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プロローグ
鶏の鳴く前にクレアは目覚める。この20年間変わらない、朝の習慣は、夫にキスをすること。結婚してもう20年になるが、1日たりともこの習慣を欠かしたことがなかった。挨拶代わりの妻のキスを、デンはいつも困ったような嬉しいような顔で受け入れた。ただ今日は、いつもと違った。クレアがいつも通りに目覚めると、隣に夫の姿がなかった。クレアの胸中に不安が咲く前に、小屋のドアが開き、夜明け前の冷たい空気と夫が顔を出した。
「起きていたのか。おはよう。」
デンはドアの近くの外套かけにコートをかけて、テーブルにランタンを置いた。妻の横へ腰掛けた。クレアは朝の日課を果たし、夫は照れた顔をした。それからクレアは尋ねた。
「どこへ行っていたの?」
デンはその坊主頭をかいた。彼は立ち上がって外套のポケットから黄色い丸いものを取り出して、クレアの手のひらに乗せた。それは暖かかった。クレアはその鳥を詳しく観察する。
「檸檬色の、梟?いや、違うわね。見たことない鳥だわ。お腹がぽってりしていて...プニプニしているわ。変わった鳥ねぇ。どこで拾ってきたの?」
クレアは丸みを帯びたオレンジ色の嘴をぷにぷにとつついたが、鳥はぐったりとしていて動かない。デンはコーヒー用のお湯を沸かし始めつつ、クレアの質問に答える。
「小屋のすぐ近くでバタバタと音が聞こえて、何かと思ったら、翼に網が絡んで、飛べずにもがいていたんだ。」
クレアは手のひらの上の檸檬色の塊をまじまじと見つめ、そっとなで、ふと夫の右手に血が滲んでいることに気づいた。
「あなたその手どうしたの?」
デンは慌てて右手を体の後ろに隠そうとするが、クレアが彼の手首を捉える方が早かった。
「網に引っ掛けて切ってしまったんだ。棘のある金属製の網でね、はやく外そうとして焦って切ってしまった。」
クレアは蛸の力を宿しており、6本の腕を持ち、それらを自在に操ることができた。クレアは鳥を乗せている手とは別の腕でデンの右手を手当てしながら、ふっと違和感を覚える。夫が何かを隠している、そうクレアは思う。
「この傷、網についた棘に引っ掛けたというよりも、何かの爪で引っ掻かれたみたいね。」
デンはそうか?と聞き返し、すぐに手当てしてくれてありがとう、と続けた。これ以上は聞かないで欲しいという言外の意図を感じて、クレアは少し心配になった。
デンの手当てを終えると、彼女はふわふわの綿を持ってきて、大きなお椀に敷き詰めて、調味料の並ぶ棚の間にスペースをつくり、その鳥を優しく乗せた。先程抱いた違和感の正体にもやもやとしつつも、立ち上がり、朝食の準備を始めた。隣ではデンがコーヒーを淹れている。
「君もたまには一杯どうだい?」
そうね、お願いしようかしら、とクレアはフライパンの上のベーコンと卵をひっくり返しながら言った。2人分のコーヒーを淹れたデンが先に食卓につく。焼き上がった卵とベーコンを皿に移そうとして、クレアはハッとした。
「あ、わかったわ。」
フライパンの上のものを皿に移す手は止めず、クレアは違和感の正体をデンに伝えた。
「棘のついた網の中でもがいていたにしては、この子自身はひとつも怪我をしていないのよ。あなた、何を隠しているの?」
頑固な妻の視線に、デンはため息をつく。
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