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 ◆ ◆ ◆  カクン、と。晶の顔が力なく横を向いた。痙攣しながら意識を失った愛しい人に、理人はどうしたものかと首に手をやる。  どうやら無理をさせたらしい。可愛くてたまらなくて、つい我を忘れてしまった。これは起きたら完全に叱られるコースだ。怒った顔も可愛いのでなんら問題はないのだが、一つ問題があるのだとすれば理人がまだイっていないことだった。 「……」  白い腹の上。精液とは違う体液が溢れている。透明なそれは理人が腰を揺らすと、素直にそこから溢れてきてくれた。鼻の奥がツンとするほど、興奮する淫らな光景だった。  喉の奥で低く笑い、晶には到底見せられないような顔をしながら華奢な体を揺さぶる。 (やっと、やっと手に入れた……)  感極まった表情で胸の内に紡いだ台詞は、どこか狂気を含む。紅唇が歪に半弧を描き、黒い眼はギラギラと獰猛なまでに揺らめいていた。  笑みを深くして、理人はベッドを濡らす晶の体液に触れた。散った白い液体を見つけ、手を止める。一旦自身のものを引き抜き、濡れた腹部に顔を寄せた。  赤い舌先を覗かせ、ピチャピチャと丁寧に舐め取ってゆく。晶が軽く身じろいだが、腹から伝った透明な雫も零さず舌で掬い取った。  舌なめずりしながら再び晶の中に入り、小さく呻く彼の頬にキスをする。赤い鬱血を首筋に刻みながら、そう簡単に下りてはこない奥で吐精した。 「っ、……は、……ぁ」  いつになく快感は深い。晶の中で達した歓喜が余韻を長引かせる。   汗ばんだ前髪をかき上げ、このままもう一度いたしたい衝動をねじ伏せながら晶の中から出ていった。  まだまだ堪能し足りないが、彼の体が持つまい。あまり初回から好き勝手やってしまうと、次が遠のく。晶が理人の押しに弱いことは知っているけれど、それでも最終的な決定権は自分にない。晶に本気で拒まれれば無理強いはできないし、そもそもショックでそれどころではないだろう。  穏やかな寝息を立てる唇を、そっと啄む。  今日を夢見て一年と弱。長かった。とにかく、必死だった。  同性のハンデは予想以上に大きく、晶は理人を最高の親友だと豪語し続けた。笑顔でいたが、腹の底では焦りと不安が今にも暴走しそうだった。何度計画の変更を強いられたか、分からない。  こんなに思い通りにならなかったのは、おそらく生まれて初めての経験だろう。さすがは自分が惚れた相手だと、手放しで称賛するしかない。  果てしなく、鈍い。その一言。あれだけ周囲と分け隔て、殊更甘やかしては特別扱いをし続けたというのに、まったく気付いていなかった。まったく、だ。この事実がある意味恐ろしい。  浮気すれば即座に捨てると断言されたので、二心を疑われないように気を付けなければならない。自分でもこんなに一途だったのかと驚く一方、晶以外はどうでもいいのが本音だ。一応家族や神田は別だが、晶が隣で笑ってくれるためならば何を犠牲にしても構わない。  ベッドから下り、シャワーを浴びるために晶の傍を離れる。晶が目を覚ました時に汗臭いとは言われたくなかった。それにきっと風呂に入りたがるだろうから、ある程度の準備を整えておきたい。  手短にシャワーを浴びて広いバスタブに湯を張り、バスローブの紐を結びながら晶が飲むドリンクを準備しに、キッチンへ向かう。 「……それ以上晶に近づいたら、お前でも殺す」  一度晶の様子を見にベッドルームへ戻った理人は、眠っている彼を興味深そうに眺めている男へ怒気を吐き捨てた。  男は恭しく一礼すると素直に晶から離れ、一言謝罪を寄越してくる。 「どうした」 「一弥様たちがお着きになりました」 「一兄たちが? 父さんが寄越したのか?」 「迎えには秘書の方がいらしたのですが、優里亜様が追い返してしまいまして……。代わりに一弥様たちをお呼びに」  想像だに容易く、理人はあきれ顔で神田を下へ促した。  晶はまだ起きる様子がない。けれど話し声で起きない可能性もゼロではない。そのため、隣のリビングで話すよりはいいと思った。  