22人が本棚に入れています
本棚に追加
それではクイズです
修学旅行から帰ってきて、私はまた通常の生活に戻った。
本木先生とはそれっきり会話すらない。
修学旅行の後半部分は、何をしていたのかはっきりと覚えていなかった。たぶん、貧血がひどかったのだろう。バスで寝こんでいる事が多かったし、部屋を出ることも少なかった。だから、なおさら本木先生と会う機会がなかった。
とても寂しい。
私の世界はほとんど変わらないけれど、寝ても覚めても本木先生の事ばかり考えるようになった。だからといって、会いに行くわけでもない。本木先生は忙しいだろうし、どういう理由で会いに行けばいいのかもわからなかった。ジメジメした梅雨と一緒に、グジグジと悩んだ。
私と同じように身を持ち崩したと思っていた彼女は、今は幸せらしい。校門前に恋人が迎えに来ていたりして、みんなの噂になっていた。その人との事を聞かれても、あまり詳しくは話したがらなくなった。たぶん、それだけ大事に想っているのだろう。良かったという思いと同時に、仲間がいなくなってちょっと寂しかった。
それでも私は冷静だ。いや、落ち着いたと言ったほうがいいかもしれない。前のように、必死になって自分を守ろうとか、冷静でいようとか思わなくなっていた。どうして本木先生があんなに冷静に見えるのか、少しだけわかった。友達の数人が、変わったねと言ったから、私は適当に言葉を返しておいた。
しかし変わったせいなのか、松岡先生と小宮先生から注意される回数が多くなった。挨拶が小さいと、悩み事でもあるのかと余計なことまで言われる。宿題を忘れると、教室で居残りまでさせられて、ずっと見張られながら数学の問題を解かなくてはいけなくなった。私はもっと出来が悪くなったらしい。
だいたい、この先生たちは何の恨みがあるのか、一年生の時から毎日のようにつきまとう。それが三年生になった今でも続いているのだから、恐ろしい限りだ。この二人が担任にならなくて良かった。内申書に何を書かれるか、リアルに想像できる。
ものすごく辛い。
本木先生のほうから会いに来てくれればいいのにと思った。でも、あれだけ酷い事を言って、それでも会いに来てくれる確率は低い。私は散々、考えのない、つまらない言葉をぶつけて、大人ぶっていたから。それに言われた。
「君がそんなに意固地で底意地が悪くて、最高にわがままで全然おしとやかじゃないって事を全く知らなかった」
そうね、あまり人に好かれる性格じゃないわね。
勉強に集中して誤魔化していると順位も上がるもので、七月の中間テストで学年二十位以内に入った。校外の大学を狙っているから、この時期に順位が上がるのは嬉しい。私の名前が掲示板に載った。でも本木先生に名前を見つけられるのが嫌で、隙を見て修正液で消した。
これでよし。
ちょっと気持ちがスウっとした。同時に梅雨もカラっと明けた。
さっさと『彼氏』でも見つけて、忘れてしまおう。よく考えたら、私は生まれてこの方『彼氏』を持った事がない。バレンタインにチョコをあげた記憶もない。我ながら地味な青春だ。
その暗い青春を打破するために、一念発起して合コンに参加した。メンバーは隣の男子校からやってくる。待ち合わせに駅前のマクドナルドを指定して、友達四人と行く予定だ。あれこれと選ぶのも面倒だから、相手は最初に目に入った人にしようと思っている。無論、相手のほうが嫌だと言えばどうしようもないけれど。
この日のために用意しておいた、ピンクのノースリーブとインディゴブルーのジーンズを着て家を出る。唇のリップもラメ入りのピンクにして、服と合わせた。長い髪は巻いてお嬢様っぽくした。あまりにも上が可愛すぎるから、下のジーンズで辛さを出しましたって感じ。バッグは水色、靴はベージュのサンダル。定番だけど、私は身長が高めだから人より見目だけはいい。
オールオッケー。
足早にカツカツと靴を鳴らせた。七月第三土曜日の日差しが、貧血気味の白い肌を焼く。少しは健康的に見えるかしら。
バスに揺られて騒がしい駅前に着く。道が混んでいなかったから、ずいぶん早く着いてしまった。どこかで暇をつぶそう。どこかと言いつつも、私の暇つぶしの場所は駅ビル隣の書店だと決まっている。
