壁の、むこう

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 くそっ、と低く毒づくエイナルの声が隣の控えの部屋から漏れ聞こえてきて、こっそりと笑いが溢れた。やっぱり感覚共有の被害を受けているのはラーシュだけではなかったらしい。  壁際にあるベッドの端までいけば、タペストリーの向こうにある石造りの壁からひんやりとした冷気が伝わってくる。  火照る肌をわずかに冷ましてくれるが、次から次へと来る感覚を消し去ってくれるほどではない。じくじくと、暖炉の灰に残った埋み火のように熱が体を焼いていく。息が浅くなり、芯から熱がともる。 「ん、はあ……っ」  あまりそうとは考えたくないが、毎日のように起こるそれに体が慣れてしまったのか、最初の時とは感覚は変わってきていた。  天変地異に巻き込まれたような劇的な衝撃こそなくなったが、その代わりに時間をかけてゆっくりと四肢の端から焦がされる。  遅い雪が地面でゆっくり溶けるように。  腰から下が熱くて、温度があがってぐずぐずに溶けてしまいそうだ。  エイナルも同じだろうか。ふたりはお互いに状況をなんとなく察しながらも、夜の間のことを口にすることはなかった。  困っている、厄介事。そのくらいの共通認識があるのがうっすら分かるだけだ。しかも、相変わらずフレドリカが宿主たちのことを慮って自重することもなければ、この快感から逃れるすべを見つけることもできていない。  もっとも、いくら性的愉悦が襲い掛かろうとも、あの無表情な男が乱れる姿はあんまり想像できない。眉をしかめたり、さっき漏れ聞こえたみたいに毒づくくらいなら容易にイメージできるのだけれど。  フレドリカに連れられてヴィゴと会った最初の時、彼はいったいどんな顔をしていただろうか。  たしか一緒のタイミングで膝をついた。それは覚えている。でも自分自身とても余裕がなくて、視界に映ったものの記憶は留めていなかった。 「……ん、」  下肢の間にゆるく起ちあがった物がひくりと震える。  吐精したのは何度かだけで、その他はじりじりと上げられた熱に嬲られるだけだ。彼らの交歓が終わってもとても健やかに眠れる状態ではない。  わけのわからないまま奔流に巻き込まれるのと、こうして長い時間正気を保ったままで狂おしい快楽に耐え続けるのと、一体どちらがマシなのかはわからないが、どちらにしてもラーシュにとっては行き過ぎた感覚だった。  伸ばした指先が、わずかな壁の段差に引っかかる。 「エイ、ナル……」  あれきり声は聞こえないが、この向こうには確かにあいつがいる。  きっと、眉間にこれ以上ないくらいのシワを寄せて、忌々しく舌打ちなんかして。それを見て安心する要素なんてどこにもないというのに、どうしてだかほっとする。  今この瞬間に苦しいのも、恥ずかしいのも、気持ちがいいのも、ラーシュだけじゃない。  ひとりじゃないということがこんなにも安心することだったなんて知らなかった。  周りにはどんなときでも世話人が付き、口うるさいくらいにあれこれしてくれて、少しくらいは一人きりの時間がほしいと思うくらいだったけど、皆が頭を垂れるのは聖女に対してであり、フレドリカに対してだ。ラーシュにではない。  そういう意味では、ラーシュは一人だったのかもしれない。産まれてからずっと、この体は自分のものであって、自分のものではなかったのだから。  タペストリーの向こう側にある壁の感触がわかるほどぎゅっと額を押し付けて、ラーシュは猫のように丸まった。 夢とうつつの狭間を押しつ、戻され、なんどもそこを行き来しながら、掴めそうで掴めない夢の切れ端を追う。  朝はまだ遠く、澱んだような暗闇が部屋に渦巻いて、ますますこの世界の空気を薄くしていた。
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