1・男の生業

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1・男の生業

「レントゲンでは骨に異常は見当たらないのですけどね。腫れもないから捻挫とも言えませんよねぇ・・・」  とある総合病院の整形外科で医師と患者が向かい合っている。デスク上の電光パネルに足のレントゲン写真が貼り付けてあり、それを見て何やら話し合っている。足首から下の写真。右足のようだ。 「それは無いんじゃないですか? 痛くて足を付けないですよ」  患者は素足になっている右足を前に出して、両手で膝上を握っている。 「うーん・・・。まぁ骨に異常のない打ちみという感じですかね」 「はぁ」 「とりあえずは湿布をしておくしか処置できないですがね」 「診断書はいただけますか? 会社に出さないとなりませんので」 「ええ、もちろん。あとは接骨院などで治療をするかですね」 「分かりました。松葉づえは頂けるのでしょうか?」 「買っていただくことになりますが」 「分かりました」  男は神妙な面持ちで医師を見た。明日からの仕事での支障に不安を抱いている様子だ。 「大丈夫かい、西澤さん」 「大丈夫に見える? とりあえず人事に行って説明して来るよ」  男は翌朝、松葉づえを突いて出社した。妻も同じ職場であり、その妻の運転する車に乗せてもらった様子だ。  ここは栃木県那須高原にあるリゾートホテル。男の名は西澤大輔。年齢は43歳。中途採用で送迎バスの運転手として採用されたばかりだった。 「これは大掛かりなことになってしまったね」  人事課長は目を大きくして言った。 「全くですよ」 「アクセルを踏めるかどころの問題じゃなかったな」 「そうなんです。しばらく安静にして通院して下さいと言われました」  応接用のソファーに浅く腰を掛けて右足を伸ばしている大輔。 「一応こちらでは労災手続きを取るので、この書類を記入してもらえるかね。薄く鉛筆で丸をしてある部分だ」  大輔に労災申請用の書類を渡す人事課長。 「その体勢で書けるかい?」  高さの低い応接用のテーブルで体を丸める大輔。 「腕は大丈夫ですので」  と書類に必要事項を書き始める。 「その相手の方とはどうなったの?」  大輔の対面に腰を掛け話しかける人事課長。 「ええ、保険屋との話になっています」 「あっ、それだったら治療費は相手の保険で出してもらえる? 労災認定しちゃうと、うちがペナルティ被るんだよね。その分仕事ができない間は有給ということで、こちらで処理をするから」 「あ、分かりました。僕はどちらでもいいですよ」  慣れたように大輔は軽く返事をした。
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