ビル全体が店舗で、一階から三階まではジャンル別でCDが置いてあり、4階以降が書店になっているから、下から上まで見て回れば相当の暇つぶしになる。なんといっても、書店はライブラリーカフェだから、一日中いても楽しい。
このまま、合コンに行かなくてもいいなあと思ってしまった。慌てて首を振る。こういう所は『彼氏』と来たっていいじゃない。
店内に入って、下三階のCDを一通り見てしまうと、エスカレーターで四階の書店に上がった。
長い間、クーラーの効いた所にいると体が冷えてしまう。体を温めるためにホットティーを頼んでトレイに乗せ、窓際の空いている席に座った。バッグを置いて、傍の本を取る。頬杖をついて、適当にページをめくる。
手探りでカップを手に取り紅茶を飲むと、冷たい体が温かさのために震えた。だいぶ冷えている証拠だ、早めに出よう。
「すみません、ここ空いてますか?」
まずい、空いてる席にバッグを置きっぱなしだった。慌てて立ち上がり、手を伸ばしてバッグをつかむと、声のトーンを高くして席を勧めた。
「どうぞ。空いて―――」
声をかけた人物は、本木先生だった。
情けないことに、私は中腰のまま固まってしまった。
普段着の本木先生は、学校の時とでは雰囲気が違っていた。白のTシャツにグレイのベスト、黒いジーンズ。わりとましな服装だった。いつもは貧乏学生みたいな格好をしているくせに。
本木先生は、固まった私を不思議そうに見ながら、選んできた本とコーヒーを机の上に置くと、席に着いた。
「奇遇だね。どうも久しぶり」
そうね、確かに二ヶ月ぐらいまともに顔を見てなかったわ。
「・・・お久しぶりです」
なんとか言葉を搾り出すと、きちんと椅子に座った。
「元気だった?」
元気だったと思う?ずいぶん無神経な質問じゃないかしら。今までの高校生活を振り返っても、本木先生とはあの二日間しかまともに話した記憶がないのよ。その上、まともに話す前にあんな事をしてしまったのだから。それで全く会いに来ないし、誰だって嫌われたと思うじゃない。
「・・・まあまあです。どうして、ここに?」
「学校も部活動も休みだから。科学部は休みと名の付く日は全て休みにしている。でないと、天気のいい日に皆が遊びに行けないだろう?」
「まあ、そうですね」
「うん。だから、本を読みに来たわけ。ここはコーヒーが飲めるし、一日いても楽しいからね。佐和は?」
「私は・・・」
まさか合コンなんて言えない。どうしてこの先生は、こんな時にしか現れないのだろう。
嘘をつこうと決めて、キュッと手を握り締めた次の瞬間、本木先生は不機嫌にクシャクシャと髪の毛を手でかき回した。
「・・・なるほど。デートか?」
「違います、合コンです!」
慌てて否定しようと思ったら、全然否定になっていなかった。
「同じことだろう」
「・・・どうしてわかったの?」
「念入りに化粧しているから。白い肌が誘惑的で、ピンクの唇が魅惑的でよろしいんじゃないですか?」
「・・・」
ぐうの音もでないわ。
「何時から?」
「え?ええっと、もうすぐ。十一時に待ち合わせてるから」
「ふうん。どこに行くんだ?」
「さあ?映画じゃないかな?」
「そうか。君が見れなかった『ラマン』だといいね」
何ですって?さっきから、棘のある言い方ばかりするわね。
「・・・『ラマン』はもうずっと前の映画です」
「それは残念だ」
本木先生は、お得意の澄まし顔でコーヒーを飲んだ。私を見ることもなく、窓の外の景色を遠い目で見ている。
もう行かなくては。待ち合わせに遅れてしまう。
本木先生が沈黙してしまったから、話すこともなくなってしまった。ゆっくりと立ちあがって、バッグを肩にかけた。
「それじゃあ、さようなら」
自分で言った言葉が悲しくて、泣きそうになった。今生の別れっていうわけでもないのに。
「佐和」
本木先生は窓の外から視線を戻し、私を見つめた。ちょっと怒ったような、真剣な顔だ。
「はい、何でしょう?」
「もし僕が『行くな』と言ったら、君はどうする?」
「どうするって・・・行きますよ」
だって、高校生の合コンなんて児童会の町内集会みたいなものよ?仲良く遊んで、カラスと一緒にさようなら。少なくとも終電前には帰るわよ。そんなに真剣に止められるほど、危険な集まりじゃないわ。
「僕より合コンを取るのか?」
三十歳のくせに、駄々ッ子みたい。
まるで―――。
まるで、妬いているみたいだわ。
こういう場合は、どう答えれば良いのかしら?