優里亜はプロのピアニストだ。海外公演を終えて直接このホテルへやって来た。今日の計画を兄たちから知らされ、息子がフラれるとは盲目的に思っていないため、晴れて恋人同士になったところを祝いに訪れたわけだ。  しかし、タイミングが悪かった。お陰で晶にあらぬ誤解を抱かせてしまった。 「坊ちゃま。わたくしが口を出すことではないのは重々承知の上ですが、晶様に例の件はお話にならないのですか?」  理人へ炭酸水の入ったグラスを手渡しながら、どこか心配そうに神田が尋ねてくる。  グラスを受け取り、一口口に含んでから理人は小さく頷いた。 「話す。謝らないといけないからな。――……だけど、怖いんだ」 「怖い? 失礼ですが、その……坊ちゃまが、ですか?」 「怖いさ。晶に嫌われるくらいなら、死んだ方がマシだ」  驚嘆している元専属の執事に、理人は苦笑する。  これまで他人に興味がなかったから、嫌われようと憎まれようと問題はなかった。思うように行動すればよかったし、結果さえ求めていればそれでよかった。  しかし、晶は違う。嫌われたくない。その感情が、理人を弱くする。彼への恋慕は強みでもあるが、最大の弱点でもある。それをこの一年で学んだ。長々と真実を語れなかったのも、そのせいだ。  もし、嫌われたら。その恐怖心が理人の中にずっとわだかまっている。これを上の光稀に相談すると、何故か嬉しそうに肩を叩かれた。  その葛藤と恐怖心を一生忘れるな。そう言われて今日まで来たが、まだすべてを理解したとは言い難い。  晶はいくら金を積んでも、自分が納得しなければ絶対に許してくれないだろう。そういう性格だ。理人が持っているものをすべて並べて見せても、見向きもしてくれない。むしろ下手をすれば逆上される。許してもらうには、誠心誠意謝るのみ。それしかない。 「晶は、まだ指が上手く曲がらないんだ。生活に不自由しているようではないけれど、でも全く何もないわけではない」 「左様でございましたか」 「どうして、折れたのがこの手じゃなかったんだろうな。障害が残るのなら、この手であるべきなんだ。なのに、こんな形で罰が当たるなんて」 「ですが、医師の診断ではリハビリで」 「リハビリを行うのは晶だ。僕は、手伝うことしかできない。辛いんだろう。リハビリの後は、いつもひどく疲れてる」  深く息を吐き捨て、頭を抱える。前屈みになって両手で頭を覆い、晶を手に入れたことによって新たに生まれた恐怖を噛み締めた。  だが、ここから逃げることは許されない。隠し通すことはできるかもしれないが、長引けば長引くほど晶は理人を許さなくなる。分かっているのに、晶が離れて行ってしまうかもしれない身勝手な恐怖心から身動きが取れない。 「――……晶が、好きなんだ。本当に、心から愛してる」 「分かっていたつもりですが、今日それを改めて思い知りました。あの方は、坊ちゃまが膝をつくほどのお方なのですね」  幼い頃から天才と誉めそやされ、祖父からは人の上に立つための教育を施され、両親や兄たちからは一心に愛を受けた。何をやっても周りより上手くできた理人。そんな環境で育って、プライドが低いわけがない。それはそれは、天にも到達しそうなほどの高さだ。  その理人が、膝を付く。晶にだけ。彼が罪を許してくれるのなら、額を地面に擦りつけて謝る。  実際、リハビリテーションへ駆けつけた際は土下座をして晶に謝った。リハビリのことを言い淀む晶の母親から全てを聞き出した時、血の気が引いた。生きた心地がしなかった。自分のやったことが、いかに罪深いのかを痛感したのもその時だ。 「坊ちゃまがお選びになった方です。きっと誠心誠意謝罪すれば、許してくださいますよ」  そう言ってグラスに炭酸水を足した神田は、チラリと階段の上を見た。晶が起きたのかと思って振り返ったが、そこには誰もいない。 「それでは、わたくしはこれで失礼いたします。何かございましたら、お電話ください」 「あぁ。優里亜さんと兄たちには上手く言っといてくれ。今日、晶を会わるつもりはない」 「畏まりました」  恭しく一礼して出て行った神田を見送って、理人はソファへ体を横たえる。