寿旬(とししゅん)

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     三  マンションを後にして暗然たる面持ちで絶望の色を見せる寿旬を捕まえて例の男は言った。 「また駄目でしたか」 「ええ」 「しかし、希望を捨ててはいけません」と言って男が胸ポケットからプロマイドを出そうとすると、寿旬は制して言った。 「もういいんです。もう僕は希望が無くなりました。もう僕に関わらないでください」  寿旬が生気なくそう言って逃げようとすると、男は寿旬の腕を力強く捕まえて言った。 「実はわしゃ仙人じゃ」 「えっ!?」と寿旬が意表を突かれて吃驚すると、男は寿旬から手を放し超人的にぴょんと高く飛び上がって宙返りした途端、白い髪と白い髭を茫々に生やした、風変わり極まりない恰好の年寄りに変化(へんげ)して着地した。 「どうじゃ、仙人に見えんか?」  寿旬は度肝を抜かれ、「い、いや、見えます」 「そうか、どうやら信用したようじゃな。時に聞くが、何故、レースクイーンたちがお前さんを見初めたか分かるか?」 「さっぱり分かりません」 「そうであろう。実はな、わしはいつか、あの河原でお前さんを撮った写真をレースクイーンに見せながらお前は寿旬を好きになる、お前は寿旬を好きになると呪文をかけてレースクイーンがお前さんを好きになるようにしたのじゃよ」 「ああ、成程、そうだったんですか、あの時、僕の写真を撮ったのはあなた様だったんですか」 「そうなのじゃ、忍者のように去って行ったじゃろ」 「はい」 「わしは仙人じゃから神業でそんな早業も出来るのじゃ。それに芸能事務所社長に変身することも高級車や名刺を現出させることも出来るのじゃ。そしてレースクイーンがお前さんを好きになるようにしたようにわしの神通力をもってすれば、何でもお前さんの願いをかなえられるのじゃ。じゃから希望を捨てることはない。要はお前さんが金持ちになれば、お前さんは自分の好きなレースクイーンをものに出来る訳じゃ。そうじゃろう」 「はあ」 「金持ちにしてやろうか」 「いや、いいです」 「はぁ?何でじゃ?」 「金持ちになったところで杜子春の噺のようになるのが落ちですからね」 「ほう、お前さんは俗な観点からみれば、駄目人間じゃが、わしが目を付け見込んだだけのことはある。矢張りそう諦観しておったか。しかし、そう諦観しておるお前さんのことじゃ。乱費せず金持ちの儘でおれば、現金な者に接する目に遭わずに済むこともレースクイーンに見放される目に遭わずに済むことも分かっておるのじゃろ」 「はい」 「じゃったら乱費さえしなければ、ええじゃないか」 「いや、僕は金持ちになった場合、レースクイーンを始め僕に寄って来る者が現金な性格であることが分かり切っていて僕の中身が好きでなく金が好きで寄って来る、そういう状況に置かれることが堪らなく嫌なんです。だってそんな状況の中ではレースクイーンとの間に本物の愛が生まれよう筈がないし、他の者らとの間にも本物の友情が生まれよう筈がありませんからね」 「ほお、お前さんはそこまで達観しておったのか。矢張りわしの目に狂いはなかった。じゃから仮令、お前さんがこの世に嫌気がさしたと言うので仙人になることを志願してわしに天地が裂けても声を出すなという試練を与えられ、色んな魔性にたぶらかされても、どんなことが起きようとも声を出さずにいられ、将又、地獄でどんな責め苦に遭わされても声を出さずにいられたにせよ、父母が責め苦に苛まれるのを見ては声を出したに違いない。そうであろう?」 「はい」  その返事に嘘偽りのないことを看破した仙人は言った。 「よし、わしはお前さんを愈々以て気に入った。よって今度こそ正真正銘のいい子を紹介してやろう。今な、あそこのカフェへ行ってな、ウェイトレスにアタックしてみよ。さすれば、その子は器量も性格も良くて人の是非を見抜く慧眼を持っておるから必ずやお前さんのアタックを受け入れるであろう」 「そうですか、やってみます!」  寿旬は信じ切ってそう言うと、ニイニイゼミがジージー鳴く声が響く歩道を仙人の指差すカフェに向かって無二無三に突っ走って行った。  その生気あふれる姿を仙人は寿旬の成功を確信しながら大変いい気分で見守るのだった。
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