ブランディーヌお嬢さま、侍女に頭痛をもたらす。

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ブランディーヌお嬢さま、侍女に頭痛をもたらす。

 ブランディーヌ=バラデュールは憤慨していた。久しぶりに婚約者で初恋相手のエドゥアールにあったというのに、その高揚感や多幸感がどんどんしぼんで、その気持ちが怒りに変わるのは遅くはなかった。今は侍女に八つ当たりすることで、彼の元まで押しかけていくのを何とかこらえている。  何せ今は真夜中。夜会が終わった後である。いや、それでなくとも、淑女になるべき女性が、招待状もなしに婚約者のもとへ赴くだなんてこと、許されるべきではないのである。   「本当に許せないわ!」 「落ち着いてくださいませお嬢さま」  ブランディーヌは、その落ち着いた声音に逆に苛立ちを煽られていくのが分かった。  侍女であるアンナは呆れたように自分の主で、乳姉妹であるブランディーヌに隠すことなくため息を吐く。彼女が怒ると国王陛下を巻き込んだとしても収まりがつかないことを、アンナは身を以てよく知っていたからだ。 「はぁ!? 貴方が同じ立場だったら、落ち着いていられるわけ!?」 「はい、むしろ安堵するかと」 「いやいや、おかしいわよ!」  いやおかしいのは絶対にお嬢さまよ。アンナは内心でそう思う。普通なら分別のある婚約者だと安堵する場面のはずだ。けれどもその普通の枠に収まらないのが、公爵令嬢で王太子殿下の婚約者であるブランディーヌ=バラデュールなのである。  バラデュール家が突飛な戦法を用い、武勲を立て名を馳せたというのも、ブランディーヌを見ていると納得してしまうから不思議なものである。 「お嬢さまは、一体何がお気に召さないのでしょう? 王太子殿下はご自身でその関係を精算されたのです。ご立派ではありませんか」 「どこが! どこがよ! それの何が立派だというの!?」 「ですから、王太子殿下が両思いのご令嬢とのただならぬご関係に関して、ご自身で区切りをお付けになったことです。お嬢様も仰っているではありませんか、結婚は契約で恋愛とは別なのだと。貴族であるからには契約を済ませてから、個人的なことを行うべきだと」  そう、端的に言ってしまえば、王太子殿下にはブランディーヌという婚約者がいるのにもかかわらず、両思いのお相手が居たのである。そして今回の夜会で、その方との道ならぬ恋に終止符を打ったらしい。そう、ご自身から別れを告げたというのだ。  何とも立派な王太子殿下である。といってもその光景を、婚約者で公爵令嬢のブランディーヌが目撃してしまったことに関しては、詰めが甘いとしか言いようがないが。  アンナは思う。自分の主であるブランディーヌが、周囲の考えを簡単に飛び越えて行動を起こすことを、幼馴染でもあるエドゥアールは知っていたはずだと。  どうしてその別れを切り出す場を、ブランディーヌも出席する夜会にしてしまったのか。  アンナがブランディーヌの暴走の原因となっている、王太子殿下の暗殺計画を脳内で繰り広げているうちに、ブランディーヌは目に炎を宿しながら、自身の夜会着から化粧着への着替えを手伝っているアンナに振り返った。 「確かにそうよ! でも相手はジェントリの出じゃない! 許せないわ!」 「それのどこが許せないのでしょう? お相手の地位が商家の成り上がり(ジェントリ)であるからといって、お嬢さまがお怒りになる原因にはならないのでは? お嬢さまは不貞を働いた王太子殿下にお怒りになっていらっしゃるのなら、そのお相手のご身分など関係ないではありませんか?」  ブランディーヌは興奮すると、言葉を飛ばす癖がある。それにここで吐き出させないと本当に爆発しかねない。そうなったら何をするのか分からない。アンナは今度はどんなことを言いだすのかと戦々恐々としながら、主の言葉を待つ。 「ジェントリだったら、何とか頑張れば結婚できるじゃないの!」 「確かにそうですね」  ジェントリは悪く言えば成り上がりだが、よく言えば自分たちで財を成しえた家だ。実力はあるが血筋がないだけの話。功を上げれば爵位を賜ることだって不可能ではない。  それにこの国では貴族のほかにも有力なジェントリが台頭しているのは、珍しくない。ジェントリが貴族になることだって不思議はことではないのだ。 「そうよ! もう少しで爵位だって買おうと思えば買えるのよ! お金で」 「はぁ」 「なのに諦めるだなんて許せないわ! どうしてその女性の手を取らないの!? エドゥアールが外聞を気にして、愛する人の手を取らない不甲斐ない男だなんて……わたくしは許せないわ!」  アンナはその言葉に気が遠くなった。しかしこのまま失神してしまいそうになるのをなんとか理性でこらえ、言葉の真意を聞き出そうとする。 「ですがお嬢様は、貴族の結婚は義務だと」 「そうよ! でも相手は貴族になれそうなのよ!」 「……お嬢さまは、王太子殿下のことをそれはそれは愛していらっしゃるではありませんか」  そう、そこが分からない。