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「昇龍庵ということは、今回は強力なパトロンでもいるんですか?」
「さすがだね、野々市くん」
男性…―有松は苦笑しながら、野々市と呼ばれた童顔の青年の言葉に答えた。
「二人とも忙しいし、私は断ったんだけどね。謝礼を付けるから、ということで承ったんだ」
そう言った有松に、「ありがとうございます」と長髪の男が頭を下げる。
「あ、西念くん、気にしないで。勿論、君たちのスタンスは話して、報酬は解決出来そうな場合だけ頂くっていう条件にして貰ったよ」
長髪の男…―西念は有松の返しを聞いて頷く。
西念と野々市の元には、よく調査依頼が舞い込んでくる。ただの調査依頼ではなく、超常現象に関するものだ。
それは、「家で異音がする」というものから、「部室で謎の幽霊が出る」というもの、果ては「家族に怪死が続く」というものに到るまで、多岐に渡る。
しかし、調査する二人には、こういう事件には肝心の『霊感』がてんで備わっていない。つまり、二人にはお祓いなどの対症療法をする術はないのだ。
あくまで、怪異の起こる周辺の情報収集を徹底的にして、自分たちでの原因療法が可能な場合のみ解決する。
その解決率の不安定さから、通常は謝礼や経費などを貰わず、対応することが多い。
自分たちで対応できないとわかった場合は、調査でわかった事実のみ依頼者に渡すことになる。
予め、そのことは依頼者に存分に説明してはいるのだが、中には理解しきれない依頼者も出て来る。
一年前なぞは、家に狐の化け物が出るからどうにかしてくれ、と依頼された結果、その家の主が祠をぶっ潰して愛犬の大層な犬小屋を建てていたことがわかり、丁重にその場を辞そうとした。しかし、何が気に入らなかったのか、依頼主は野々市を殴り、警察沙汰になったこともある。
なぜ、このような割に合わない調査を二人が行うのかにはそれぞれに理由があるのだが、今回は置いておく。
「有松さんがそこまで説明してるなら、先方もわかった上でしょう」
西念は背もたれに凭れ掛かりながら、天井を仰いだ。
表情からは、焼肉を切望しているのか、依頼が来たことを憂いているのかは伺えない。
「それで、依頼主はどんな方なんですか?」
野々市が急かすと、有松が肩を竦めた。
「それが…この大学の教授と講師なんだよ…」
その言葉に、若い調査員は首を傾げた。
教授陣から依頼が入るというのは、あまりあることではなかったからだ。
有松曰く、依頼主たちがその件に巻き込まれたのは、今年度に入ってからだと言う。
◇
最初に有松が訊いたのは、同じ社会学科の同僚からだった。
「授業で集団ヒステリーがあったらしいよ」
その時の有松はへぇー、と聞き流した。
興味深い事件ではあったが、たまにはあるよね、と納得したという。
詳細はわからず、直ぐにその場での話は流れたが、後日教授会で事件について説明がされた。
どうやら、外部講師の受け持つ授業で、授業が中止になったのだという。
その時点では原因はわからなかった。
しかし、授業の途中から生徒がざわつき始め、最後には悲鳴を上げる者もいた。
その後、悲鳴を上げた複数の生徒は救護室で休むことになり、混乱が治まらない授業は中止に追い込まれた。
問題はそれだけに留まらなかった。
その週の教授会では、その件だけではなく、複数そういったことが起こっている、という報告がなされた。
幸い、有松のいる社会学科内ではそういった事件はなかったので、事が起こった場合の対処法のフローチャートが作成され、会は終わった。
しかし、有松はどこか他人事だった。それは、社会学科所属の他のメンバーも同じだったのではないか、と有松は感じた。
ホワイトボードの上の、妙に具体性を欠いたフローチャートを書記が写真に収める図は、何とも間抜けだったという。
そんな、夢うつつの中にいた有松に、事が降って湧いたのは一週間が経った今日のことだった。
研究室で資料を整理していた有松の元に、来訪者があったのだ。
訪れたのは、件の集団ヒステリーのあった授業を受け持つ教授や講師、合わせて四人だった。
風の噂で、そういう変なことなら、社会学科所属の有松がどうにかしてくれるんじゃ無いか、と訊いてやって来たらしい。
次の授業の準備で急いでいた有松は、心の中でそう告発した相手を恨んだ。しかし、困った人を前にして、邪見にできない彼は、その場では一旦宥め、先程職員用食堂で昼食がてら話を聞いたそうだ。
