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御伽が目指したのは廊下を曲がった先にある社員用のレストルームだ。誰もいないのを確認すると、素早く個室に入る。鍵をかけ、自動で開いた便座の蓋を下ろせば準備完了だ。便座に腰掛け、その時を待った。
暫くすると、靴を踏み鳴らす音と一緒にガヤガヤとした数人の話し声が聞こえてきた。先ほど見えた女性社員達が化粧直しにやってきたようだ。
「ねえ、聞いた?」
個室に人が入っていることを気に留めた様子もなく、声も潜めずにそのうちの一人が口を開いた。
「月島グループの社長が亡くなったんだって」
「あ、さっき流れてたニュースでしょう。スマホで確認してみたんだけど、マジらしいよ。自宅で亡くなったんだって」
「自殺って本当かな」一人が訝しそうに「だって月島グループっていったらさ」と話を振った。
「ああ。あの女の実家よね。本人曰く、家族全員から腫物みたいに扱われてたって話だけど」
答えた声は、何処となく小馬鹿にしているように聞こえた。
「取引先との接待でも、聞いてもいないのに本人がべらべら話してたわ。『継母や姉達と馴染めなくて、ずっと居場所がなかったんですぅ。しくしく』。あんたは何処のシンデレラよ、って」
「うわ、マジ?」
「で、掃除や洗濯や家事全般押し付けられてたとか遠回しに言うのよ。手荒れもないし、お茶くみ一つ出来ない癖に何言ってんの? って感じだけど」
「やばい。それウケる」
「取引先が男性なら同情してくれるところもあるんだけど、相手が女性だと嘘泣きだってばれるから場が白けるのよね。商談もパアになることあるし」
「はあ? 最悪じゃない」
「そうなのよ。本当に、その時の王地専務の嫌悪に歪んだ顔ったらないわ」
話し手が微かに笑ったのが分かった。
「社長に言われて妻同伴という形を取ってるみたいだけど、あの女のせいで専務の取引って殆ど実績ないのよね。ぶち壊しまくり。あれでよくもまあ、次期社長夫人でござい、って顔が出来るわ。良い根性してるわよね」
「専務から恨まれてるんじゃないの。社長に取り入って無理矢理結婚したって話だし」
陰口が楽しくなって来たのか、彼女達の声が弾んでいる。
「やばいわよね。普通そこまでする?」
「私だったらいくら専務と結婚出来るからって、社長と寝るとかないわ。言っちゃあ悪いけど、禿げた中年太りのオッサンだし。専務は母親似よね」
「それで、当の専務とはレスなんでしょう」
「最初から関係なんか持ってないみたいよ。例の彼女に弁明してるの聞いちゃった」
途端に数人から黄色い声がこぼれた。なかなか面白そうな情報だ。御伽は身を乗り出して聞き耳を立てる。
「普段なら不倫とか最悪って思うけど、専務の場合はね……」
「本人の意思に関係なく無理矢理引き裂かれちゃった訳だもの。やっぱり同情しちゃうわ」
「でもさあ」思い立ったように一人が呟く。「相手の女性ってどんな人なんだろうね」
彼女達の誰も知らないのだろう。一分ほど沈黙が流れた。
「少なくとも、あの女よりまともよ。じゃなきゃ私が許さん」
「出た、専務ガチ勢」
「推しをこれ以上不幸にはさせたくないわ」
「分かる」
そこから王地幸成について褒め称える会話が繰り広げられた。見た目もあって女性社員からも人気があるらしい。確かにその辺のアイドルよりも煌びやかな容姿だった。ファンも付くはずだ。
彼女達がお喋りに満足してレストルームを出て行く足音を聞きながら、一人残った御伽は、個室に閉じこもったまま腕を組んで考え込んでいた。
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