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「全然キュンとしないよ?」  渡されたノートに目を通した部長の村本和美(むらもとかずみ)が、あきれた顔をしている。 「頑張ったのに……」  シュンと、沢田真奈美(さわだまなみ)は肩を落とした。  部とは名ばかりの文芸部のため、活動日なのに和美と真奈美の他に誰も来ていない教室は、ガランとしている。部長の和美は高校三年生。真奈美は二年生だ。部員は十名ほどいるのだが、全員揃うことはまずない。もちろん顧問の教師も、ほぼ来ない。二か月に一度、詩集を発行するというだけが部活動なので、編集、製本をする日以外は、ただ、おしゃべりをしているだけの部活である。  詩集といっても、『帰宅部よりマシ』くらいに入部している幽霊部員が半数を超える部なので、心に残るような詩とは、とてもいえない作品が多い。  そんな中で、真奈美は部では珍しい『ガチ執筆』勢だ。WEBで小説を発表したりしているのだが、巧く書けなくて悩んでいる。  部長の和美は、編集者志願で、編集をしたくて文芸部に在籍している変わり種で、真奈美が小説を書いていると知ってから、親身に相談に乗ってくれている。どちらかと言えば思い込みの激しい真奈美にとって、和美の一歩引いた視点は、非常にありがたい。 「あのさ、もう、無理に恋愛小説書こうとしないほうがいいんじゃない?」 「でも……やっぱり、好きなものを書きたいですし」  真奈美はWEBで人気の異世界恋愛ものが大好きだ。  キラキラしたドレスを着て、カッコイイ王子様と恋をする。そんな話を書いてみたいと常々思っている。 「いや、あんたさ、まず、恋愛経験ないっしょ。だいたい、ヒロインが無駄にオカルトに詳しくて、ヒーローと何ページにもわたってデビルについて語り合うとか、そもそも何書きたいかわかんないし」 「だって、他人と違うものを書かないと、オリジナリティがないですよね?」 「……いや、恋愛ものを読みたいひとが、デビル談義を読んで喜ぶわけないと思うよ」  和美はふぅっとため息をついた。 「あんた、恋愛をしなさい」 「え?」  真奈美は目を丸くする。 「いや、それって、相手がいることですし」 「付き合えとは、言っていない」  和美は真奈美にノートを返して、微笑む。 「とりあえず、誰かを『好きになった』つもりで、ひと月くらい目で追ってみたら?」 「はあ」  恋愛経験が必要なのは、真奈美にも理解できる。しかし、ほいほい恋ができるようなら、とっくにしていると思う。 「……少なくとも、うちは共学なんだから。その気になれば片思いの一つや二つできるわよ」  和美は肩をすくめた。 「そう言われても」 「だから、お試しだって。それこそ、あんたの席の右斜め前の男ってことにしておきなさい」 「何の罰ゲームですか……」  そんな適当に相手を決めて、片思いって、出来るものとは思えない。 「明日から、一か月、目で追って、ひっそり焦がれる疑似恋愛しながら、感じたこと、わかったことを毎日メモなさい」  次の小説を書くのはそれからね、と和美は言い放つ。 ──小説、上手になりたいだけなんだけどな。  夕日の差し込む教室で、真奈美は深いため息をついた。  翌日。  登校した真奈美は、馬鹿正直に、右斜め前の男子に目を向けた。  真奈美の右斜め前の席は、山本浩平(やまもとこうへい)という男子だ。  浩平は剣道部で精悍な顔つきをしている。硬派な印象で、ちょっと目つきも怖い。身長は高い方ではないが、均整の取れた体つきだ。  そして、とても姿勢が良い。今まで意識したこともなかったが、相当カッコイイ部類の男子である。 「何か用か?」  ぎろり、と、浩平が真奈美の方を振り返った。胸がヒヤリと冷える。  さすがに、不躾な視線を送りすぎたようだ。 「え? ううん。何も……」  真奈美は慌てて首を振り、視線をそらす。武道をやっているせいなのか。視線に敏感なようである。 ──とりあえず、片思いの相手にちょうどいいか。  とはいえ。そもそも恋愛をしたことのない真奈美である。読書で得た知識によれば、恋愛とは相手を見るだけでドキドキキュンキュンしたりするわけなんだが、今、心臓が止まりそうだったのは、それなのだろうか? ──まずは、相手をよく知らなければ。  真奈美は、浩平の観察を始めることにした。  山本浩平は、背はそれほど高くはない。目は大きくて、とても鋭い。髪はスポーツ刈りだ。休み時間は、クラス男子とソーシャルゲームの話をして過ごしている。体育会系男子らしく、弁当箱はかなり大きい。  昼休みに、可愛い女の子が浩平を教室に訪ねてきた。いつものことだろうか? 今まで気に留めたことがなかったので、まったくわからない。  彼女は隣のクラスの美少女で、最上雪奈(もがみゆきな)。いわゆる、目立つ女子だ。  漏れ聞こえる会話からみると、かなり親しそうに見えた。  浩平は勘の鋭い男で、観察には注意を要した。気が付くと、視線がぶつかるのだ。  相手に気づかれてしまっては、疑似片思いの計画が失敗してしまう。 ──慎重に。慎重に。  真奈美は、緊張する。  ひっそりと焦がれるような片思いを体験するのが目標であるから、絶対に相手に気づかれてはならない。  とはいえ。放課後、剣道部の活動している道場に覗きに行くのは、恋愛ものの鉄板だ。  王道は外してはならない。  使命感に燃えて、真奈美は竹刀の音の響く道場へ足を向けた。  道場の窓際に、女子生徒のギャラリーがいて驚いた。  どうやら、真奈美が知らなかっただけで、剣道部は県下でも有数な強豪ということもあって、人気があるらしい。  ちらりと中を覗いてみたが、防具をつけているからよくわからない。辛うじて、浩平がどこにいるか、把握したものの、表情が全く見えないし、剣道に素養は全くないから、残念ながらドキドキはしなかった。  武道系のせいか、ギャラリーさんは、思ったより静かに見学していて、誰をお目当てにしているのか、真奈美にはわからなかったが、その中に、昼休みに訪ねてきた女の子がいた。  静かに、熱心に稽古を目で追っている。実にけなげである。 ──おおっ。そうか。やっぱりカノジョさんだったのか。  真奈美は納得した。  浩平のような男子であれば、付き合っている子がいても不思議はない。 ──ううん、困ったな。  さすがに、付き合うどころか、告白する気もない疑似片思いとはいえ、横恋慕は迷惑である。  しかし、これは、疑似失恋のチャンスだ。  真奈美の脳裏に、旅と失恋の後には大作が書ける、という言葉が浮かぶ。 ──よし。ひそやかに、二人の恋を応援しつつ、決定的なシーンに出会って『失恋』しちゃうっていうシチュエーションで行こう。  こぶしを握り締め、真奈美はひっそり決意した。
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