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早朝。きっちりと働いてくれた目覚ましを止め、整え、可愛らしいセーラー服に袖を通す。
「お、おはようございます」
もうすでに父や美恵子、風子が揃って朝食をとっている食卓で、思いきって声をかけた。
それまで話していた明るい声が一斉に止み、三人でわたしを見る。
「あ、あの、おはようござ────」
「それでね、お父様。私、先日出会ったばかりの男性にもう求婚されてしまったの!」
それは一瞬だけで、聞こえていないように、美恵子が話し始める。とても楽しそうで、父も暖かい視線を送る。
すると、風子も
「凄い! アタシもその人に会ってみたい!」と身を乗り出した。
「なんでも、その方、都内の有名ホテルの次期社長で────」
嗚呼、やっぱり無視か、と仕方なく少し離れた席に座る。
姉達は……父に似ている。わたしは母に似ていて、それがどうにも父は気に入らないらしい。
政略結婚で愛がないのはわかるが、この対応はどうかと思う……極めつけは、美恵子が高校生のときにやらかした事件。
わたしは当時九歳で、美恵子が連れてきた彼氏と遊んでいたときのこと。
その人は子供が好きらしく、美恵子よりも、ひとりぼっちで遊んでいたわたしにたくさん構ってくれた。それに嫉妬した美恵子が父に泣きついたのだ。
「お父様! 咲子が私の彼氏を寝取ったの!」
笑えるだろう。九歳だぞ? 九歳でそんなことをするわけがない。
だが、その瞬間から、父のわたしを見る目が変わった。本気とは流石に捉えてはいないだろうが、明らかに不満を向けた。
「……アイツそっくりだな、お前は。外見だけでなく、そういうところも似ているのか」
わたしを汚物でも見るかのように、目を細めた。
その瞬間に悟ったのだ。
あ、この人は、わたしを子どもではなく、ヤクザの組長として見ている、と。
それから、接するのも躊躇うようになり、徐々に会話が消え、気がつけば家でも孤立していた。
よって、いつものことだが黙々と食べ終え、料理担当に「ご馳走様でした」と告げる。
担当は日によって変わるが、大体は父に何かを言われているのか「うす」的な対応で終わる。
が、例外はある。
「美味しかったですか? 今日のメニューはね、咲子さんに合わせてみたんです」
振り返り、ふわっと笑みを見せたのは、わたしに唯一、優しく平等に接してくれる、矢吹だ。
きれいな二重に形の良い鼻と唇。男らしい顔つきだが、笑うと甘いマスクになる。
所謂イケメンというやつで、背も高くスタイルも良い。噂では腹筋も割れているらしいから、筋肉もあるのだろう。
いや、今はそれよりも。
「どうして、わたしに合わせてくれたの?」
父も姉達も同じ食事を取っている。それなのに、わたしに合わせる意図がわからない、と首を傾げる。
「だって、今日は咲子さんが高校生になる日ですから。入学式でしょう?」
そうか! どうりで好物ばかりだと思った。コーンスープにクロワッサン。目玉焼きにヨーグルトに大好物の桃まで。
「それは、そうだけど……勝手なことをすると矢吹、怒られるよ?」
「良いんですよ、僕は。咲子さんが高校生なんて! 大きくなりましたね~。僕も歳をとったかな」
「何言ってるの、矢吹だってまだ二十歳くらいでしょ」
「二十二になりましたよ。咲子さんが僕と同じ歳になる頃には僕、ま、まさか、ほぼアラサー!?」
いやー! と頭を抱える。
矢吹はいつも明るいな、と笑えば、矢吹も微笑んでわたしを撫でる。
「せっかくの入学式ですから、張り切ってくださいね。僕も行くので!」
「え、来てくれるの?」
今まで三者面談や運動会の際には、いつも矢吹が来てくれたが、今日も来るのか。
「ええ、任せてください! 僕ね、この日の為に新しい一眼レフを買いまして……咲子さんの頑張る姿をより綺麗に────」
楽しそうに話してくれているが、わたしは重大なことを気がつく。
「はっ! こ、来ないで!」
「え?」
まさか拒否されると思っていなかったであろう矢吹は、きょとん、と瞬きをする。
「だ、駄目! 来ないで! 今日は……というか、これからは学校に来ないで」
力強く言う。はっきり言わないと伝わらない男だ。全力で言わねば!
もう一度、繰り返した。来ないで、と。
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