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「矢吹、ありがとう」
帰りがてら、礼を言う。どうせ父親に間違われているし、良いかと揃って帰ることにした。
「いえいえ。僕も嬉しそうな咲子さんが撮れて良かった」
いつも矢吹がわたしの写真を撮っているのを知ってはいるが、その中身を見せてくれたことは一度もない。
いったいどこへ閉まっていて、誰に見せるつもりなのか。誰得なのかとか、聞きたいことはたくさんあるが、なんとなく回答が怖くていつも聞けない。
「……あれ、矢吹、どこ行くの?」
帰路の途中、明らかに矢吹が道を逸れた。家まではまだ距離がある。それに、寄り道の予定なんかない。
「腹、減りません? どこかで食べて帰りましょう!」
「え……いいよ、行かなくて。家に帰ればあるじゃん」
矢吹と出歩くのは、後々大変なことをわたしは知っている。
「そんなことを言わずに! ね、僕、良い店知っているんで」
「え、ちょっと」腕を取られて、向かった先は中華街。
「ここの食い放題がめちゃくちゃ美味くて」
教材も持ってもらっていたし、お金も借りている罪悪感から、嬉しそうな矢吹を無下にできず頷くしかなかった。
もちろん、ご飯は美味しい。中華は好きだ。
……ここまでくれば大丈夫、と付け髭や帽子、眼鏡も取ると、やはりその容姿が良いのか、女性客がチラチラと見始める。
いつもの黒スーツであれば「あ、アカン」と声を掛けて来る者も、見てくる者も半減するが、今日は違う。
早速、話しかけられたらしい矢吹は、トイレに行ったきり、帰って来ない。
「咲子さん」
知った声に、見上げると、黒髪ロングの、黒スーツ男がすぐそばにいた。
「く、雲川。どうしたの」
雲川は、最近入った若手だが、年齢は二十五と、矢吹よりも年上だ。確か、よく美恵子の側にいた気がする。こうやって話しかけられるのは、珍しい。
雲川は周囲を確認すると、わたしに耳打ちした。
「……美恵子様がお怒りです。早く帰って来いと」
「え、な、何で。まさか」
「はい。矢吹さんを独り占めしているとかで……とにかく、伝えて来いと言われました」
では、と離れていく。
嗚呼、まただ。誰かが見張っていて、こうやって姉達にチクる。そして、いつも怒られる。
今日はいつもよりも早い。
矢吹に魅了される者は多い。姉も例外ではなく、いつも、そういう目で矢吹を見ては、隙あらば誘っているのを知っている。
矢吹も優秀であるから、父も良く思っており、次の組長は矢吹、なんて話も聞くくらいだ。
「すみません、なかなか離れないマダム達に捕まりまして……あれ、咲子さん、どうかしました?」
何も知らずにやってきた矢吹は服を手で払っている。潔癖な面があり、他人に触れられるのが苦手らしく、こうして露骨に服をパッパッとまるでゴミでもついているかのようにハンカチなどで払う仕草をする。
「ううん、何でもない。帰ろう」
どうしてそんなにモテるのだろう。
これがモテもしない普通の人なら、姉達も見向きせず、わたしも怒られずに済んだのに。
矢吹は好きだが、こういうところは嫌いだ。いつもわたしばかりが痛い目をみる。
「……大丈夫ですか、咲子さん。顔色が悪いみたいですが」
「大丈夫。ただ、少し食べ過ぎたみたい」
「……そうですか。あそこ美味しいから、ついつい食べちゃいますもんね」
上手く笑えているか心配だったが、誤魔化せたみたいだった。
家に着いてすぐに矢吹に呼び出しがあり、わたしのところには、また雲川が来た。
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