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「昔、よくこれを食べていた。……配られていたやつを」
パンで出来ている皿は普通、使い捨てされる。メニューによっては、一度の食事の途中で替えられることさえある。
小さい頃、捨てるはずのものが毎度丁寧に重ねて回収されるのが不思議で給仕役に訊ねたら、これらはその日の糧も手に入れられない貧しい人々に下げ与えられるのだと言われたことがある。
彼らの食事は何なのかと尋ねたら、その老婦人はとても困ったような顔をして、これが食事なのだと言った。今ならわかる。彼らにはこれの他に食べるものはなかったのだ。
修道院の下働きをしていたなら、贅沢はできなくても飢えるようなことはないはずだ。エイナルが言った昔というのはいったいいつの頃のことなのか、気にはなったが、気軽に聞けるような空気には思えない。
会話が繋がらないから中途半端なまま終わってしまって、沈黙を埋めるように、空いたテーブルの上には温められた食後酒が置かれる。
妙に静かになってしまった空気はどうにも居心地が悪く、なんとかそれを打ち破るべく、ラーシュは先ほどこの男の暴言で中断されてしまった部屋案内のことを思い出した。
「そういえば、さっき言い忘れたんだけど」
返事は無かったが、なんだと言うように視線が上がる。
「おれ自身のものはほとんど無いし、他は好きにしてくれて構わないけど、寝室の奥の壁は触らないで欲しい」
「壁?」
「そう。あそこから女性棟と繋がっているから」
かすかに目が瞠られただけだったが、それが彼の驚きの表情なのだとラーシュにはわかった。
「……そこからいつも行き来しているのか?」
「入れ替わりの時だけね。あっちに行っても、何があるわけじゃないし」
「だが、行こうと思えば自由に行けるのだろう?」
「急に行ったら仕事を増やすわけだし、向こうにも手がかかるから悪いだろ。それに正直、バレないようにって気を張るから疲れるから、あんまりあっちには行きたくない」
こっちだって好きで女装や聖女ごっこをしているわけじゃ無い。秘密を知る者が少ないせいで普段できない分、否定の言に力が入ったが、反応はあまり芳しくなかった。
だが、あんまりこの話題を引きずってもかえってこだわってると思われてしまうかも知れない。それ以上の主張は諦めて話を切り上げることにした。
「とにかく、あの壁には触らないってだけ覚えておいて」
もっと何か聞かれるだろうかという懸念は当たらず、エイナルは考え込むように顎を引いてそれ以上口を開かなかった。
憎まれ口すら響かない食卓はひどく静かで、せっかく数年ぶりに誰かと食べる食事だったというのに、話はちっとも弾まないまま散会になった。
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