「・・・でも、これはずっと前から約束してたことだし」
「君は約束していれば、魂さえ売るのか?」
「売りません!でもね、私の友達が幹事なの。しかも四対四って人数が決まってるし、約束を破れば友達の顔をつぶしちゃうの」
「そんなの大したことじゃないだろう?」
酷い!なんて横暴なことを言う人なのかしら。
「大したことです。私たちには、私たちのルールがあります。それに、人の約束を破るのは好きじゃないの。貸しを作っちゃうし。私は貸しを作るのが、大嫌いなんです」
「・・・なるほど。それが君のスタンスか」
「そうです」
「わかった、よくわかった!行ってくるといい。男前の彼氏が見つかるといいね」
もう、何なのかしら。そんなに怒ることないじゃない。大体、そっちだって全然連絡もないし会いにも来ないし、今日は偶然に会っただけでしょう?
それに、別に―――。
別に、彼氏ってわけじゃないわ。
どうしてだろう。会ってしまうと、反抗的になってしまう。
大きく息を吸って、もう一度席に着いた。本木先生はコーヒーを一口飲んで本を開いた。無視をする気かしら?
「先生」
「何だ?」
私が呼ぶと、本木先生は顔を上げた。まだ怒ってる。
「じゃあ、こうしましょう。私はこれから、友達と合コンに行きます。これは約束だからしっかり守ります」
「どこにも改正の努力が見られない」
「でも夕方になれば、門限があるからって、口実を作って逃げてこられます」
「・・・それで?」
「上手くいけば、夜六時以降なら私は暇です」
「それで?」
「その前に、先生は一人暮し?」
「そうだ。それが?」
「都合の良いことに私には、本当は違う所にいるのに『私の家にいますよ』と両親に嘘を言って、アリバイを作ってくれる友達が二、三人います」
「・・・いい友達を持ったね」
「さらに都合の良いことに、今日は土曜日で明日は日曜日です」
「・・・そうだね」
「つまり、誰にも気兼ねすることなく、二人で過ごせる時間が一日半はあるわけです」
「・・・うむ」
本木先生は言葉に詰まって唸った。これほど譲歩したんだから、もう少し喜んでくれてもいいのに。
「先生の携帯の番号を教えて下さい。終わったら、連絡します」
「・・・わかった。君の意見を取り入れよう」
なんて尊大な言い方でしょう!
「オッケー。私も教えるから。でも気になるからって、何度も鳴らさないでね」
「鳴らさないよ」
「メールを何通も送ってこないでね」
「送らないよ!」
携帯番号の交換を終えると、私は急いで席を立った。
「ああ!まずい、もう時間過ぎてる!」
「それは可哀想に。減点百だな。男に嫌われるぞ」
もう何も言うまい。最後まで、本木先生は文句を言っていた。こんなにわがままな人だとは思わなかったわ。
待ち合わせの場所に遅れて行ったけれど、友達の一人はそれより遅れてやって来た。どうも、遅刻には寛大な男の子たちらしい。笑って許してくれた。きっと本木先生なら、三十分は拗ねているわ。
私の予想に反して、始めは話しながら目的もなく街中を歩いた。自分の趣味や好きなアーティストなどの個人情報を交換しながら歩くから、そんなに疲れはしない。そういえば、私は本木先生の下の名前はおろか、ほとんど何にも知らない。
その後、お昼にバイキング形式のカフェで食事をした。その頃にはみんな打ち解けて、冗談も飛ぶようになっていた。本木先生は何を食べてるのだろう。一人暮しだから、ジャンクな食べ物で済ます癖がついてるんだろうな。
それから、カラオケに四時間も缶詰状態になることになった。音痴だから歌えないって言ったのに、勝手に曲を入れられて歌わされた。歌い終わると拍手をしてくれて、誰も音痴だって言わなかった。良い人たちだなあ。あまりにも酷かったから、本当のことは言わないんだわ。
「佐和さんって、歌うまいじゃん」
わりに顔のいい男の子にそう言われた。まあ嬉しいといえば嬉しいかな。
「そう?特に今まで誉められたことはないなあ」
「それに美人だし」
「それはもっと言われたことないなあ」
「嘘でしょ?モテるでしょー?」
嘘じゃないって。聞いてみなさいよ、隣の人たちに。
「佐和ってモテるよー。だって、高嶺の花だもん!」
無責任に煽りたてる友達が憎らしい。あとで恥ずかしい思いで否定するのは私なんだからね。
「この世のどこに、こんな十人並みの高嶺の花があるのかしら?他の花たちに失礼だわ」
「佐和さんって、喋り方も独特だよな。なんかさあ、同世代の子じゃないみたい。色っぽいよな」
「はあ?」
それこそ初めて言われたわよ。何それ?
