逃げ惑う臆病な”彼岸モノ”たちに流されないように喧騒の大きい方へと歩を進めた。怯えたような戸惑った声が聞こえるが、返事も返さずに引っ張っていく。確かに彼のことを思うと逃げるべきだったのだろうが、何となく騒ぎの中心にいる者に心当たりがあったのだ。
逃げなかった”彼岸モノ”たちは崩れた屋台のテントの周りをまばらに囲んで、対峙する2つの影を遠くから囃し立てていた。
真っ先に視界に飛び込んでくるのは大人よりもはるかに大きいずんぐりとした青い熊のような獣だ。対してそれと対峙する相手の影は随分と小さい。
「お、女の子!?」
千咲が驚いて声をあげた。
青い熊の前には小さな胸を尊大に張った少女が仁王立ちしていた。
歳の頃は千咲と同じか少し年下くらいに見える。青いような薄緑のような不思議な光を称えた白銀の髪の毛を無造作に肩に垂らし、白地に朝顔を散らした浴衣を着ている。髪の毛と同じ色のまつ毛に縁どられた勝気そうな目尻には、紅色の化粧が施されていた。
ずっと黙したままだった斑鳩は彼女の姿を見止めた途端、片手で顔を覆って深い溜息をついたのだった。
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