責務

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新学期の講義が始まった。 サークルの新歓もひと段落し、落ち着きを取り戻しつつある構内は活気で溢れている。 しかし、そんな構内でも静かな場所は勿論あった。 構内では一番背の高い二号館の、その十七階。 そこに設えられた一つの研究室のドアが開く。 応接用の椅子と机を陣取り、ジェンガをしていた二人は勢いよくドアを見遣った。長髪を後ろで一括りにした男は眠そうな表情はそのままに顔だけ上げる。こちらに背を向けていた青年は、その幼さが残る丸い瞳を更に丸くして「しまった」という顔をしていた。 ドアの前に立っていたのは、人の良さそうな顔をした壮年の男性だ。研究者らしからぬ、非常にラフな格好をしているが、紛れも無いこの研究室の主である。 三人の間には冷ややかな沈黙が流れたが、先にそれを壊したのは壮年の男性の方だった。 「丁度いいところに。二人に頼みたいことがあるんだけど」 長髪の男と、童顔の青年は、目を瞬いた。  研究室でのジェンガは罪ではないが、褒められたものではない。ましてや、この研究室は『研究室』とはいうものの、ゼミなどが執り行えるほど広い物ではない。 都心のこの大学では敷地面積が狭いため、教授たちは高く伸びた建物の、狭い檻のような部屋に閉じ込められる。大学側はその檻に『研究室』と名前を着けて、教授たちをこき使うのだ。  そんな狭い…―教授にとっては重要な空間でするジェンガというのは、本来咎められるべきもののはずだ。  しかし、目の前の仏の顔をした若き教授はそれをしない。何か腑に落ちない。  ジッと教授の眼を見つめていた彼らだが、急に彼の意図を察したのか目を逸らした。 「…有松さん、俺、今週学会の手伝いで立て込む予定で…」 「教授…ごめんなさい。僕もジェンダー論と、家族社会学のリアペが…」 どこかあからさまな用事を並べ立てる二人の様子を見ても、男性は相好を崩さなかった。 その代わり、大仰な溜息を吐いて、頭を振った。 「あら、残念だね。今回は依頼主たっての希望で報酬が出るというのに…」  その一言に、『さあ、打ち止めだ』と言わんばかり、ジェンガの続きに興じようとしていた二人は動きを止めた。  二人は悩んでいた。報酬が出るなんて、割に合わない案件の方が多いはず。  しかし、決して裕福とは言えない二人は、どうしても内容が気になった。  先に口を開いたのは長髪の男だった。 「ちなみに…報酬はいかほど…」 「昇龍庵の特上コース食べ放題でどうだい?」 大学近辺で有名な高級焼肉店の名前を出され、二人は黙る。 「…いつもの焼肉荘じゃなくて?」  童顔の青年が問う。その顔は半ば絶望の色を湛えながら、しかし目は輝きを放っている。 「そう」 「…昇龍庵?」 「そう。飲み放題もつけるよ」 にこやかに言い切った男性に、二人は同時に返した。 「やります」
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