「そうそう!その色っぽさで、あのクールな本木先生をも虜にしたのよねー?」
「なっ!?」
酔ってもいないのに、とんでもない事を言い出さないでよ。
顔が白くなっていくのがわかった。血の気が洪水のような音を立てて引いていく。クーラーのせいで体が冷えているからなのか、震えが走った。
「誰がそんなこと言ったの!?」
声も低くなってきた。まずいわ。
「えー?誰ってわけじゃないけどさあ。先生を見てたら、そうかなって思うよ。佐和ばっかり見てるもん。いいなー、あの先生、結構人気あるんだよー」
「み、見てないわよ!やめてよ、タマちゃん。変なこと言わないで!」
「悪い悪い。そんなにむきにならないでよ。だねー、本木先生はないかなあ?あんまり佐和と話したことないもんね。でも、松岡先生とかはねえ」
「はあ!?」
「絶対、佐和の事好きだって!毎日、かかさず佐和には挨拶してるよね。何か言われなかった?」
「言われてないわよ。そんなこと知らないわ。松岡先生なんて幾つだと思ってるのよ?あら、幾つかしら?」
そこで考え込んでしまった。そうしたら、一斉に大爆笑されてしまった。
「松岡先生は三十二歳だよー。ちなみに本木先生は三十歳。二人は恋のライバル!」
「やだあ!ナル、それは言いすぎよー」
どうも眉唾くさいぞ。この人たちの噂話は。
「そんな噂があるの?嘘でしょう?」
「松岡先生のは大ありー!だって、おかしいって!佐和は、毎日言われるほど態度悪くないじゃん?髪だって、大して茶色いわけじゃないし。あの先生、何かきっかけを作って話しかけたいだけだよ」
「そうそう。他の友達にも聞いてみなよ。気を使って、佐和に言わないだけだって」
「あ!私も知ってるうー!小宮先生も、佐和の事が好きだって噂あるよ。実際、あの先生さ、たかが宿題忘れただけなのに、佐和に居残りとかさせるよね。気をつけなよ、襲われるぞー!」
「へえ?女子高って、やっぱりそういうことってあるんだ?」
「いいねー。俺らの学校、ババアばっかりだから、先生相手ってないよな」
「あははは!」
男の子達も一斉に笑った。
笑い事じゃないわよ!来週から学校に行けないじゃない!
