博士の研究

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博士の研究

「できた! ようやくできたぞ!」  両手でガラス瓶を掲げ、博士は歓喜した。  そばにいる助手も、博士の喜びように思わず頬が緩む。 「やりましたね博士」 「あぁ、ようやくだ。5年もかかったぞ」  そう言いながら、博士は愛おしそうにガラス瓶を抱き締めた。 「それで博士。その、一つお聞きしたいことがありまして」 「なんだ、言ってみろ」 「その、ガラス瓶の中身なんですがね。それは一体何ですか?」  恐る恐るといった様子で助手が尋ねると、博士から笑みが消えた。  それから顔を真っ赤にし、博士は怒鳴る。 「何だと? 私の研究は私のものだ。君が私の助手でも、こんな大切な事を教えるわけないだろう!」  興奮する博士に、助手は慌てて頭を下げる。 「も、申し訳ありません!」  しかし、博士の怒りは収まらない。 「いいか! これはな、このガラス瓶の中身はな。とても重要な物であって、これさえあれば世界が変わってしまう程の効果を……効果、を……」  突然、博士が静かになった。  ガラス瓶を抱き締めたまま、博士は首を傾げている。 「……は、博士?」  助手がそっと声を掛けると、博士は顔を上げた。 「困った事になったぞ」 「えっと、どうしたのですか?」 「中身の効果が思い出せない」 「そ、そんな……」  博士からの予想外過ぎる言葉に、助手は力なく座り込む。  そのそばで博士は、なんとか効果を思い出そうとガラス瓶を見つめているが、中身の黄色い液体はゆらゆら揺れるだけ。 「うーん、何故思い出せないのだ。助手は何か知らないのかね?」 「し、知るわけないでしょう! 博士は何も教えてくれなかったではありませんか!」 「全くというわけではないだろう! 何でもいいから思い出すんだ!」  博士の滅茶苦茶な言い分に、助手は頭を抱えた。 「今更そんな事を言われても…………あ」 「な、なんだ。思い出したのか?」 「……博士はいつも、月明かりの下で研究をしていました」  その言葉に、今度は博士が頭を抱える。 「そんな事は知っている。今の今まで、研究をしていたのだからな。私が聞きたいのは、作り方や材料ではなく、効果なのだよ」  博士と助手は、大きなため息をついた。  作り方や材料がわかっても、効果がわからなければ、世に研究成果を発表することができない。  このままでは、2人の5年間が無駄になってしまう。 「……いや、待てよ。そうだ、そうすればいいじゃないか!」  何を思い付いたのか。  ニヤリと笑む博士は、ガラス瓶の蓋を取り床に落とす。 「は、博士。一体何をするつもりですか?」 「わからないなら、試せばいいのだよ」  蓋の無いガラス瓶を杯のように掲げると、博士それに口をつけようとした。 「や、やめてください!」  助手は慌てて立ち上がり、ガラス瓶を掴んだ。 「もし、もし毒だったらどうするんですか!?」 「私は毒を好かん。材料も全て人体に無害な物ばかりだ。安心したまえ」  博士と助手の間で揺れるガラス瓶。  ちゃぷちゃぷと踊る黄色い液体は、やがて大きな波となり、ガラス瓶の口から溢れた。 「う、うわあぁぁぁぁ!!」  一滴の液体が腕にかかり、助手は思わずガラス瓶から手を離してしまう。  急に手を離された博士は、ガラス瓶を持ったまま後ろに尻餅をついた。 「痛っ!」 「あ、博士……すみま……」  助手の言葉が中途半端に切れる。  その目に映ったのは、黄色い液体にまみれた博士。  ガラス瓶は博士の手の中にあり無事なようだが、液体は全て溢れたようだ。 「あ、あぁ……博士、博士申し訳ありません」  効果不明の液体を博士にかけてしまった。  けれど、どうしたらいいのかわからない助手は、ただただ謝る事しかできない。 「申し訳ありません、申し訳ありません博士」 「……全くだ。急に手を離すとは」 「はい、はい。本当に申し訳ありません。謎の液体を博士にかけてしまうなんて」 「いや、それは問題ないのだ」  落ち着かない様子の助手とは違い、博士はとても冷静だった。  尻餅をつき、黄色い液体にまみれたまま、博士は首を傾げている。 「しかし……うん、これは困った事になったぞ」  博士の言葉に、助手の顔は真っ青になった。 「困ったって……まさか、その液体は毒だったのですか?」 「この液体は無毒だ。味も私好みの甘さで美味い。それに……うむ」 「い、一体何なんですか?」  青い顔の助手を尻目に、博士は窓の向こう側に目を向ける。  雲の隙間からわずかに月が出ているが、その光は博士まで届かない弱いものだ。 「……この液体を飲むとな、都合の悪い記憶を鮮明に思い出す事ができるのだよ」 「都合の悪い……? も、もしかして、博士が効果を思い出せなかったのって……」 「あぁ。私は昔、ある権力者からの依頼でこの薬を作った。そして忘れたのだ」 「忘れる? それは、どうやって?」  助手の問いに、博士はニヤリと笑む。 「この薬にはもう1つ作用がある。月明かりに照らされると、思い出した記憶をまた忘れるというものだ。名付けるなら……そうだな――」  その続きを拒むかのように、月明かりが優しく博士の顔を照らす。  「あっ!」と助手が声を上げた時には手遅れだった。  光に照らされた博士は、きょろきょろと周りを、黄色い液体で酷く濡れた自身を、そして手に持ったガラス瓶に目をやる。 「これは……何て事だ。大切な薬が溢れてしまったなんて。あぁ、せっかくの研究が。これではやり直しではないか」  そう言って項垂れる博士を、助手はただ見ている事しか出かなかった。
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