不幸は猫が持っていった

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隅々まで館内を歩き、勉強スペースの空きがゼロであることを確認すると、私はそっと図書館を後にした。 しまった、完全に油断してた。 いつも使っている近所の図書館が休館日であるため、わざわざ二駅先の駅前の図書館まで来たのだが…… ていうか、まだ開館から三十分も経ってないじゃん。こっちなら大丈夫だと思ったのに…… 中学の最寄り駅の駅前の図書館は、開館一時間前から長蛇の列が出来るほど勉強スペースの激戦区であった。八時に起きた時点でそちらは無理(そもそも現在の定期区間と反対方向なので交通費がかかる)、と選択肢から除外し、開館時間の長いもう一つの図書館へと足を運んだのだが、駅前というのはどうも混むらしい。普段使っている図書館が駅から少し離れていて良かった、と安堵すると共に、自分の読みの甘さに辟易した。 ああ、もう電車乗るのも面倒くさい。 まあたかが五分程度の道のりだが、この暑さでは僅かな移動すら億劫だ。左肩にかけていたリュックを背負い直す。するとなんとも言えない冷たさに背中がぞわりと震える。さっきまで気づかなかったが、リュックが背中に密着することによって汗をかいていたらしい。じっとりとした汗の感触がなんとも不快であるが、片方の肩に負担をかけ続けると後々肩こりが酷くなるので、私はリュックを背負ったまま渋々歩き出した。 にしても、これからどうしよう。 当然のことながらもう一つの方は空いてないだろうが、かといって他に知っている図書館は無い。もう少し足を伸ばしてみるか?いや、これ以上先は学校の人がいるリスクがある。ここですらギリギリなのに。 私は基本的に外……一人でいることを前提としている時に知り合いに会うのがすこぶる苦手だ。特に勉強中は勉強効率を第一に考えているので、髪型も服装もあまり見られたくない。もう一つ先の駅はちょっとした乗り換え駅で、私は一本で通っているがそこから乗り換えてうちの高校に通っている人も多い。故に、ここから先は知り合いへの遭遇率が跳ね上がる。とりあえず最寄りまで戻って、駅前のチェーン店のカフェでも行こう……と私は重い足を動かした。 「……それでね、さっきの店員ったら……」 「あらやだ、まったくこれだから最近の若い子は……」 一番奥だから、と安易にこの席を選んだことを私は早くも後悔した。 隣にいるのは六十代らしき二人の女性。先程のレジの店員の態度が気に入らなかったらしく、狭い店内に響き渡るくらいの大きな声で延々と愚痴を言っている。 すぐに若者で一括りにしないでよ……ていうか、この店の店員の悪口をこんな大声で言ってる貴女達の方が非常識だと思いますけど? と言いたいのをぐっと堪える。こういうタイプの人は、注意した途端逆ギレするタイプだ。面倒事を起こすのは、それこそお店に迷惑がかかる。頼んだホットサンドと、長居する言い訳用に買った好きでもないアイスコーヒーを無理やり胃に流し込み、私は足早に店を出た。 勉強出来なかったストレスと、未だ口に残る苦味で、私の胃は物理的にも精神的にもムカムカしていた。おまけに私が店に滞在していた三十分程の間に通り雨が降ったらしく、外は包み込むようなじっとりとした空間が広がっていた。しかも依然暑さは変わらない。先程のこともあり、イライラしていた私は自転車を停めている場所まで小石を蹴って歩いた。丁度人通りは少なかったので、ストレス発散も兼ねて結構遠くまで一蹴りで石を飛ばした。 その時、石が飛んだ先で何かが動いた気がした。 え、不味い、誰かいたの? 恐る恐る近づき、垣根をそっと覗くと…… そこには、一匹の小さな猫がいた。様子から見るに、石がぶつかった訳ではなく、石が垣根に入った音にびっくりしたらしい。とりあえず当たってないことに安堵し、私は猫にそっと近づいた。キジトラの猫は、毛を逆立てながら、少し怯えた目で私をじっと見つめた。猫好きにあるまじき失態。申し訳なさで胸が締めつけられる。 「ごめんね……怖くないからおいでー」 警戒心を解こうと私は少し離れた場所に腰を下ろした。猫は自分より目線が高い相手を強い相手だと思い、警戒する。少しでも目線を低くして、猫に安心して欲しかったのだ。 そして人差し指を突き出し「チッチッ」と小刻みに動かすと、猫はそっと私の指に近づき、匂いを嗅いだ。 「怖くないよー……怖くない」 その場で撫でたいのを我慢する。まだだ。まだ私への警戒は取れていない。それから三分くらい格闘してようやく猫は私の手に擦り寄ってきた。 そのとき、身体がじんわりと温かくなっていくのを感じた。 それまでのイライラなんて全部忘れて、ひたすら猫のご機嫌とりに勤しむ。 なんて滑稽で、なんて素敵な時間なのだろう。 しばらくすると、猫はぷいと背を向け、歩道ブロックの上を器用に歩きながら気まぐれにどこかへ行ってしまった。 あれくらい、自由気ままになろうかな。 私は腰を上げ、乾きかけのアスファルトを歩き出した。 不運な日は石を蹴ってみよう、幸せに当たるかもよ。
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