ブランディーヌの初恋相手は他ならぬ王太子殿下である。初めて会った時から王太子殿下を敬愛していたブランディーヌだが、10歳の時に苦手な犬に追い掛け回されたところを助けてもらってから、ブランディーヌにとっては正真正銘の王子様になったのが、エドゥアール王太子殿下だ。  いつもエドゥアール王太子殿下の話をするときは、人形のように真っ白な肌を、薔薇の花びらのように紅潮させ、目をこれでもかと煌めかせて話すのが常のブランディーヌだった。  初恋相手の王太子殿下を話すときだけ、ブランディーヌは年頃の娘になれる。そして心から幸せになれるのだ。  だというのに、その王太子殿下と婚姻できなくても構わないのだろうか。アンナにはブランディーヌの心の内が想像できなかった。 「確かにそうよ、いまでも彼のことを考えるだけでわたくしは幸せよ、この世の全てがとても美しく感じるもの、どんなことにも感謝できるの、でも」    言葉を切ってブランディーヌは顔を伏せる。しかしすぐに顔を上げこう言い放った。 「でも他の女性を心の中で思い続けながら、わたくしをみる彼なんて見たくないわ!」  啖呵を切ったつもりなのだろうか? しかし夜会着を脱ぎ着替える途中の、ドロワーズとコルセット姿のブランディーヌではいささか迫力に欠けた。 「彼は言ったの、わたくしには見せない本当の笑顔でよ、君のことは今までもこれからも、一番大切だって。君を思うかのように、この国を思って発展させるって」 「それは……」  アンナは王太子殿下が別れを切り出したと聞き、想いも断ち切ったのかと思った。しかしそうではなさそうだ。アンナはブランディーヌにどう言葉をかけるべきか思案する。  王太子殿下はそのお相手の女性をなだめるために言ったのか、それとも本心なのか。……判断材料がない。いま分かるのはその言葉にブランディーヌが傷ついていることだけだった。 「そこまで思っているのなら、気にしないでその方の手を取ればいいじゃない! 愛人にして囲えばいいのよ! 別邸を作ってそこに住まわせて上げるくらいの甲斐性はあるはずよ。この国の王太子なんだから! それが嫌ならその方のお父様に爵位を買わせて、貴族にして娶ってあげればいいじゃない! その方を正妃にすればいいのよ! 国にその方を重ねるだなんて、わたくしを通してその方を正妃にすればよかっただなんて、思ってほしくはないわ!」  あぁやっと本心をきけた。ブランディーヌは自分や国にその女性を重ねて欲しくない。そういった目で王太子殿下に見てほしくないのだ。  王太子殿下にとってはすべてがその女性の代用品になってしまう。そのことが許せなかったのだ。 「こんな惨めなことってないじゃないの! わたくしだって、結婚したからって両思いになれるだなんて大それたこと思っていたわけじゃないわ! ただお父様が公爵だったからわたくしがお相手に選ばれただけだもの、わたくしの気持ちなんて度外視されたものよ、でもだからって、代用品扱いはまっぴら! そんな男だったなんて……悲しいわ、これじゃわたくしも、その女性も、国民も、だれも救われないわ。王太子殿下なのにたった一人の女に嘘も付けず、幸せにも出来ないだなんて……許せない」  そう思いを吐露するブランディーヌは、とても美しかった。 「……そのような理由で、王太子殿下の決断に異を唱えられるのですか?」 「そうよ! だってこんな終わり誰が認めるっていうの!? この消化不良な感じ、本人たちだけが気持ちを胸に秘めて、このまま生きていくっていうの? なにそれ! 変にいい子にならないでよ! こっちが悪者みたいじゃない、全然別れた意味ないじゃない! 気持ちにも区切りつけなさいよ! これだったら婚約放棄された方がいいわ……そうだわ! それよ!」 「はい?」  アンナは嫌な予感を感じながらも、主の言葉を待った。 「わたくしとエドゥアールが婚約を放棄して、その方と婚約すればいいのよ!」 「お待ちください! それでは、お嬢さまが」  ブランディーヌは静かにアンナを見た。 「わたくしは嫌なの。絶ち切れない思いを秘めて終わらせた振りをするだなんて、誰のためにもならないじゃない。その女性のためにもエドゥアールのためにもならないわ。確かに義務は大切よ。結婚してしまえば本当に戻れない。戻ってはいけないわ。でも今なら自分の意思を貫ける。なのにこんな中途半端にして終わらせた振りをするだなんて、利口な振りをするなんて、わたくしに失礼だと思わないのかしら」 「お嬢さま……」  アンナの気がかりな視線を元ともせず、ブランディーヌは花が咲いたような笑みを浮かべる。 「さ、どうすれば二人が結ばれるか考えましょ?」  アンナはその笑顔に気圧され、お嬢さまも同じではないですか、ずっと思ってきたのにここで終わらせることなんてできるのですか? とは言えなかった。
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