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平凡な日々
まだ、何も始まってはいないのだけれど、毎日が憂鬱なのだ。
これは自然と湧き出る気分なのだから仕方がない。
自分ではどうしようもない。
だから、しばらくこの気持ちを放っておくことにした。
そのうち収まることを期待しながら。
最近、友人が鬱になったらしい。
そのことは私に大きな衝撃を与えた。
この間まで元気に見えたのに、そんな病名がついてしまったことへ対する恐怖と、そんな状況にも拘わらず自分を少しも頼ってくれなかったことに対するショックと、何も助けになれなかった自分への無力感と。
自分が鬱のような状態になることは今のところは考えにくいが、他人事ではないのかもしれない。
私はもっと自分自身に注意を払うべきなのかもしれない。
特に、自分自身でも触れにくい、自分自身の繊細な部分について。
目を閉じれば、気がついたら朝が来てしまう。
それはすべての人の夜に当てはまるのだけど、この当然の因果を私は止めたいと最近、漠然と思っている。
特に、学生を終えたあたりから私のこの淡い願望がうずき始めた。
要するに・・・、
仕事に行きたくない・・・!
私は、何の変哲もない新入社員である。
今年、平凡な大学を卒業し、平凡な会社に入社した。
配属された総務課で、日々、平凡な仕事をしている。
朝、七時に起きて準備をし、会社に向かい仕事をする。
十七時半には仕事を終え、まっすぐ家に帰る。
時々、先輩に誘われて飲みに行くこともある。
家に帰ったら、動画サイトで海外ドラマを英語の音声で見てみて、英語の勉強らしきことをし、寝る。
私はこの平凡な生活に飽き飽きしている。
何か、驚くような変化があればいいのに・・・。
あ、一応彼氏もいるのだが、存在を忘れるほどである。
彼氏は三歳年上の会社員。
別の会社で働いており、大学時代のサークルで知り合った。
別々の大学だったが、サークル同士の交流があり、知り合い、付き合って四年ちょっと。
もう、空気みたいだ。
彼氏なのだけれども、“異性”を感じることはほぼ無くなってしまった。
居ても居なくても同じ。
まあ、居なくて寂しいよりはいいかも。
一人暮らしは案外寂しいことが多い。
私の実家は車で三十分ほどの場所にある。
遠くは無いけれども、平日に気軽に帰ることのできる距離ではない。
また、その実家で独り暮らしをしている母とは折り合いが悪く、二カ月近く会っていない。
父は他界している。
姉は結婚をし、遠方に住んでいるため、母の傍にいるのは私だけということになるのだが、母に対して優しい娘では決してない。
私なりの理由はもちろんある。
ただ、親と折り合いが悪いということについて、理解を示さない人も多いので、あえて理由は説明しないが。
また今日も朝が来てしまった。
仕事に行かねば。
いつも通りのこの平凡な毎日を、今日も送らなければ。シリアルに牛乳を注ぎながら、キッチンの脇にある鏡で、自分のひどい寝ぐせを眺めながら、私は漠然と思っていた。
この時の私はまだ知らなかった。
この平凡な生活がいかに幸せであるかということを。
平凡が壊れた時、どんなにひどいことが起こるのかということを。
この平凡な日々を、再び手にれることを渇望する日が来ることを。
今日は土曜日だ。
私の会社は完全週休二日制なので、すべての土日は基本的にお休みである。
そのため、今日は休み。
二週間ぶりに彼氏と会う約束をしていた。
街の中心地にある大きな公園で、おいしい食べ物屋の屋台がたくさん集まった、秋祭りのような催しが開催されていると聞いて、わりとグルメな我が彼氏が行きたがっていた。
そこに付き合ってあげることにした。
彼氏はある一軒の屋台でローストビーフ丼を、私は違う屋台で地元の野菜を使った珍しいパフェを購入した。
近くのテーブルに座り、お互いに購入したものを食べる。
彼氏は私と一緒にいるだけでいつも機嫌が良い気がする。
気のせいかもしれないが。
怒ったところは一度も見たことがない。
とても温厚なのだ。
昔はそういうところが大好きだった、はず。
今はもうその頃の感情は思い出しにくいが。
「ねえ、彩芽ちゃん、このローストビーフおいしいよ。一口食べる?」
彼が私に勧めてくる。
「裕、いま私パフェ食べてるから要らない。」
「じゃあ、パフェ食べ終わるまで残しておくよ。」
「別に要らないよ。おいしいなら食べなよ、自分で。」
裕が優しいのは十分知っている。
でも、彼は”冒険家”ではない。
”冒険家”の真逆の性格である。
そのため、若い私は、時折少し物足りなさを感じる。
これはないものねだりなのだと自分でも分かってはいるが。
「食べてほしいんだよ。彩芽に…」
裕は手を伸ばし、ローストビーフ丼の容器を私の方に差し出してきてた。
その時、私が食べていたパフェの容器にローストビーフ丼の容器がぶつかり、パフェの容器が倒れた…。
パフェの容器の端がテーブルに当たった衝撃で、容器の中身のパフェがテーブルの上にこぼれ出る…。
「・・・」
「ご、ごめん!」
裕はとっさに容器を立て直そうとするが、時すでに遅し。
私がおいしくいただいていたパフェはほぼすべてテーブルの上にこぼれてしまった。
「…あ、私のパフェ…。」
私はショックで茫然としていた。
その横で、テーブルの上のパフェのアイスを手でかき集めようとしている裕。
アイスを手で、って、正気ならそんなことは誰もしないが、その時の裕は正気ではなかった。
パフェを倒してしまった直後だから。
パフェが倒れて、おかしな行動をとる裕を見た私は、やっと冷静になった。
そして、そこにある感情が浮かんだ。
怒りである。
「ねえ、裕。どういうこと?!私のパフェ。ローストビーフ丼なんて、要らないって言ったじゃん。余計な事、しないで?」
「ごめん、彩芽ちゃん。ただおいしいから食べてほしいだけだったんだけど、余計な事しちゃったね。本当にごめん。パフェ、もう一つ買ってこよう。」
「そういう問題じゃないの!パフェ、もったいないし!」
ここで留めておくべきだったのだ。
しかし、この時の私は止められなかった。
「裕っていつも余計なことばっかりするよね。全然つまらない人だし。もっと冒険してみること、出来ないの?どんだけ小さいの?全然かっこよくないよ。なんで付き合ったのか分からない。もう、異性としての魅力も感じないし、一緒に居ても、いなくても、どっちでもいいや!私にはもっといい人いると思うし、若いこの時間、裕で無駄にするくらいなら、ほかの人のとこ、行こうかな?」
感情にとらわれた私は一気にまくし立てた。
裕の表情は、覚えていない。
「じゃあね!」
私は秋祭りのテーブルに裕を一人残したまま、その場を立ち去った。
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