矢吹との生活

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矢吹との生活

 手当てをしている間、終始、矢吹からの視線を感じ、いたたまれなくなる。 「……な、なに?」 「いえ、嬉しくて」  目を細め、わたしと手元を交互に見る矢吹は、口角が常に上がっている。 「……お父様に喧嘩売って、これからどうするの? 鷲見に戻れなくなるわよ」  せっかく組長候補なのに、と漏らすと、矢吹はその長い睫毛を伏せた。 「組長候補だからこそ……僕は切られませんよ。絶対に」  それは確信しているような言い方で、わたしは思わず前のめりになる。 「どうしてわかるの? お父様だって、まだ丈夫だし、これから若い人を育てる気力だってあるわ」 「そうでしょうとも。でも、僕より賢い人は鷲見にもいない。他の組にもね。こういう世界って、みーんな頭悪いんです。知ってました?」 「え、そ、そうかしら」 「ふらふらして、行き場がなくて、ろくに授業も受けていないような人間ばかりなんですよ」 「ああ……」  そう言われてみれば、そうだ。不良や暴走族の成り上がりみたいな、卒業出来ていないような人間が、多い印象。 「でしょう?」  矢吹が笑う。  矢吹は確かに頭が良い。回転が早いと言うか、誰よりも早く最善を選択できる。  それに、どことなく品もある。 「それなら矢吹は、どうして鷲見に来たの? 頭良いなら、普通に生きれば良かったのに」  なんとなく発した言葉に、目が合った。いつものように笑っている顔ではなく、真剣な面持ちに変わっている。  息を飲んだ。間近で見るには、あまりに綺麗で、それが逆に不気味だ。 「……咲子さんがいたから」  ぽつり、と呟いた矢吹の声を、確かにわたしの耳は拾った。  だが、その言葉の意図がよくわからない。わたしがいたから、なんなのか。  なぜ、こんなにも真剣な表情でわたしと向き合うのか。矢吹は、ときどき、どこか変だ。こう、蛇が獲物を狙っているかのような雰囲気を出す。 「……はい、終わったよ!」  何食わぬ顔でそう元気に発する。聞こえていなかったフリをする。 「……ありがとう、ございます」  視線を逸らした矢吹は「ちょっと待ってください」と謎の深呼吸を数回繰り返す。 「なに? どうしたの、矢吹」  不審になりながらも矢吹を眺めていると「よし」という言葉と共に覚悟が決まったらしく、振り返り、向き合う。  先ほど同様、真剣な面持ち。 「ずっと言おうと思っていたんですが、僕、高校生はもう大人だと思うんです」 「え」 「ほ、ほら、結婚も出来る年齢になるわけですし! ということで、その」  あの、えっと、などと、しどろもどろになり始める矢吹。落ち着きがなく、緊張をしているような強張った表情。 「え、大丈夫?」 「ちょ、ちょっと待ってくださいね…………これ予想以上に緊張するな」  ぶつぶつ言いながら背を向ける。そして聞き取れないような声で、何かを連呼しているみたいだった。  ……これは直感だが、聞かない方が良い気がする。こっそりと足音を立てずに後退する。  そして向かうは、玄関だ。とりあえず外に出よう。矢吹がなにやら興奮しているみたいで、怖くなる。  ドアを軽くでぶっ壊してしまうゴリラみたいな男だ、不動のように殴られてしまったら、わたしなんか即死だ。  そっと、そっと。  姉達から逃れる時に何度も使ったやり方。これだけは特技といえるほど上達していた。  そうやってなんとか玄関にたどり着いた頃には、不動が迎えに来ていた。  何か約束したっけ?
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