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「ごきげんよう、皆の者。あたしは平和を愛する統治者。そこの坊やが、今度の私の主となる子かしら?」
ラーシュがこの世に生を受けて、七日目。
町はずれの神殿で執り行われていた洗礼式へ突如として降り立った彼女は、古びた礼拝堂の壁を背にして宙に浮きながら、ひどく高慢にそうのたまった、らしい。
通常洗礼式で召喚される程度の使い魔なら、生まれたてではまだ自我もほとんど無く、喋ることなど無い状態であるはずなのに、である。
当然、老いた司祭は腰を抜かしそうになり、小さな神殿はてんやわんやになった。
その日のうちに教区の司教がすっ飛んできて、これはファミリアの中でもごく稀に召喚される高位精霊か、もしかすると女神の類、それもおそらくは聖なる力を司る存在であろう、と厳かなる響きでもって言い残していった。
そのたった一言が、その後のラーシュの運命を決めたと言っても過言ではない。
エッダの神話を信仰する民、エッディアのしきたりとして、特注のゆりかごを設えて後継の誕生を待ちかまえる王族から、下町に住まう庶民の末っ子に至るまで。どんな子でも生後七日でファミリアを喚ぶ儀礼、洗礼式を行う決まりになっている。
使い魔は、子に加護を与え、その身を守って、時に庇護をする者に力を授ける者である。
その姿は、昆虫羽をつけた手のひらほどの人型のこともあれば、森では見たことのないような動物や、腰の曲がった鼻の長い老人であったり、場合によっては、もやのような状態ではっきりとした形を成さないこともある。
彼らは神々の世界に住んでおり、そこから召喚をされると言われている。さすがに神々が召喚されることは無いと言われるが、精霊なら稀に、その下の妖精が現れることならそれなりにある。とは言え、百人の村があれば妖精持ちは十人程、精霊持ちはいるかいないかで、他のほとんどは有象無象の使い魔たちなのだが。
ファミリアが低位であれば健やかに育つようにとわずかばかりの加護を得る程度のことが多いが、高位ともなれば、使役してその力を自分のものとして振るったり、高度な知識を授かる者も存在する。そういったファミリアを持つものは、決められた教育を受けるために早くから集められて将来は神殿付の護衛騎士や神官になるのが一般的だった。
ところが、である。
司教の一言により、ラーシュも例に漏れず、いや通常よりもよほど早い赤子のうちから修道院へ身を寄せたわけだが、フレドリカの力が強すぎるせいか、はたまた彼女の奔放な性格ゆえか、使い魔を使役するどころか、暇をもてあましたフレドリカに遊ばれて、逆に宿主の肉体のほうが振り回される始末だった。
ラーシュひとりの為に領地中から教師がかき集められたが、いまだ良い結果には結び付いていない。
「まあ、ラーシュ様に関しては、運が悪かったとしか言い様が無いですね。良くも悪くも、ファミリアは選べませんから」
アルネは付き人のくせに悪びれもせずに言う。そういうこいつはここでは珍しくもない妖精持ちだが、神殿に隣接する地区の司教の息子で、小さい頃からきちんとした神学の教育を受けている。ラーシュの付き人になったのもきっとそういう背景があるのだろう。
今は位階のない神官だが、そのうち、とんとんと上へ行くのだろうと思うと自分との違いを思い知らされるようで、ラーシュは口を尖らせて文句を言った。
「もう少し慰めるとかなんかしてくれないの。おれは皆が崇める『聖女様』なんだろ」
「それはどうも申し訳ありませんでした。なにせ私は不良神官なもので」
まったく申し訳なくなさそうに言いつつも手だけは止めることなく、目の前にはあっというまに湯気をたてた飲み物が用意されていく。
この部屋には調理用の暖炉はないのに、いつのまに湯が用意されたのだろう。蜂蜜酒をお湯で割ってハーブを乗せた飲み物は、寒くなる時期にラーシュが好んで飲んでいるものだ。大司教に会うために長い廊下を歩いてくるのを分かっていて先に準備していたのだろう。まったく、よくできた従者である。
「……エドラは、元気だったよ」
愚痴で塞がった唇をきゅっと一度閉じると、さっき頭を下げて向こうの部屋の扉から見送ってくれた彼女の顔を思い出す。
高い頬骨。硬質な鼻筋。闇色の黒髪。アルネの横顔は驚くほど双子の姉、エドラと似ている。
ぽつりと呟くと、アルネが珍しく裏の無い顔でにっこりと笑った。
「そうですか。それはようございました」
聖女ラルサとして振る舞っているときは、姉のエドラが。女物の装束を脱いで本来の姿に戻っている時は、弟のアルネがラーシュ付きとして世話をする。
神殿には、男性棟と女性棟をつなぐように設えられた特別な部屋が隠されており、ラーシュが男女の役を入れ替わるときはそれぞれの寝室の奥の扉を抜けるだけでよい。
普段は引きこもりということにして、特別なときだけ『聖女ラルサ』を演じているのだ。
そういった仕組みはすべて最初から準備されていたものだ。
ラーシュは神殿で座っているだけで、身の回りのことはなんでも神官達が整えて、準備してくれる。それは有り難いことではあるのだろうが、なんの役にも立たない己の身がしみじみと辛くなったりすることもある。
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