「とにかく、根も葉もない噂をするのはやめてよ?寒気がしてきたわ。私は先生としか見てません。そんな対象では見れないわ」
「可哀想な先生たち!振られちゃったよー」
「ちょっと、ミチ!先生たちに言わないでよ?だいたい、そんなの嘘よ!」
「嘘じゃないって。私、佐和と仲いいから、聞かれたもん。何気に『佐和さんには彼氏がいるのか』って」
「で、何て答えたの?」
「そりゃあ『いません』としか答えられないじゃん?あんた、ずっと彼氏いないし、好きな人もいないし」
「そういう時は『さあ?』って疑問形で言ってよ!それじゃあ、私がものすごく寂しそうに聞こえちゃうわ」
「あははは!そうだねー。でもいいじゃん。今日、彼氏作っちゃえばあ?そしたら、先生たちに諦めるように言っておいてあげるから」
無責任なこと言わないでよ。我が友達ながら呆れたわ。
「はーい!なら、俺が立候補!」
歌を誉めてくれた彼が、勢い良く手を上げた。
これは困ったわ。まさか、合コンに来て『好きな人がいるから』なんて断れないじゃない。だからといって『趣味じゃない』とか酷いことは言えないし、『そういう対象じゃない』なんて言ったら、何しに来てるんだって突っ込まれちゃうわ。ああ、どうしよう。
フル回転で小さな頭脳を働かせていると、友達が横から肘でつっついた。
「何照れてんのさー。いいじゃん、こういう時は『はい』って言っておきなよー」
別に照れてないわよ。こんなのただのノリで言ってるだけじゃない。
「と、とにかくね、瀬田君も落ちついてね。実は私、今、ものすごおく猫をかぶってるの。いつもは・・・そう!いつもは意固地で底意地が悪くて、最高にわがままで全然おしとやかじゃないのよ。それはもう、歩き方だってドスドスとお相撲さんみたいに歩くし、サンドウィッチだって一口で食べちゃうくらい粗雑なの。わかる?それを考慮しないと、酷い目に会うわよ?」
私が一生懸命断ろうとしているのに、みんなは大爆笑だ。ああ、本当に私はお笑い芸人に向いている。
彼が涙目で笑いながら、手を叩いた。
「佐和さーん!それって、謙遜でしょ?いいねー、性格良くってさあ。わかったよ、俺はそういうの平気だから。安心して付き合ってよ」
「わー!早くもカップル誕生だ!」
勝手に誕生させたんじゃない!
もし『彼氏』が出来たなんて言ったら、本木先生がまた文句を言うじゃない。みんなはクールだって思っているらしいけど、かなり酷いことを感情込めて言うんだから。そのくせ、『君がそうしたいのなら、そうすればいい』みたいな、人の意見を尊重しているようでとても困るような選択を迫るんだわ。
それが本木先生のスタンスだ。
だから、私はそれに合わせるしかないの。
大きく息を吸って、脳に酸素を送り込む。オッケー、いつもの私に戻ろう。
「ふうん。それでは瀬田君に質問です」
かしこまって言うと、彼は笑顔で私を見た。
「何?何でも言ってよ。答えるよ」
「正直に答えてね。それによって、私はイエス、ノーをはっきりさせるから」
「いいよー。テストされてるみたいだね」
「ザッツライト。これはテストです。私は理想が高いの。それはもう、プライドは天よりも高いのよ。ここまでで、恐れをなしてる?」
「ないよー。だって、俺本気で好きになっちゃったもん」
みんなが一段と盛り上がる。
「うわー!やめてよー、こんなところでコクったら、うちらが照れるよ」
「茶化さないでよ。私は瀬田君だけに聞いているの」
「瀬田君だけにだってー!佐和も、本当は好きなんじゃないのー?」
「それは今から決めます」
「本当に付き合ってくれるわけ?それに答えられたら」
彼が身を乗り出してきた。私は澄ました顔で頷いた。
「もちろん。何問か質問するから、本当に正直に答えてね。私が言葉を詰まらせるぐらいの解答を期待してるわ」
「いいよー。俺、テストは得意だよ」
これはかなり難しいテストなんだけどな。
「私のどこが好き?」
一同が見守る中、間も置かずに彼は答えた。
「可愛い顔とそのサラサラの髪かな?」
ふうん、その観点はなかなかいいわ。即答されたことは気に入らないけど。でも、性格が好きなんて言ってたら、即帰っていたところよ。
にっこり笑って、解答の有効性を示す。
「私の首から上しか好きじゃないのね?体はいらないの?」
「え?体って・・・」
「やだー!佐和って、エッチー!」
友達が茶化すと男の子もふざけて、全く真剣に考えていない。だから、『彼氏』は好きでもない人もなれるのよ。
「えー?そりゃあ、体は見てないから好きだって言えないだろ?」
「そうじゃなくて、私は上下関係なく『私』です。これはちゃんと認識しておいてね。でも、瀬田君は私の生首だけあればいいんでしょう?」
彼は笑っている。
余裕あるなあ。本当は、私のことなんて好きでも何でもないってことでしょう?その態度は。
「それは困るなー。じゃあ、体も好きかな?」
「それのどこが好き?」
「そうだなあ。細い手足かな」
