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とにかく不動を助けなければ。と腰を上げた瞬間「ぐぁ!」と唸るような声と共に、ガシャン、とガラスが割れる大きな音が響いた。
不動? 全開な玄関から誰かが出てくるのが見えて、息を殺して見守る。
よろよろとおぼつかない足取りで出て来たのは金髪――――不動だ。その傷ついているであろう背中を、背後から思いっきり蹴飛ばす長い足。
ぐっと勢いで地面に倒れ込む不動の背後に見えたのは……黒髪を鬱陶しそうに掻き上げた――――矢吹。
矢吹が蹴った? いや、それよりも、わたしの知る矢吹だけれど、そうではない。
いつもの笑みなど微塵もなく、冷たく、まるで豚や牛でも見るかのような視線で不動を見下ろしていた。
顔が整っているからか、その静かに怒っているような無表情は非常に恐ろしい印象を与える。
不動の言っていた矢吹の特徴が、今ならわかる。
矢吹の左手には血が付いており、それが誰のものかは明白だ。ゆらり、と状態を倒し、右手で不動の胸倉を掴んで、軽々と引き上げる。
「おい、クソガキ。もう一度聞くぞ。咲子さんはどこだ?」
およそ矢吹のものとは思えないような低く、地を這うような声に、びくり、と身体が震える。
……わ、わたし?
わたしを探しているの? 何発殴られたのか、大きく腫れている頬で不動がはっきりと告げる。
「知りません!」
静まり返った空間に、矢吹の舌打ちが響いた。
ぐっと左腕を引き、殴る構えを見せるものだから、わたしは反射的に飛び出した。
「ま、待って!」
わたしの声に、ぴたり、と動きを止めた矢吹。そして、驚愕の表情を浮かべる。それは不動もらしく、二人してわたしを見ていた。
「嗚呼、あああぁぁぁ、咲子さん!」
感情が壊れてしまったのか、と心配になるくらい、矢吹は今にも泣きだしそうになりながら、わたしにゆっくりと近寄る。
脱力しているのか、安堵しているのか。矢吹らしくない、弱々しい足取りで、震える手をわたしに。触れる直前に、自身の手に付いた血を見て、名残惜しそうに引っ込めた。
矢吹の背後で、適当に放置された不動がその痛々しい顔を驚愕させている。
一人は重傷(外見が)もう一人も重症(心が)といった具合に、二人とも可哀想で、わたしの責任なのかと考えた結果、部屋に上げることにした。
ここでは目立つし、止む負えないと。
「不動、大丈夫? 痛くない?」
「だ、大丈夫っす。これくらい、大したことないんで。心配しないで下さい」
また敬語に戻っている。そう感じたが、手当をしているわたしよりも、不動はチラチラとその視線を隣の矢吹に向けていた。
矢吹は、というと。
「咲子さん、どうして出て行ったりしたんですか。僕がどれだけ探したと! いや、ひとり暮らししたい気持ちもわかりますが、僕に相談くらいはして欲しかったと言うか。そもそも、どうして急に? 何も一夜で出て行くことないじゃないですか。あのキーホルダーだって忘れて行くし、僕がどれだけ」
不動のことが見えていないの? 謝らないの? というか素はどっちなの? 口を挟めないくらい、ずっとこうして一人で話している。
ほとんどループしているところから、壊れたレコードのように、どうして、どれだけ心配したと、と止まらない。
「待って、待ってよ。矢吹、落ち着いて」
堪えきれず、口を挟むと、矢吹は首をかしげた。
「……どうしてです?」
あの冷たい目は、今はない。いつも接するみたいな矢吹に、安堵する。わたしにまで向けられたらどうしようかと思っていた。
「……矢吹は、どうして、わたしが家を出たと思ったの?」
「咲子さんは一人暮らしがしたいと。僕が……嫌になったから。だから、絶対に探すなと組長に言われました」
捨てられた子犬のように眉を下げる。
ん? 絶対に探すなって言われたのにきたの?
「矢吹……どうやってこの場所を知ったの? お父様は探すなって言ったのよね?」
「この場所は風子さんに聞きました」
「風子お姉様に?」
簡単に言うだろうか、あの姉が。
「はい。すぐに教えてくれましたよ」
「そうなの?……まあ、矢吹も知っていると思うけど、わたしとあの家は合わないの。言えないけれど、またお父様を怒らせてしまったから……距離を置こうと思ったの」
「そ、それなら、僕を嫌いになったわけでは?」
「嫌いじゃないよ」
わたしの言葉に、ぱあっと笑顔を見せる。良かった、いつもの笑顔だ。
知らない矢吹を見て動揺し、恐怖を感じたが、こうやっていつもの矢吹に戻ってしまえば、大丈夫。
「それなら、こんな古いボロアパートではなく、もっとセキュリティの良いところにしましょう! なんなら僕が家賃も光熱費も出しますので、僕と同居を――――」
元気を取り戻し、嬉しそうに話す矢吹を、微笑ましく見ていた。が。
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