3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
博士の研究
「できた! ようやくできたぞ!」
両手でガラス瓶を掲げ、博士は歓喜した。
そばにいる助手も、博士の喜びように思わず頬が緩む。
「やりましたね博士」
「あぁ、ようやくだ。5年もかかったぞ」
そう言いながら、博士は愛おしそうにガラス瓶を抱き締めた。
「それで博士。その、一つお聞きしたいことがありまして」
「なんだ、言ってみろ」
「その、ガラス瓶の中身なんですがね。それは一体何ですか?」
恐る恐るといった様子で助手が尋ねると、博士から笑みが消えた。
それから顔を真っ赤にし、博士は怒鳴る。
「何だと? 私の研究は私のものだ。君が私の助手でも、こんな大切な事を教えるわけないだろう!」
興奮する博士に、助手は慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません!」
しかし、博士の怒りは収まらない。
「いいか! これはな、このガラス瓶の中身はな。とても重要な物であって、これさえあれば世界が変わってしまう程の効果を……効果、を……」
突然、博士が静かになった。
ガラス瓶を抱き締めたまま、博士は首を傾げている。
「……は、博士?」
助手がそっと声を掛けると、博士は顔を上げた。
「困った事になったぞ」
「えっと、どうしたのですか?」
「中身の効果が思い出せない」
「そ、そんな……」
博士からの予想外過ぎる言葉に、助手は力なく座り込む。
そのそばで博士は、なんとか効果を思い出そうとガラス瓶を見つめているが、中身の黄色い液体はゆらゆら揺れるだけ。
「うーん、何故思い出せないのだ。助手は何か知らないのかね?」
「し、知るわけないでしょう! 博士は何も教えてくれなかったではありませんか!」
「全くというわけではないだろう! 何でもいいから思い出すんだ!」
博士の滅茶苦茶な言い分に、助手は頭を抱えた。
「今更そんな事を言われても…………あ」
「な、なんだ。思い出したのか?」
「……博士はいつも、月明かりの下で研究をしていました」
その言葉に、今度は博士が頭を抱える。
「そんな事は知っている。今の今まで、研究をしていたのだからな。私が聞きたいのは、作り方や材料ではなく、効果なのだよ」
博士と助手は、大きなため息をついた。
作り方や材料がわかっても、効果がわからなければ、世に研究成果を発表することができない。
このままでは、2人の5年間が無駄になってしまう。
「……いや、待てよ。そうだ、そうすればいいじゃないか!」
何を思い付いたのか。
ニヤリと笑む博士は、ガラス瓶の蓋を取り床に落とす。
「は、博士。一体何をするつもりですか?」
「わからないなら、試せばいいのだよ」
蓋の無いガラス瓶を杯のように掲げると、博士それに口をつけようとした。
「や、やめてください!」
助手は慌てて立ち上がり、ガラス瓶を掴んだ。
「もし、もし毒だったらどうするんですか!?」
「私は毒を好かん。材料も全て人体に無害な物ばかりだ。安心したまえ」
博士と助手の間で揺れるガラス瓶。
ちゃぷちゃぷと踊る黄色い液体は、やがて大きな波となり、ガラス瓶の口から溢れた。
「う、うわあぁぁぁぁ!!」
一滴の液体が腕にかかり、助手は思わずガラス瓶から手を離してしまう。
急に手を離された博士は、ガラス瓶を持ったまま後ろに尻餅をついた。
「痛っ!」
「あ、博士……すみま……」
助手の言葉が中途半端に切れる。
その目に映ったのは、黄色い液体にまみれた博士。
ガラス瓶は博士の手の中にあり無事なようだが、液体は全て溢れたようだ。
「あ、あぁ……博士、博士申し訳ありません」
効果不明の液体を博士にかけてしまった。
けれど、どうしたらいいのかわからない助手は、ただただ謝る事しかできない。
「申し訳ありません、申し訳ありません博士」
「……全くだ。急に手を離すとは」
「はい、はい。本当に申し訳ありません。謎の液体を博士にかけてしまうなんて」
「いや、それは問題ないのだ」
落ち着かない様子の助手とは違い、博士はとても冷静だった。
尻餅をつき、黄色い液体にまみれたまま、博士は首を傾げている。
「しかし……うん、これは困った事になったぞ」
博士の言葉に、助手の顔は真っ青になった。
「困ったって……まさか、その液体は毒だったのですか?」
「この液体は無毒だ。味も私好みの甘さで美味い。それに……うむ」
「い、一体何なんですか?」
青い顔の助手を尻目に、博士は窓の向こう側に目を向ける。
雲の隙間からわずかに月が出ているが、その光は博士まで届かない弱いものだ。
「……この液体を飲むとな、都合の悪い記憶を鮮明に思い出す事ができるのだよ」
「都合の悪い……? も、もしかして、博士が効果を思い出せなかったのって……」
「あぁ。私は昔、ある権力者からの依頼でこの薬を作った。そして忘れたのだ」
「忘れる? それは、どうやって?」
助手の問いに、博士はニヤリと笑む。
「この薬にはもう1つ作用がある。月明かりに照らされると、思い出した記憶をまた忘れるというものだ。名付けるなら……そうだな――」
その続きを拒むかのように、月明かりが優しく博士の顔を照らす。
「あっ!」と助手が声を上げた時には手遅れだった。
光に照らされた博士は、きょろきょろと周りを、黄色い液体で酷く濡れた自身を、そして手に持ったガラス瓶に目をやる。
「これは……何て事だ。大切な薬が溢れてしまったなんて。あぁ、せっかくの研究が。これではやり直しではないか」
そう言って項垂れる博士を、助手はただ見ている事しか出かなかった。
最初のコメントを投稿しよう!