第七章

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第七章

 憎い。  何の罪も無い私を、暗くて狭い地下に閉じ込め続けてきた養父が。  私だって本当は、地下なんて嫌だった。好きな時に外に出たかった。友達とも会いたかった。こうなる前の友達とは、結局お別れさえ言えないままだ。 憎い。  私をそんな境遇におきながら、それでいて慈悲を施しているつもりでいる彼が。  憎い。  親代わりのつもりでいたくせに、実の子ができた途端、私への関心などすっかり薄れてしまった彼が。  後から失望させるくらいなら、最初から期待なんてさせないで欲しかった。  憎い。  私と違って、本当の親から、憐憫や自己満足のためでない本物の愛情を受けている、目の前のこの子供が。  湧き上がってくる怒りと憎しみが命ずるままに、この子供を(ほふ)りたい。  ああ、でも駄目だ。もし私がそんなことをすれば、私を殺すべきだと言ったあの白髪の男が正しかったことになってしまう。  ――こいつが『殺さず閉じ込めて飼い続けてくれてありがとう』と感謝すると思うか? そんなわけがない。殺さず生かしておくことで、お前はこいつ自身だけでなく、こいつのお前に対する憎しみも育てているのだ。  ――お前もいずれ、私の方が正しかったと知る時が来る。  あの言葉が正しかったと、他ならぬ私自身が証明してしまうことになる。  それは嫌だった。  それだけは、我慢ならなかった。  だから私は、自分にずっと言い聞かせ続けてきたのだ。  自分は養父を憎んでなどいない、彼には感謝している――と。  そう自分を騙し続けてきたのだ。  でも、もう無理だ。これ以上、自分を誤魔化せそうにない。湧き上がる憎しみを抑えられそうにない。 鉤爪の生えた自分の手が、幼子の首に向けて伸ばされる。    嫌なのに。私を殺してしまえと言ったあの男が正しかったことになってしまうのは、本当に嫌なのに。  そこで私は、先刻の兄の言葉を思い出した。  ――憎しみを抑えるんじゃない。憎しみで行動を抑えるんだ  私は、憎しみの矛先を変えようとした。養父とその子供から、私を殺せと言ったあの白髪の男へと。  憎い。  憎い憎い憎い憎い憎い。あの男が。私を殺せと言ったあの男が。そうだ、私が一番憎いのは、あいつだ。  ここで私がこの子供を引き裂けば、あの男はそら見たことかと嗤うだろう。自分の言った通りだったではないか、と得意げな顔をするだろう。  そんなことが許せるのか。  憎いあいつが正しかったことになっても構わないのか。  子供の首に届きそうになっていた手が、ぎりぎりのところで止まる。  もしも私が、兄のようにこれまで何度も獣になっていて、憎しみで行動を抑えることに慣れていたなら、きっとこのまま、何もせずに済んだだろう。  けれど変身経験の乏しい私には、長時間自分を制御するのは無理だった。  憎い。  憎い憎い憎い憎い憎い憎い!  鮮血が飛び散るのを、私はどこか他人事のような目で見ていた。
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