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エピソード『魔女の館』 第2話 魔女の館と怪奇現象
魔女の館は朽ちることなく、十一年前に訪れた時と同じような姿でそこに存在していた。
通用門から洋館までの道は手入れが行き届いており、ゴミはおろか雑草さえ生えてはいなかった。
そのような道を東美玲が歩み、美玲を追いかけるようにして東拓郎が続いていた。
魔女の館が目の前に現れるなり、東美玲はあからさまに顔をしかめて、目を細めて忌々しげに見つめた。
「悪趣味なお父様の権化のような建物よね、ここは」
九年前に故人となった父親である東喜八をよくは思っていないのが、その言葉に露骨に表れていた。
「いやいや、姉さん、感謝すべきでもある。この屋敷に手をつけていないよう遺言に残していたのだからね。何かあった際の起死回生の財産とでも考えていたのかもしれない」
姉にようやく追いついた東拓郎が若干息を切らせて言う。
「魔女があるからこの屋敷を残したかったんでしょ。私達の事なんてこれっぽっちも配慮していないわよ。ここは痴呆症になったお父様の負の遺産よ」
十一年前にこの館での一件により、東喜八が痴呆症らしいと周知の事実となった。
そこから東喜八がこれまで築いてきた地位が瓦解する事はなかったものの、東喜八という資産家の影響が薄れている事が知れ渡り、跡を継いだ東美玲と東拓郎の二人を見定めるような流れとなって今に至る。
二人は偉大な資産家である東喜八の血を継いではいたが、能力まで継ぐ事はなかったようで、九年前に東喜八が死去した後は、滑るように東家の影響力と資産は落ちていった。
東喜八が大手商社と双璧をなすほどに成長させた会社はすっかり衰え、銀行からの借り入れを断られるほどに落ちぶれ、いつ倒産するのかと囁かれるほどであった。
そこで東美玲と東拓郎は起死回生の一手を打つ資金を得るべく、東喜八の遺言に逆らうようにこの洋館を売却しようかと考え、検分しに来たのである。
東喜八の遺言とはこのようなものであった。
『あの屋敷には手を出してはならない。他の遺産ならば、煮るなり焼くなりしようが構わないし、いくらでもお前達にくれてやる。だが、あの屋敷だけはお前達には譲らん。あれは私の全てだ。あの屋敷が朽ちるまでそっとしておいて欲しい。それさえ守れば、私は安心して逝けるというものだ。これは私の意思であり、最愛の魔女の望みでもある』
登記簿では、土地の所有者は東喜八のままであり、遺言である以上、今までは誰も変更しようとはしてはいなかった。
美玲と拓郎は尻に火がついた状態である上に、評価額が数億という事もあって、背に腹は代えられないところであった。
「鍵はあるの?」
美玲は九年間も誰も住んではいない洋館が予想以上に綺麗な外観である事に機嫌を良くして、拓郎を見た。
幽霊屋敷だとか言われているのが、ただの噂に過ぎない気さえしてくる。
「当然あるよ。無きゃ入れないだろう」
拓郎がジャケットの内ポケットから鍵を取り出そうとした時であった。
カチャリという鍵を開ける音がしたと思ったら、大きな木の扉がすっと開いた。
「……ッ」
美玲と拓郎の動きがピタリと停止した。
二人の顔からすっと血の気が引くと共に、寒気が全身を駆け抜けた。
「誰か先に来ていたの?」
恐る恐る顔を玄関の方へ向ける。
来訪者を迎え入れるようにドアは開いたものの、その先に人の姿はなかった。
「姉さんも知っているでしょ。九年間、誰も住んでいない。今日だって、誰かがいるはずもない」
「ドアが開くだなんて。あなた、見てきなさいよ」
「えっ?!」
当然のように驚きの声を上げて、拓郎は及び腰になった。
「誰かいるかもしれないじゃない」
「……そうだけど」
美玲も拓郎も思い当たる事があったのだ。
この館に東喜八の幽霊がいて、ここを売却しようと知って現れたのではないかと。