またも即答か、少しは真剣に考えてよ。
「ふうん。じゃあ、整理しましょう。瀬田君は、私の顔と髪と手足だけが好きなのね?」
「それも好きだってことだよ。あとは声とか性格とか、全部」
出たな、性格が好きって。しかも、全部って何よ?知り合ってばかりの人に理解されるほど、私は単純じゃありません。
「はい、わかりました。答はノーよ。私は瀬田君とは付き合えません。本当にごめんなさい」
「えー?なんで?」
「どうしてって、私を好きじゃないからよ」
「だから、好きだって言ってるだろ」
少し不機嫌になってきたな。それぐらい真剣になってくれれば良かったのに。
みんなも少しトーンダウンしてしまって、場がしらけ始めた。まあ、これは仕方ないわよね。私だってノリで人と付き合うことは出来ないのよ。
「そんなに怒らない怒らない!これはテストというより、質問ゲームみたいなものなんだから。今度、女の子に使ってみてよ。面白いから」
「ゲーム?」
ちょっと機嫌が戻った。みんなも聞く体制に入っている。私もとっておきの営業スマイルで対応した。
「そう。これってね、きちんと答えられた人が負けなの」
「何それ?」
「だから、最初の質問に『わからない』って答えた人の勝ち。もし瀬田君がそう答えていたら、イエスって答えようと思ったの」
「『正直に答えて』って言っただろ?それって卑怯だよー。佐和さんって、面白いねー」
彼は大笑いしている。みんなも笑ってくれた。機嫌直るの早いなあ。本木先生もこれぐらい回復力があればいいのに。
「あとね、『君のどこが好きかは答えられないけれど、君が好きだ』って言ってたら、即結婚してたなあ」
「あははは!面白いー!」
「やだー!佐和はすぐそんなこと言うんだから」
「なあなあ、どうしてそれでイエスなわけ?」
これは、人を真剣に好きになればわかります。
「だって、私は十七年間も生きてるの。それを二言三言で言い表せるわけがないじゃない。『私のどこが好き?』っていう質問は、『私』を区切って捉えてるわよね?『私』は連続してるんだから、区切れないわ。『全部好きだ』って言われても、私の全ては知らないはずだから、好きになれないはずなの。だから、『わからない』って答えた人が正解。または『わからないけど君が好き』って答えた人が正解よ」
「なるほどねー。佐和さんってさあ、知的美人ってやつだね」
いい誉め言葉だわ。それはありがたく受けとっておきます。
カラオケ店を出ると、外はもう夕暮れでビルの窓が赤く染まっていた。みんなはまだ騒がしく、これからどこかに行くつもりらしい。
彼は外へ出ても、熱心に交際を申し込んでくれた。私は、新たに考えた質問ゲームに勝ったら付き合ってもいいわと言った。彼はまた挑んできたけれど、結局私には勝てなかった。それでも、再度チャレンジするからと意気込んでいたから、機会があったらねと曖昧な返事をしておいた。
若いっていいね、負けん気と活気があって。
なんて感慨に耽ってる暇はないのよ。私は少なくとも七時までには、本木先生の所へ這ってでも行かなくちゃいけないの。
「ごめんねー、みんな。門限厳しいから、今日は帰るね」
「えー?佐和の家って、そんなに厳しかったっけ?いつも親に嘘ついて、終電まで遊んで帰るよね」
我が友よ、こんな時に余計なことを言わないでよ。
「違う違う!あのね、ごめんなさい。実は今日、合コン行くってこと、口を滑らせて言っちゃったの。だからさあ、あんまり遅くなると怒られちゃうわけ」
「えー?佐和さんがいなくなったら、盛り上がりにかけるよー」
「何よそれ?うちらはどうでもいいわけ?」
いいぞ、我が友達。
男の子たちが笑いながら弁解した。
「違うって!そういう意味じゃなくてさ、人数が合わないと誰かか寂しい思いをしちゃうでしょ?」
「そうそう!佐和さん、何とかならない?」
私は大きく首を振った。長い髪が横に揺れる。顔を上げて真正面を見ると、彼が困った顔をしていたから、少し悲しかった。
「ううん。ものすごく怒られるから。今度から遊びに行けなくなっちゃうの」
「そっかー。お嬢様なんだねー」
違います。私の家はサラリーマン世帯の、ごく普通の一般家庭です。先ほどから主語をつけて話していないけれど、門限が厳しいのは私の両親ではありません。
「扱いだけはね。だから、ごめんね。でも今日は楽しかったわ。このあとは、私の分も楽しんでね。じゃあね!」
私はお辞儀をしてキスを投げると、素早く体をターンさせて走り出した。後ろから、みんなが声をかけて送ってくれた。
左手の時計を見る。午後六時三十分と明確に針が知らせている。
まずいなあ。これは機嫌が悪いぞ。
人の林の中を走りながら、スマホの画面をタップする。ベル音が耳に聞こえてくる。何度も鳴っているのに、本木先生の声は聞こえてこない。
十七回目でやっと、ベル音が止んだ。
「・・・はい。本木です」
すごい不機嫌だわ。すぐに出なさいよ。何もわざわざ、私の歳の分だけ鳴らさせることないじゃない!
