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「月が綺麗ですね」
有名な台詞だ。
聡明な彼女なら直ぐに気が付く。
それ以上に無様に震えた声と、耳まで赤くなっていると自分でも分かる顔の火照りで気付かれているのだろうけど。
そう、理解している筈だ。
無言の時間。
夜風の冷たさが頬の熱を奪って行く。
冴え冴えとした月光の降り注ぐ元、数歩先んじていた彼女の歩みが止まった。
僕も足を止める。鼓動が煩い、自分のものなのに。
不意に駆け抜けた一陣の風が、月光の輝きを纏う彼女の髪を弄んで過ぎ去った。
「見せていたのは一面だけよ」
微笑を浮かべているのに、今まで見た事もない冷たい表情。
天を駆ける月の光が翳りを落とし、彫りの深い彼女の美しさをより一層際立たせる。
でも僕は、心臓を動揺に掴まれて動けない。
どうして、そんなにも冷たい表情を見せるのか。
一見の客でもない。惚れ込んだからこそ足繁く店へと通い、良好な関係を一歩一歩、堅実に築き上げて来たと言うのに。
告げたのは、嫌われる言葉ではない筈なのに。
彼女の瞳の奥に揺れるのは怒りの感情。侮蔑の眼差しが僕を刺し貫く。
「お馬鹿さん。インテリを気取るには貴方は余りにも薄っぺら、二度と御店に来ないで頂戴」
辛辣な言葉を残し、彼女は合図に降りて来た無人ドローンタクシーへと一人乗り込んで去った。
最早、僕には一瞥もくれず。
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