「ならば、挨拶してきなさいよ」
この館には幽霊がいるという噂がある。
管理を任されている人が数ヶ月に一回、この館を見に来ていた。
行く度に足音を聞いたのだ、ドアが勝手に開いたのだという怪奇現象のようなものが起こると報告してきたのだ。
怪奇現象と呼べるようなものが多発しているのが原因となって、九年で四人もの管理人が去っている。
「……分かったよ」
拓郎が吹っ切れたように言い、恐れを振り払うかのように大股で開いた扉のところまで行き、
「父さん、まだいるのか?」
返事は当然返ってくるはずもなく、髪の毛をくしゃくしゃになるまで掻きむしった後、意を決してすっと館の中へと入っていく。
「いい加減にしてくれよ、父さん。もう死んでいるんだから去ってくれよ」
拓郎は入ってすぐのところで立ち止まり、そう呼びかけた。
今もここに父親である東喜八が住んでいるかのような、そんな気配が館内には漂っていた。
懐かしさを覚えたのもつかの間、例のホールに向かっているかのような何者かの足音が静寂に包まれている館内に響く。
「だから……」
足が震えだすのを堪えながら、拓郎は声を絞り出そうとするも、最後まで言葉にはできなかった。
拓郎の言葉など意に介していないかのように足音はホールの扉の前で止まり、その存在を誇示するかのように扉が開いた。
「……ひ、ひぃ……」
拓郎の強気が一気に崩れ去り、一歩後ずさる。
ホールの扉が開くと、そこから見えたのは、魔女の油絵であった。
魔女がこちらを見ているような気がした。
じいっと見ると、目があった。
合うはずの目が合ってしまったのだ。
拓郎は思わず顔を背けそうになる。
油絵の魔女が拓郎の目を見つめながら、微笑みかけたように思えた。
「……姉さん、分かったよ。魔女だよ、魔女がいるんだよ、この館には」
「な、何を言っているのよ?」
ようやく館に入ってきて、ホールの扉が開いたのを目の当たりにして膠着してしまった美玲が顔面を蒼白させながら言う。
「父さんの霊は魔女に取り憑かれているんだよ」
美玲は全く理解できないといった表情で拓郎を呆然と見つめる。
「父さんの幽霊は魔女にとらわれているんだよ。魔女がいる限り、この館に父さんは居続けるって事だよ」
「どうして……そう言えるの?」
美玲も拓郎がそうしているように、魔女の油絵に目をやっていた。
「生前の父さんは魔女に縛られていたからね。死後も縛られているんじゃないかなってね」
「なら、どうするっていうのよ」
美玲は気圧される事を厭うように、魔女をキッと睨み付ける。
「魔女を退治すれば、父さんはこの屋敷を出て行くかもしれない。そうすれば、売っても問題なくなるんじゃないかな」
この場にいて、そのような事を提案するのに度胸が必要ではあった。
だが、拓郎は後がないことが分かっているだけに、もうなりふり構ってはいられない。
この屋敷、強いていれば、この土地を売れば、数億のお金が転がり込んでくる。
売らなかったとしても、この土地を担保に銀行からお金を借りる事さえできるのだ。
「この屋敷が手に入りさえすれば……」
拓郎がその先の言葉を紡ごうとした瞬間、ホールの扉がバタンと大きな音を立てて勢いよく閉まった。
その音が館内に反響するなり、美玲が声にならない悲鳴を上げるなり、動かなかった足を引きずるように館から出て行った。
「ね、姉さん!」
生前の東喜八の姿が脳裏に浮かんできて、その威厳に自分が尻尾を巻いて逃げるような姿が見えてしまったからか、美玲と同じように館から逃げ出した。
美玲も拓郎も父親である東喜八との格の違いがあるのは当然自覚している。
それ故に逃げる事しか思い浮かばなかった。
それと同時に、自分達以外の何者かに手助けしてもらうしかないとも思ったのであった。
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