「佐和です!ごめんね、今終わったところなの。先生?聞いてるの?」
「・・・聞いてるよ。ガサガサと音がするけど、走っているのか?」
「今どこにいるの?」
「午前中に会った所」
人とぶつかりそうになって、慌てて立ち止まる。小さくお辞儀をして、また走り出す。
「オッケー!今すぐ行くから、待っててね」
「僕が老人になる前に着くといいね」
どうしてそんなに酷いことを言うのよ。今日一日中、怒っていたのかしら?
「いくらなんでも、明日の朝までには必ず着きます!」
「明日の朝になるようでは、今日の夜は君を抱けないね」
「・・・」
言葉に詰まった。おのれ、私の苦労を知っての狼藉か?
「佐和」
「もう!文句なら着いてから聞きます」
「走らずに歩いて来なさい」
「はあ?」
だったら、その意地悪な文句をまず止めて頂きたいですね。
「でも、歩いて行くと時間がかかるし。今、正反対の所にいるの」
「いいから。歩いて来なさい」
急に優しい声で言うから、仕方なく走ることを止めた。肩で息をして歩く。
「ちゃんと歩いている?」
意味不明だわ。
「歩いていますよ。少し息が切れてるだけです」
「そうか。ところで、変な男に誘惑されなかっただろうね?」
私は男子高生と合コンをしたの。そんな人、誰もいなかったわよ。少なくとも、本木先生より寛大でした。
「私はモテますからね。引く手あまたです」
「・・・ふうん。で、『彼氏』は出来た?」
何が言いたいの?私はみんなのヒンシュクを買って、それでも急いで向かっているんです。ちょっとは、労わりなさい。
「一人だけ、いい線までいってます。でも、私の質問に正解できないから、今は断りました。でも、再度チャレンジしてくるそうです」
「・・・そうか。ちなみに、僕がその質問に答えられたら、君はどうする?」
「駄目です。これは先生向きの質問ではないの」
「・・・何だ、それは?」
「先生以外の人にしか質問しません」
「ちょっと待て!僕に聞かれては困るものなのか?」
「いいえ。そんなことはないですよ」
「なら、聞いておこうか」
これだけ高飛車に出られると、呆れて怒る気にもなれないわ。
信号待ちのために、立ち止まる。見上げて目に入った電光掲示板の時刻は、六時四十分を示す。
「わかったわ。先生、私のどこが好き?」
「それは・・・」
本木先生が無言になったのと同時に、信号が青になった。私は再び走り出す。
「先生」
「・・・ああ?」
「私がそっちに着くまでに、解答を出しておいてね。じゃあ、いったん切ります」
返事も聞かずに、通話を切ってスマホをバッグに放り込む。横断歩道を渡り、すぐ右の角を曲がって駅を目指す。
ビルのネオンが、私の長い髪を夜色に染めていく。早く行かないと、本当に明日の朝になりそうな気がしてきた。もちろん、本木先生がおじいさんになっても走って会いに行くわ。
息が切れていく。ものすごく苦しい。貧血気味の体が鬱陶しく感じる。あの角を曲がれば、ライブラリーカフェのあるビルが見える。一歩、二歩、三歩。
見えた!
