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共同戦線
「フレドリカ! 昨日のは、一体どういうことだよ!」
起きて早々、ラーシュは窓の桟に腰かけて外を見つめる、妙につやつやした満足げな横顔に噛みついた。
だが、肝心の本人はちっとも悪びれもせずに唇の端を持ち上げるに留まる。
「なによ、あなただってイイ思いをしたくせに」
「いいおもい、って……」
「だって気持ちよかったでしょう? それも、初めてなのに飛んじゃうくらい、ものすごぉく」
思わず封印していた記憶を蒸し返しかけて慌てて打ち消す。正直あの時間はいっぱいいっぱいすぎて仔細は覚えていないのだ。だから、なんだかとんでもなかった、というかとんでもなくいかがわしいことに巻き込まれたということしかわからない。
気を失って、気づいた時には体も清められて部屋に寝かされていた。起きて何はさておきフレドリカに食い掛ったのだ。エイナルや、フレドリカに押し倒されていた哀れなファミリアがその後どうなったのかもまだ聞いていなかった。
経験のないラーシュには判断が下せないが、あれは神殿の中で起こっていいようなものではないのは確かだろう。おそらく、たぶん。少なくともフレドリカの持つ大層な肩書には相応しくないんじゃないかと思われる。
「おまえは聖なる精霊なんだから、ああいうことはなんていうか……慎んだほうがいいんじゃないのか」
孤児院と違って、神殿は男女がはっきりと分けられている。聖女のふりをするラーシュは例外として、アルネとエドラのように姉弟でも話すことすらままならないのだ。だから知識はないけれど、それが当たり前として育ってきたラーシュにとって、あれはあまりに刺激的すぎる。
はっきりとしない記憶を頼りに責めていいものかどうか悩みながら言葉を選んでいると、組んだ腿の上に頬杖をついた行儀の悪い格好のフレドリカが、つまらなそうにため息を吐いた。
「ねえちょっと。だいたい、いつ、聖なる妖精だなんて言ったの? あたしが名乗ったのは名前だけ。その他はここの連中が勝手に盛り上がって騒いでただけじゃないの」
「え」
言われた言葉がのみこめなくて、頭が真っ白になった。
なんだか聞いてはいけないことを聞いた気がするし、ガツンと壁くらいの大きさの巨大なもので頭を叩かれた気がした。いや、これは本当に壁が倒れたのかもしれない。
ラーシュが幼い頃から神殿にいるのも、かつらなんかを被って聖女のふりをしているのも、ファミリアが聖なる精霊と言われたからだ。ラーシュ自身がなにか特別な存在なわけではない。もしフレドリカが『そういうもの』ではなかったら、と考えたことがなかったはずはない。
それが、もし、本当に、聖なる精霊でなかったとしたら。ここにいた時間はまったくの無駄だったということではないのか。
「あたしが司るのは、聖なる力ではなくて、生き死にの『生』のほう。おおかた神殿は治癒やらなんやらの力を期待してるんでしょうけど勝手な思い込みよ」
ほんっと、ここの連中は金と権力のことしか頭にないんだから嫌になっちゃう、とぶつくさ文句を言っていたフレドリカは、思い出したように、完全に置いてけぼりになっていたラーシュの丸い瞳をじっと見つめた。
「言っておくけどね、坊や。昨日のだって、あたしの力の発露なんだから」
昨日の、と言えば、あのいかがわしい記憶しか出てこない。
あれが力だと言われてもピンと来ないし、ご利益があるようなものでもないように思う。ラーシュはおそるおそる訊き返した。
「……あれが?」
「そうよ。生きることは、つまり命を繋ぐこと。生殖は立派なあたしの専門よ」
えっへんと胸を張るフレドリカの言葉に、現実逃避みたいに、着替えのときに付き人のシスターたちがする話を思い出していた。
聖女の謁見に来ると、気鬱の病が治るとか、子宝に恵まれるとか。そう、子宝。変な夢を見て下着を呼びした朝にアルネも子を成すことだと言っていたし、同じように甘苦しい思いをした昨日の光景には、思い当たる節がありすぎる。
その話を聞いたときはさすがに気のせいだろうとしか思っていなかったが、もしも、それが本当に起こっていることで、このはた迷惑なファミリアの加護のせいなのだとしたら。嫌な予感がする、とても。
「……ってことは、昨日のはおまえのいつものイタズラとか、単なる気まぐれじゃないってこと?」
「ようやくあの子に逢えたんだもの。これから存分に愛をはぐくむに決まってるでしょお?」
当然、と笑うフレドリカに悪夢のような昨日の光景が甦った。
あのときはフレドリカが人払いをしていたし、アルネもなんとか閉め出せたけれど、あんなことが何度も起きればさすがに隠すことは出来なくなる。聖なる精霊ではないことも、あっという間にばれてしまうだろう。
「お、お、おまえ! こんなことがバレたら、おれまでここから追い出されちゃうだろ!」
「あら、ちょうど良かったじゃない。嫌だったんでしょ? 聖女のふりをするのも、ただここにいて何にもすることがないのも」
役立たず、と言われたエイナルの言葉が耳元に過ぎる。
たしかにフレドリカの言うことは否定できないけれど、さすがにタイミングというものがある。ラーシュは一瞬浮かびそうになった考えを慌てて打ち消した。
「だけど……それにしたって、もっと他の相手でもいいのに、なんでよりによってあいつなんだよ」
「そおねえ。なんていうか、あたしと全然ちがうって言うか、正反対って言うか」
顎に人差し指をあてて答えを探していたフレドリカが頬を染めて「まあ、ひとめぼれってやつ?」と無邪気に首を傾げるので、完全に脱力した。
そして、思った。これは自分ひとりの手には負えない。すみやかに救援を呼ぼう、と。
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