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「理人様っ?」 「黙っていろ」  居丈高な声が、静かに命じる。  初めて聞くような声に驚いて、晶は理人を見た。目の前で膝をつく理人は、晶と目が合うと優しい笑顔を浮かべて微笑んでくれた。  利き手が頬に触れてくる。 「ありがとう、晶。でもね、それじゃ……意味がない」  それは、妙な響きの混じる声。優しいのに、背筋がゾクッとする。不思議な違和感を伴って晶を包んだ。揺れる視線が不安を滲ませ、それにいち早く勘付いた理人が晶の見慣れた(・・・・・・)笑顔を浮かべた。 「今日はね、 モニターなんだよ」 「モニター?」 「そう。兄に頼まれたんだ。今度、社のVIPを泊めるらしくてね。事前にどんな具合か泊ってみてくれてって。――そうだったな? 神田」  立ち上がって神田の方を笑顔で振り向いた理人に、神田は深々と(こうべ)を垂れた。 「はい。左様にございます」 「ほらね? だから、僕もタダなんだよ。それに、モニター役を果たさないと兄に叱られてしまう」 「そ、う……なの?」  頷く理人に、晶は神田を見た。  晶の視線に気付いた神田は笑顔でこちらに頷き返し、二人を改めてエレベーターの外へ促した。  モニターの役目があると言われれば、そう簡単に断ることもできない。晶で役に立つのなら貢献したかった。  逡巡の末、エレベーターを降りて恐る恐る奥の部屋に足を踏み入れた。 「……わぁ」  思わず口から出た感想は、そんな安っぽい感嘆。その分、説得力もある。  ホテルがロココ調であるからか、この部屋も全体的にその流れを汲んでいる。ただ置いてある家電が最新式なので、それを適合させるために内装自体はシンプルだ。  入った奥に広がる、優雅なリビング。大きなピクチャーウィンドウの向こうには、夢の国のシンボルというべき城が見えている。豪奢な家具が優美に鎮座し、凝った刺繍のソファや猫足のテーブルなど触れることも憚れる美しさだった。  理人は軽く周囲を見渡しながらダウンジャケットを脱ぎ始める。すかさず神田が理人の背後に回り、ジャケットを脱がせるとそれを当然のように受け取った。扉近くのクローゼットにジャケットを仕舞い、晶の方を振り返る。笑顔で晶にも同じことをしようとしたので、慌てて晶は自分でコート脱いだ。  神田は何も言わず微笑んだままコートを受け取り、理人のジャケットの隣に晶のコートを掛ける。 「案外狭いな」 (これ狭いのっ?) 「当ホテルの敷地面積では、これが限界でございまして。申し訳ございません、理人様が通常お泊りになる部屋からすると一回りほど狭くなっております」 「付き人や警備の人間はどこに入る?」 「こちらは作りが二階層になっており、右のお部屋に階段がございます。こちらが関係者の宿泊フロアです」  そう言って案内された二階は、下以上の豪華さだった。まず調度品が違う。それが素人目にも分かった。  リビングの中央に置かれたソファとローテーブル。卓上に並べられた兄たちからの贈り物。モニター役を務めるだけで何故贈り物が届くのかは疑問だったが、理人は神田に何故とは尋ねなかった。その理由が彼には分っているのだろう。 「晶、どうかな?」 「どうって……、凄いと思う」 「気に入ってくれた?」  気に入るも何も、凄すぎてよく分からない。  こんな部屋、初めて見る。リビングの奥に見えるのは寝室か。左手にはダイニング、コネクティングルームの奥にまた別に部屋があるのが見えた。一体何室あるのか。ここからはでは、すべては数えられない。 「もしかして、気に入らなかった? 旅館の方が良かった?」 「あ、ううん。いいと思う、よ?」  何故か少し焦った様子を見せた理人に、慌ててそうではないことを伝える。  安易に考えていたが、思いのほか重要な役どころなのかもしれない。VIPを泊める前の感想はあって損はない。改善点があるなら先に見出すべきだ。  晶は周囲を見回し、神田に見て回っていいかを尋ねた。  神田は笑顔で頷き部屋を案内してくれようとしたが、理人がそれを止めた。 「お前も仕事があるだろう? ここはいいから、もう戻るといい。案内ありがとう。ゆっくり、寛がせてもらうよ」  その一言に神田が一歩下がる。心得た様子で深く頭を下げた。  恭しく壮年の男性が一礼する姿に、晶は思い知る。つい忘れそうになるが、彼はあの佐賀美家の御曹司。住む世界の、土台がそもそも違うのだと。  