四人の訴えを訊くと、今週も同じ時間に、生徒の何人かが怯えたり悲鳴を上げたりすることがあったという。
さすがに同じことが二度続くと不気味に感じたらしい。彼らは、其々が授業の後に生徒に事情を訊いた。
すると、そこでようやく、不思議なことがわかったそうだ。
「授業中にね、男性が現れるらしいんだ」
「…はい?」
有松の説明を聞いて、野々市は素っ頓狂な声をあげた。
それを聞いた有松は首を振る。
「私にもよくわからないんだけどね。
講義の最中、登壇している教授の後ろに、いつの間にか男が立っているそうだよ。
現れるタイミングは生徒によって、言っていることがまちまちらしい。
共通しているのは、扉を開ける音もなく突然男が教授の背後に現れ、教授の後ろで何かを言うことだそうだ」
有松はそこで言葉を一旦切った。
西念は天を仰いだまま、何も返さない。
有松は調査員が先を促していると理解したのか、再び話し始めた。
四人が聴き取りをしたところ、それは、充血した目をした、顔色の悪い痩身の男性らしい。
せわしなく動いている、黒く大きな口だけが印象的で、それなのに何を言っているのかはわからない。
ただ、時たま教授の肩を叩いたり、揺すろうとしたりするらしい。
それでも教授は何事も無いかのように授業を進めるため、学生はそのコントラストを異様に感じていた。
男性は九十分の授業のうち、約一時間ほどそうしていると、突然消えるという。
先週は男が消えた瞬間、今週は男性が現れた瞬間に、パニックが起こった。
「…その男は同一人物なんですか?」
西念が上を向いたまま尋ねると、有松は首肯した。
「断言はできないけどね。四人の教授がそれぞれ生徒から訊いた容姿は似通ってる」
今度は野々市が口を開く。
「えっと…ぶっちゃけ、被害に遭ってる教授って誰なんですか?」
「言ってわかるかなぁ…。
文学部の沼田教授と、神学部の高崎教授。それと教育学部の渋川教授に、心理学部の前橋教授。渋川さんと前橋さんは週に何回かだけ、うちに顔出して、専門科目と一般教養科目を教えてる。
四人とも、今回の事件まで大した関わりは無くて、同じ現象に遭ってるってことで連絡を取ったそうだ」
野々市は腕を組んで「素性がバラバラだ…」と唸った。
「現象が起こる授業は?」
西念の問いに、有松は「えーとね」と手帖を手に取る。
「沼田教授が『英語史』で、高崎教授が『遠藤周作とキリスト教』。
渋川教授が前期の『異文化教育学I』で、前橋先生が『犯罪心理学』だね」
それを聴いた野々市はますます唸った。
「マイナー授業だなぁ…」
有松が「ああ、そうだね」と微笑んだ。
「全部専門科目だからね。
他学部他学科の子は受けられないんだよ」
それを訊いた西念は「ふぅーん」と返事をした。
途端に、ガバッと身体を起こした。
突然表情の変わった西念に、残った二人は驚く。
西念が「ちなみに」と前置いて口を開いた。
「四つの授業で曜日が被っているものはありますか?」
有松は考え込むように「どうだったかなぁー」と呻いた。しきりに手帳を捲っているが、どうやらそれらしいものはメモされていないようだ。
一瞥した西念は、鞄からタブレットを取り出す。
そうしながら、有松に声を掛ける。
「去年のシラバス持ってますか?」
「あー、処分しちゃったなぁ。申し訳ない」
「野々市、お前は?」
呆けていた野々市は、突然話しかけられ、肩を揺らす。
「え、今?…流石にあんな分厚い冊子持ってないですよ」
「サークルとか入ってないのか?部室に置いてあったりするだろう」
「え、僕此処からサークル棟まで行くんですか⁉面倒くさい…」
「焼肉食いたきゃサッサと俺の指示に従え」
二十分後、所属するサークルの部室から去年のシラバスを携えた野々市が戻ってきた。
礼もそこそこに、西念はタブレットで繋いだ学内システムの画面と、去年のシラバスを見比べている。
「何してるんですか?」
野々市が画面を覗き込むと、画面内には今年のシラバスが開かれていた。今開いているのは前橋教授の授業のもののようだった。
西念が画面から顔を上げた。
「有松さん、四人は来週の授業をどうするつもりですか?」
「一旦休講にするそうだ。原因を排除できない以上、行えないって」
有松は明日は我が身、とでもいうように顔を顰めている。
「…一か八か、情けない方法ですが…」
今度は西念が溜息を吐いた。
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