見つめる先の高い天井。  目を閉じて吐き出したものは、やはり深いため息だった。  ◆ ◆ ◆  神田には、おそらく見つかった。目があった気もする。けれど、彼は何も言わずに出て行った。  数分間、完全に落ちていたと思う。だが目覚めるのも、また早かった。軋む体をどうにか起こしてベッドから下り、話し声のする方へ壁伝いに進んだ晶は話し声に耳を傾けた。  降りて行こうとも思ったのだが、内容があまりに衝撃的過ぎて動けなかった。 「……」  空調の効いた室内で、素っ裸。怠くてしかたない体を必死に動かしてベッドへ戻り、極力物音を立てないように気を付けながら寝転がる。  軋むベッドのスプリング。優雅に回るシーリングファン。天井に向かって利き手を掲げ、リハビリ途中の上手く曲がらない右手の薬指と小指をジッと眺めた。  意識して曲げてみても、上手くいかない。これでも事故当初よりは曲がるようになった。が、やはりまだまだ歪だ。  腕を下ろして横向きになり、その拍子に奥に出されたものが溢れてくる。独特の感触に驚いて思わず利き手をやると、男の体液が指に触れた。それが丁度、右手の薬指と小指の部分。  淡く白い液体はゆっくりと腕を這うようにして垂れ流れ、そのうち肌に吸われて動きを止めた。  正直、事故のことは驚かなかったと言えば嘘になる。あの事故にそんな裏があるだなんて、考えもしなかった。 (……俺、変なのかな)  なのに、ちっともショックを受けていない。怒りや失望、悲しみや落胆。そんなものが一切ない。これっぽっちも。    頭の上にあるピローを腕に抱え、体を丸める。柔らかなベッドの上をゴロゴロ。右へ左へ。行ったり来たり。  いい匂いのするピローへ顔を埋め、一人肩を震わせる。そう。これは、間違いない。認めずにはいられない。次から次へ溢れてく感情。  歓喜。     歪なのは自分でも分かっている。それでも嬉しい。理人がそこまでして自分を手に入れようとしていてくれたことが、嬉しくてたまらない。怖いなんて思わないし、嫌だとも思わない。  理人があれだけ気落ちして怖いと言っていることを、喜ばしいだなんていかがなものか。分かっているけれど、込み上げるものは止められない。きっとこういう点で、理人も晶も似た者同士なのだろう。  今の晶を知れば、理人はどう思うのか。それこそ失望するのか。それとも安堵するか。なんとなく後者だろうなと想像ができて、晶はピローから顔を上げた。  そこへ聞こえてきた、階段を上がってくる足音。向きを変えて、乱れたシーツの上に仰向けになる。 「ぁ」  晶のためにペットボトルを手に戻って来た理人が、珍しく動揺を見せる。話を聞かれたかもしれないと心配しているのだろう。やけに不安げな表情だ。そんな彼は見ていたくなくて、晶は無言で手招きした。 「?」   不思議そうな顔をしてベッドに上がってきた理人を強く抱き寄せて、薄く濡れた右手で彼の頬を撫でる。  安堵に微笑む理人は晶の右手に手を重ね、手の甲へそっとキスを落とした。そんな彼へ晶も微笑みを返し、初めて自ら指を絡める。  理人へ、全部知っていることを告げようか迷った。その方が理人は安心するだろう。だけど、言わないことにした。今決めた。  待とう。理人がちゃんと口にしてくれるまで。彼が自分の意思で決めて、話してくれるまで。    (それに、切り札は取っておきたいし)   もう一つの本音がここ。  表向きの理由には正当性もあるから、神田に何か言われたらそちらをチラつかせばいい。なんて悪い考え。    言葉なく手足を絡め合いながら、ベッドの上で甘いキスを重ねる。 「ご機嫌だね、どうしたの?」 「ん、凄く欲しかったものが手に入ったから」 「晶にそんなものがあったの?」  意外そうな理人。小さく笑って頷いた。  互いの指先へキスをして、理人の柔らかな耳朶へ唇を寄せる。触れた先の体温へ目を細め、晶は心底幸せそうに囁いた。 「――ツカマエタ」
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