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矢吹の探した物件を見比べ、吟味していると珈琲の良い香りが鼻を刺激した。
「はい、どうぞ。咲子さんは甘めが好きでしたよね?」
「ありがとう、矢吹」
矢吹の怖いところはここだ。自然に何でもやってくれるし、さも当然のように居座り続けていること。
様子のおかしい不動はすぐに帰ってしまったのに。
「ふふ、たくさんあるでしょう? 僕のおすすめはこれかな」
早く帰れと促す前に、矢吹が勧めたのはロフト付きの学校からも程近いマンション。
「いや、でもこれは少し値段が……」
「大丈夫ですよ。僕、お金はあるので。ほら、ペットも可ですし、この際に猫も飼われては?」
「いやいや、さすがに猫は……家にずっといられないし」
学校とか、と苦笑いすると、矢吹は笑う。
「僕も面倒見ますよ。ノルウェージャンフォレストキャットなどどうでしょう?」
「あ、かわいいよね~」
「はい、雄よりは雌のが小さいですし、雌はどうですか?」
「良い…………じゃなくて!」
「どうしました?」
きょとん、とする矢吹に、危ない危ないとわたしは冷や汗をかく。理想の生活が安易に想像出来てしまって否定する。
「矢吹とは住まないよ! ていうか、住めない!」
「どうしてです? 鷲見でもほとんど同居していたでは、ないですか」
「それは大人数でしょ!? お父様もいたし、これは二人きりになるのよ、わかる?」
「それは……ま、まさか、僕を、男として見ている……そういうことですか?」
滅多に照れることのない矢吹の耳が赤みをおび始めた。
じわじわと頬にまでその赤さが移る。
「矢吹を兄のように思ったことはないわ」
「ぼ、僕も妹だと思ったことは、一度もありません! あ、あの、僕――――」
何故か興奮してきた矢吹を制して、わたしは続ける。
「矢吹、こんなことを言いたくはないのだけれど、貴方はとても外見が良いの。とてもじゃないけど怖くて一緒になんて住めないわ」
そう、女性の一人や二人、ストーカー被害も過去にある矢吹。
それに、何か男性にもその気がある? みたいだし、怖くて住めない。
いつ刺されるかもしれないし、あの姉達もわたしを殺しに来るかもしれない。
なんにせよ、一緒に住むなんてリスクが高い。
そう、言ったつもりだったのだが。
「そ、そんな! 僕、そんな手の早い男ではありません! 今まで僕がどれほど我慢を……い、いえ、あの、つまりはですね……そう、許可なしにどうこうするなど、微塵も考えていません!」
矢吹の思考がいまいちわからない。その上、会話も微妙にずれているような?
「……ま、まあ、とにかく、矢吹とは住めないわ。一人暮らしが良いのよ」
「そ、そんな…………」
ガッカリした様子を見せた矢吹だが、俯いた次の瞬間には何かを小さい声で呟いた。
「え? なに?」
「…………がでたら、どうするんです?」
「え?」
聞き取れず、前のめりになる。
「幽霊が。出たら、どうするんですか?」
「ゆうれい」
ひゅっと恐怖で息が詰まる。
「虫が出たら? 一人で退治できるんですか? 夜中でも? 寝れますか? ホラー映画のように少しずつ──」
想像させられるような言葉に、わたしの表情から血の気がなくなる。
「よ、よろしく! 矢吹、よろしく!」
一緒に住もう! と手を握っていた。
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