月ノ光ニ泳グ魚

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月ノ光ニ泳グ魚

 友人に間宮という男がいる。  色白で、長身痩躯。頭でっかちで猫背な感じも含め、もやしのような男だった。  彼はたいていの場合、よれよれのポロシャツにくたびれたチノパン、そしてサンダル履きという姿で僕の前に現れた。アパートの玄関口にやって来ては、ふにゃふにゃとした口調で言うのだ。 「やあ河野。どうだい一杯」 「良いよ。どこで飲む?」 「月が綺麗だよ。河原はどうかな」 「なるほど、風流だな」  我々はどこに出しても恥ずかしい似非風流人であったから、それっぽい行動を好んだ。  だが、金が無いので、コンビニで発泡酒と安いつまみを買う。  この辺りに似非具合が詰め込まれている。  コンビニを出て見上げれば、そらには白い満月が浮かんでいた。 「良い月だ」  あれを見ながら河原で酒を飲めば、さぞかし旨いに違いない。  俺達は河原へ向けて歩き出した。その道すがら、不意に間宮が口を開いた。 「月光魚という魚がいるそうだよ」 「月光魚? 聞いたことが無いな」 「月の光に泳ぐ魚、月光魚。虹色のヒレと白銀の体を持つ大層美しい魚なのだそうだ」 「月の光を泳ぐ? 水の中では無く?」   水中にいないのに魚とはどういう事だろうか。  僕は首を傾げて見せた。  そんな僕を少し楽しげに見て、間宮はさらに話し続けた。 「月の光、とりわけ満月の光の中でよく泳いでいるそうだね。文字通り光の中に泳いでいるため、我々の目に触れる事は滅多とないらしい。ただ、時折月夜が揺らめいて見えるのは、月光魚達の作り出す波紋だとか」  僕は思わず自分の周囲を見回した。  何となく揺れているような気がしたからだ。 「月光魚を狙う漁師たちはね、ネコの毛で作った網を使う。それを月夜に目がけで投げ打てば、次の瞬間には網の中で美しい魚が跳ねているんだそうだ」 「ネコの毛? そんなもので網が作れるのか?」 「一つの網を編むのに、何年と掛かるそうだよ。特に黒猫の毛で作られた網というのは貴重なんだそうだ」  黒猫。確かにあまり見かけないように思う。  この辺りにも何匹か野良猫がいるが、黒いのは一匹いたかどうか……。 「闇に溶けそうな黒い猫はね、もっもと狩りが上手いんだそうだ。月の光を受けて黒い毛並みが光る様は、月光魚達を警戒させないのだそうだよ。それにあのエメラルド色の目。あれがちょうどよく星に見えるんだとか。だから、黒猫は月光魚が近づいてくるのを待てばいい」 「他の猫ではダメなのかい?」 「他の猫でも構わないが、黒い毛並み以外は月光魚も警戒するらしいね。だから猫は月光魚の気配を感じると、一生懸命探すんだそうだよ。猫があらぬところを見つめている事があるだろう? あれは、月光魚を探している姿だと言われているよ」  「月光魚ってのは旨いのかい?」 「旨いも何も。旨すぎてしばしば争奪戦が起こるんだとか」 「聞いた事もないぞ?」 「そりゃ、月光魚の存在を公にしたくない人が多いからね。みんな一人占めしたいと願っているのさ。何しろ、どんな魚より美味で、一口食べるとそのあまりの旨さに虜になってしまうと言われているほどだ」  それに、我々では手が届かないほど高価な値で取引されるそうだよ、と間宮は付け加えた。  確かに、希少性が高く美しい魚であればそうなのかもしれない。 「かつてのヨーロッパで、黒猫が魔女の使いとして迫害されたことがあるのは知っているかな?」 「ああ、聞いた事はある」 「あれは、時の権力者が黒猫の毛を集めるために仕掛けたものだという話もあるのだよ」 「酷いもんだ。あの後、ネズミを媒介とした病が流行ったのだろう?」 「自らの欲望に飲み込まれた人間というのは、いつの世も何をしでかすか分かった物じゃないね」  そう言って、間宮は小さく肩を竦めた。  やがて河原に到着して、僕達の話題は月見へとシフトした。
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