第五章

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第五章

 人狼になってからもう何度目かも分からない、満月の夜がやってきた。  初めて変身したあの夜以来、私は満月を見たことは無い。養父が許さないというのはもちろんだが、私自身も獣になってしまうのは怖かった。  だからその夜も、いつものように地下室の隅で毛布を被り、さっさと寝てしまおうとした。満月の夜であることを意識したためか、あの夜の夢を見た。 獣と化した父が、母の喉笛を食いちぎろうとしている。    夢の中の私は、それが夢だと気づいていた。  母が悲鳴をあげる。  夢なのに随分と生々しい悲鳴だな――と思った直後、すぐ傍で何かが激しくぶつかるような音が響き、私は驚いて跳ね起きた。    最初に私の視界に飛び込んできたのは、破壊された扉だった。そして、そこから侵入してきたもの――それは、一頭の獣だった。  しかし、ただの獣ではない。その証拠に、狼のような頭と毛で覆われた体を持ちながらも、人のように二本の足で立ち、衣服さえ着ていた。  あの夜、父が変身したものとよく似た姿。  間違いない。それは、満月を見て変身した人狼だった。 獣はまっすぐに私の方へと向かって来る。私は逃げようとしたが、狭い地下室の中だ。逃げ場なんて無い。  獣はすぐ傍までやって来ると、私の顔に鼻先を近づけてきた。私が顔を背けるのを見て、獣は口角を持ち上げた。 「おいおい、その態度は無いだろう。実の兄の顔も忘れたか? なんてな。今の顔で分かるわけもないか」 「兄……さん……?」  兄はてっきりあの夜に死んだものとばかり思っていたが、考えてみれば、私は兄が襲われたところを見ただけだ。死んだのを確認したわけではない。そして、父に噛まれた兄が死んでいないのなら、私と同じく人狼となっているのは自然なことだった。 「親父の仇討ちのためにここに来てみたら、運悪く当人は留守でよ。仕方ないから地下牢にいるって噂の仲間だけでも逃がそうと思ったんだが、まさかそれがお前だったとは。これも運命の導きかもな。いっしょに親父の仇を取ろう」  兄の言う父の仇というのが、養父を指しているということはすぐに分かった。  私は、首を横に振る。 「父さんは、私達を殺そうとしたんだよ。あの人が父さんを殺さなかったら、私だって死んでた」 「殺さなくても止めることはできたはずだ!」  兄は吼えた。 「少なくとも人狼でなく人間だったら、たとえ人殺しでも問答無用で殺したりはしなかったろうよ。俺はこの五年で嫌というほど思い知ったよ。奴ら、俺達のことなんてただの化け物としか思っていない。俺達だって元は人間だったのに!」  よく見ると、兄の顔や腕には古いものから新しいものまで数多くの傷があった。言葉遣いも、私の知る兄と比べて随分と荒んでいる。この地下室に籠もりきりだった私とは違い、兄の五年間は人狼狩りとの戦いの日々だったのだろう。 「でも、おと――」  養父のことをうっかり『お父さん』と呼びそうになり、そんなことをすれば兄を余計に刺激することになると気がついて言い直す。 「――あの人は、私をここまで育ててくれた」 「子供を殺したら後味が悪いからってだけのただの自己満足だろう。お前のためじゃない。あいつ自身のためだ」 「違う。あの人は私のためにいろんなことをしてくれた。私はあの人に、感謝してる」  兄は言うことを聞かない私に業を煮やしたのか、チッと舌打ちした。そして、私の腕を掴んで強引に引っ張った。 「じゃあ俺が分からせてやるよ。俺達人狼には、奴らと馴れ合って生きるなんて無理だってな」
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