2:屋台通りの白い少女

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「このチビ! 何しやがる!」  青い熊ががりがりと両手で頭を掻いた。 「俺の屋台をぶっ壊しやがって! 一体全体どういう了見だぁ?」  がなる熊は肩をいからせて、鋭い牙をむき出しにして怒りを露にする。  どうやらあの白い少女が熊の屋台を打ち壊したらしいのだが、とても信じられなくて千咲はまじまじと少女を見てしまう。あんな細腕で、どうやったら屋台を壊すことができるのだろう。 (可愛い女の子に見えてもやっぱり人間じゃないんだなぁ)  ぼんやりとそんなことを考えていると、隣から「何やってんの、あの子……」と脱力した声が聞こえて来る。呆れと困惑がない交ぜにした様子の斑鳩をよそに、彼らの争いは激しくなっていく。 「言っておくがね。デカい図体で要らないモンの押し売りなんてされちゃあ、迷惑この上ないんだよ」  肩をすくめて不敵に笑う。 「通りは遮られるし、臆病なやつらは逃げていっちまう。折角の楽しい空気に水を差すんじゃない」  「なにより」と少女が袖を広げた。 「アタシの大事な浴衣が汚れたじゃないの」  そう言う彼女の浴衣は、遠目からはどこが汚れたのかはわからなかった。しかし目を凝らすと、袖口の端の方に小指の先くらいの小さな染みがあることに気がつく。浴衣の柄も相まって、よくよく見ないとわからないくらいの小さな染みだ。 「そんな小せえシミ1つのために俺の屋台はぶっ壊されたってのか!?」  ガアッと熊が怒鳴る。  ビリビリとした空気が伝わってきて、周囲に集まっていた看守たちはたじろいだ。千咲も思わず肩を跳ねさせる。  ところが1番近くにいるはずの少女は、熊の怒りなど聞こえていないかのように涼しげでどこ吹く風だ。怯えもしないその様子に腹を立てたのか、熊が鋭い爪のついた手を振り上げた。 「あぶない!」  思わず飛び出しそうになった千咲の手を、斑鳩が引っ張ってひき止める。振り返ると何か奇妙なものを見るような目がこちらを見ていた。 「斑鳩?」 「……キミは」  斑鳩が何かを言いかけた時、どよめきが起こって2人の視線は再び引き戻された。  少女が浮いていた。  飛んだ、というよりは跳んだのだろう。熊の手が振り下ろされるよりすばやく、その軌道上から逃れて一寸ばかり宙に浮く。振り下ろされた熊の手をとんとん瞬く間に登り、その青い鼻面に鋭い蹴りを放ったのだ。  白い小さな足から生まれたとは思えない轟音が「ぎゃっ!」という熊の悲鳴と共に聞こえてくる。次いで大きな音を立てて後ろにひっくり返った熊を見て、周りにいた観衆が調子の良い歓声をあげた。  強さを称賛する声や口笛に、少女は得意気に小さな唇をつり上げる。  しかしそれも長くは続かなかった。  ピーリリリリッ  神経を逆撫でするようなけたたましい笛の音が聞こえてきて、その場にいた全員が飛び上がる。 「やべぇ! 騒ぎすぎた!」 「逃げろ逃げろ!」 「"城守り"が来るぞー!」  先程まで興奮で赤くなっていた顔を真っ青にして、聴衆たちはまばらに逃げ惑う。 「千咲くん、逃げるよ!」  それは千咲の手を握る斑鳩も同じ。  悲鳴をあげる千咲を引きずるようにして駆け出した彼は、何を考えているのか少女の襟首をすれ違い様にむんずと掴んだのだ。 「ええっ!?」 「なあっ!?」  千咲と少女が声をあげたのは同時だった。 「あんた何のつもり!? アタシは城守りなんか怖くねぇってのに!!」  引きずられながら喚いている少女を見る。走るたびに揺れる髪が不思議な色にきらきらと瞬くのに思わず見とれた。表情は一貫して威嚇する柴犬のそれだが、それを差し引いても少女の造形は整っていると言えるだろう。 (近くでみると凄い美人だ)  ぽやっとした頭でそんな事を考えていると、視線に気がついた少女が千咲の方を見た。目を細めてじっと見つめられてどぎまぎしてしまう。 「ちょっと、こいつ……」  少女が何かを言おうとした時、ぐるりと2人の視界は90度程回転した。路地裏に入るために方向転換したのだ。目を回しながら着いていくと、数メートル程進んだところで斑鳩の足が止まる。  ぜえぜえと息を乱しながら振り返り、少女の方に顔を向ける。手を腰に当てて、不機嫌そうに唇を引き結んでいた。  明らかに怒っていると態度に驚いて少女の方を見るが、彼女はそっぽを向いて知らん顔。息も乱さぬすまし顔だ。 「あんなところで何をしてたの小鞠(こまり)ちゃん」  静かな声に小鞠は小さく鼻を鳴らした。 「小鞠ちゃん」  もう1度、名前を呼ぶ。 「僕、広場で待っててっていったよね?」  静かながら咎めるような声に、今度は盛大な舌打ちと共にそっぽを向いた。
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