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それから、エイナルは午後の間は姿を見せなかったが、アルネに呼びつけられたのか、陽が暮れはじめた頃になって髪が濡れたまま現れた。それまでにここには立ち寄っていないと思うから共同風呂で済ませてきたのだろう。
戻ってきたときには侮ったような空気もなく、すっかりただの無表情に戻っている。
その姿を認めて、ラーシュは後ろを振り向いた。
「アルネ。今日はエイナルと食べるから、こっちに二人分用意して」
さっきの今で大丈夫なのかと視線が心配そうに問うてくる。でも、どうせ明日も明後日も顔を合わせることになるのだし、夜は隣の部屋で寝るのだ。こちらから避けるのは負けたみたいでどうにも嫌だった。
しばらくして調理場からぞろぞろとやって来た配膳係が、すべらかなテーブルクロスの上にいくつもの皿を置いて下がっていく。
真ん中に置かれた大皿から各自が取っていくスタイルだから、スープを盛り付けた後は飲み物の世話くらいしかやることはなく、いつもそれを請け負うのはアルネだった。
「立って食べるつもり? 席に座れば」
湯浴み場を使ってくれないように、アルネは何度誘っても同席してくれることはない。付き人が主人の食事に同席するのはマナー的にはあり得ないからだ。ラーシュ自身は他に誰がいるでもなし、別に席につこうが構わないと思うのだが、そういう点に関して、不良神官を自称するくせにアルネは頑なだった。
でも、きっとエイナルはそんなマナーのことは知らないだろうと踏んで、さっさと席についてしまってから隣の椅子を示す。
案の定、エイナルはちらりと立ったままのアルネと二人分しかない椅子に視線をやったが、何も言わずに腰を下ろした。
いつものように食前の祈りを捧げてラーシュは皿に手を伸ばしたが、向かいの椅子に座らせたエイナルはいつまでも食事に手を付けようとしない。
「なんだよ。まさか嫌いなものでもあった?」
テーブルの上をじっと見つめたままちっとも動かないから、子供みたいに好き嫌いがあるのかと笑ってやろうと思ったが、どうもそういう様子でもなさそうだ。
ぼんやりと料理に向けられる視線から覗くのは、困惑だろうか。その瞳は不安定に揺れていた。
「……いや、初めて見た……」
「はじめて?」
砕いたトウモロコシを煮たスープ。丸焼きにされたアオサギの肉と蒸し魚。そして、アナウサギの香草焼きにワインと白パンは、どれも定番のメニューと言えるもので、どこにも真新しさはないはずだ。
エイナルは、意味がわからずに首をかしげるラーシュからそっと視線をずらした。
そして、小さな声で「こんなに食器があるのも、こんなに種類があるのも、初めて見た」と溢した。
彼はラーシュが料理を取り分けるのを見て、見よう見まねでおそるおそるというように大皿に手を伸ばし始めてからも、穴のあくほどテーブルの上を見つめていた。
最初は料理を見ているのかと思ったが、視線の先にあるのは、どうやらパンのようだった。
何の変哲もない黒っぽくて平たいパンだ。食べるための白パンと違って、小皿の代わりにして大皿から個人用に取り分けるための場所だ。最初は固く焼きしめられているものだが、いくつかの料理を置いた後だから、今は肉汁が染みて柔らかくなってきている。
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