自動ドアの開く速度に苛立ち、エスカレーターをその流れより早くに駆け上る。背の高い本棚の合間を早足でかき分け、窓際に出る前に、走って来たことがばれないよう息を整えた。波打っていている体を落ちつかせてから、本木先生の座る席に向かった。
「先生!おまたせー」
「本当に待たせられたね」
本木先生はいつも通りの澄ました顔で、立ち上がって出迎えてくれた。でも、私を間近で見るなり、すぐに顔をしかめた。
時計を見る。六時五十五分。
「良かったあ。五十五分ぐらいの遅刻は許してね」
「佐和」
「すでに文句ならたくさん聞きました」
「僕は走って来るなと言ったはずだ」
「歩いてきました。だから、こんなに時間がかかったんじゃない」
「なら、どうして髪がそんなに乱れているんだ?」
しまった、髪の事を忘れていた。だいたい、走って来たからって何だと言うのだろう?気をつかっているのだったら、不機嫌そうにしないでよ。しょうがない、これは健気なふりをして誤魔化そう。
「だって、先生に早く会いたかったんだもん」
作戦は成功したらしく、本木先生は怒った顔を少し和らげた。
「君は重度の貧血だ」
「誰からそんな嘘を言われたの?」
「保健の先生。僕は君に、自分をもっと大事にしなさいと言ったはずだ」
「体育の時間に走ってるから、体は鍛えられています」
「体育の時間によく倒れているじゃないか」
「倒れる時もあります。でも大丈夫、今日は―――」
「もし、僕のいない所で君が倒れれば、僕は君を支えてやれない」
本木先生は心配そうな顔をして、私の髪を優しく撫でた。
「でも、それはいつだって起こり得ることでしょう?」
「・・・たとえそうだとしても、これから同じような状況が起こったら、僕がどんなに文句を言っても歩いて来なさい。ディドゥユーアンダースタンド?」
ええ、今度は髪を整えることも忘れないわ。
「オッケー」
「今回は僕が悪かった。それから、ありがとう。僕のために走ってくれて」
「・・・」
まずいなあ、顔が赤くなっちゃうじゃない。本当に、本木先生は苦手だわ。
とにかく、顔を引き締めなければ。
「ところで、先生」
「何だ?」
「先ほどの質問の解答ですけど、わかりました?」
「え・・・ああ」
本木先生はばつの悪そうに、髪をクシャクシャとかき回した。これって、本木先生の癖なんだわ。
「それが・・・その・・・まあ、なんだ」
「何ですか?」
「わからない、と言っておこうか」
可笑しくて笑い出してしまった。
「うふふ!私、先生は絶対に答えられないと思ったの。だって、前も同じような質問をしたけれど、答えられなかったでしょう?」
「・・・そうだね。強いて言えば、君が好きだとしか言えないな」
ものすごく困った顔。あれだけ高飛車に出たのだから、何も言えないわよね。
本木先生は本を元の場所へ返すと、外へ出ようと言った。エスカレーターを下りながら、一段上の私を見上げる。
「何か食べたいものがあるなら、希望を聞くよ」
「先生の手料理が食べたいなあ!」
「・・・それは僕が言う台詞だろう?」
「そう?それじゃあ、先生の好きなものでいいわ」
「僕の好きなものが、君の好きなものとは限らない」
「あら、それは私に対して失礼な言い方じゃない?」
「どうして?」
「だってそうでしょう?私は先生に合わせてるんです。それを踏みにじるなんて、失礼だわ」
「僕だって君に合わせようとしている」
「先生と私では状況が違います」
ビルから出て、夜七時の街に出る。道路にはテールランプとヘッドランプが忙しげに流れ、私の目をチカチカさせた。
本木先生はしばらく無言で何かを考えていたけれど、私の手を引いて歩き出した。なんだか恥ずかしい。手をつないで歩くなんて、小学校以来だ。
「こっちに美味しいお店を知っているから、そこで食事をしよう」
「ありがとう。違いのわかる人で良かったわ」
「どうも。そういう質問なら答えられるなあ。それにしても、君が僕を追いかける側だなんて思わなかった」
「今のところはね。油断してると、私に追い越されるわよ。その時は、先生の譲歩を快く受け取りますから」
「怖いなあ。すぐに追い越されそうだ」
本木先生は笑って、私の頬にキスをした。はっきり言って、頬といえど人前でキスをされるのは恥ずかしい。油断していたから、すぐに顔が赤くなった。
悔しすぎて、ぐうの音もでないわ。
最初のコメントを投稿しよう!