人の上に立つよう教育され、かしずく人間が当たり前のごとく周りにあり、国を中心で動かしてゆく。理人の祖父は、経済連の現会長だ。父親は名のある代議士で、国会で答弁しているのをテレビで見たことがある。長男は社のCEO。次男はグループの関連会社の建設業で成功をおさめ、三男は飲食業関連で業績を上げている。  ただ一人、四男の理人だけが佐賀美グループではなく個人で事業を起ち上げていた。本人は「四男だからね」と笑っていたが、会社の人間に理人だから許されたのだと聞いた。兄弟の中でも群を抜いて有能な理人は、新しいもう一つの佐賀美グループを創業すべくその礎を任されたらしい。 「それでは、私はこれで失礼させていただきます。御用の際は、内線にてご連絡ください」  神田が去って行くと、晶は小さく息をついた。  トイレに行きたくてレストルームを探す。リビングを抜けた、ベッドルームの奥にそれはあった。隣はバスルーム。全面ガラス張りの透け感抜群の構造だ。今日はこれに入るのかと思えば、少々気恥ずかしい。  さっきは顔を洗っただけだったので、広いレストルームからトイレに入り用を足す。  リビングに戻ると、ソファに腰掛けて優雅に長い脚を組む理人を見つけた。ただ座っているだけで絵になる男だ。手にはメッセージカード。兄からのものだろう。 (……無謀、かな。やっぱ)  こんな絵に描いたような王子様と、庶民丸出しの自分が対等でいたいだなんて。エレベーターではあんなことを言ってしまったが、正直鼻で笑われてもおかしくない戯言だ。  今日まで理人が晶に合わせてくれていたのか、特別な差はあまり感じなかった。ジャンクフードを食べたことがなかったり、住んでいた実家に何部屋あるのか知らなかったり、公共の乗り物に生まれてこの方乗ったことがなかったりと、色々驚くことはあっても笑っていられた。  だが神田の態度に、見えなかっただけで常にそこにあった透明な壁を実感した。 (多分だけど、俺が友人面でいると理人が困る時がくる)  付き合う人間は選べ。そんな台詞が似合う家柄だから、今のうちに正しい距離は保っておく必要がありそうだ。友人をやめるつもりはない。けれど、あまり近くにいすぎてもいけない。  対等なままでいたいなら、距離を取る頃合いなのかもしれない。悲しいことだが、世の中には綺麗事だけでは済まされないこともある。 「どうしたの? こっちにおいで?」  カードを胸ポケットに仕舞いながら、理人が笑顔で自分の隣へ晶を招く。それへ薄く笑みを浮かべて頷き、しかし彼の隣ではなくL字型の一番端に腰を掛けた。  今日を、その第一歩にしよう。理人の中でこういう友人もそういえばいたな、とたまに思い出してもらえるだけで十分だ。たまに飲みに付き合ってもらって、年始の挨拶ができるくらいを目指そう。 「この花束、凄いな。まるでお祝い事だ」 「……そうだね」  ギ、と。スプリングが軋む。驚いて隣を見た。場所を移動して晶の隣に腰掛けた理人が、肩も触れ合うほど傍にいた。しかも妙に近い。 「……さんの言うことも一理あるか」 「ん?」 「鈍い子には実力行使」 「じつ? え、何?」 「それでも手に入らない時は既成事実」 「は?」  間抜けな返事しかできない晶に、理人が笑みを深く刻んだ。優雅に立ち上がり、用意されていたカトラリーを二人分並べる。慣れた手つきでシャンパンのコルクを開け、グラスにシャンパンを注いだ。  そして目の前で隠すことなく、シャンパングラスに入れられた白い錠剤。 「はい、晶」  満面の笑顔で差し出され、困惑する。 「理人、今」 「飲んで」 「でも、なんか入れて」 「飲んで?」  揺れる淡い金色のシャンパン。軽く回しただけで溶けてしまった錠剤に、異様なものを感じ取る。 「僕のこと、友達だと思ってるんだよね?」 「え? あ……う、ん」  本当の気持ちを見透かされるのが怖くて、俯いた。どうにかこうにか頷いたが、落ちた沈黙が怖い。血の気が引く。まさか不純な想いがバレてしまってはいないだろうか。  後ろめたさがあるせいで、拒否することができない。晶はグラスを理人から受け取り、意を決して一気に飲み干した。微炭酸だったせいで多少噎せたが、意外にも味は美味しかった。 (もしかして、ラムネかなんかだったのかな?)  ペロっと濡れた唇を舐めて、そんな安易なことを考える。 「……、クク」  低く喉を鳴らす理人は、満足そうに空になったグラスを眺めていた。
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