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(48) おしまい
佳弥はとことこと幸祐のもとに歩み寄った。上半身を起こして、みぞおちを撫でている。浮かない表情だ。
「大丈夫ですか?」
「うん、身体は平気。ただ、見ていて辛かっただけ。」
やれって言ったくせに、と佳弥はむくれる。
佳弥は幸祐に手を貸して立ち上がらせた。後ろを振り返ると、江藤が使っていた殺傷力のある黒い影もすべて消え去っている。ぱちぱちと手を叩く音が聞こえたと思ったら、ふわりと飛鳥がどこからか降りてきた。あれだけ黒い影に囲まれていたのに、整った顔には傷の一つもない。おんぶ紐を外して、渋谷を放す。
「痛快ねえ、佳弥は。あたしでもギクッとしたわ。」
横では渋谷も首を縦に振っている。
「俺も度肝を抜かれたよ。見ただけでも痛え気がしてくる」
茂みの方から声がして、佳弥は視線を向けた。変身を解いた木俣がぼりぼりと頭を掻きながら歩いてくる。頬と瞼は腫れ、鼻血の跡もある。大分ぼこぼこのようだ。
「俺たちの完敗だよ。まったく、大したお嬢だ。」
木俣は江藤の横でしゃがんだ。よっこらしょ、と掛け声に合わせて江藤を背負う。
「すまねえな。江藤については完全にルール違反だ。免許剥奪だな。俺からも厳しく指導しておくよ。」
ほらよ、と木俣は片手で懐から出した小箱を幸祐に放った。あわあわ、と取り落としそうになりながら幸祐は受け止める。
「怪我させて悪かったな。使ってくれ。」
小箱は絆創膏のセットだった。
「で、嬢ちゃん、あのおデブはどこにいるんだ?嬢ちゃんが片付けちまったんだろ?」
「吉村さんですか。あのボロアパートにいますよ。布団掛けたらすぐ寝てしまいましたけど、手足は縛ってあるので、早めに助けに行ってあげてください。」
佳弥は吉村のスマホを懐から出して、木俣に差し出した。木俣は作業着のポケットにそれをしまい込む。
「ちっ、使えねえなあ、あいつは。美術館の連中はどうしたい?」
「持ち場にいるわよ。そろそろ目を覚ます頃じゃないかしらね。ああ、女の子だけは病院にいると思うわ。あなたとお付き合いする気は無いって伝えておいて頂戴。」
そう言いながら、飛鳥は木俣の作業着に勝手にスマホのバッテリーを放り込んだ。篭絡した女性にはもう会うつもりは無いらしい。
何か言い忘れている気が、と考え、佳弥も一つ思い出す。
「そうそう、江藤さんのスマホのパスコード。5963ですから、起きたら教えてあげてください。」
「5963?ごくろうさんってか。冗談きついぜ。まあ、どいつもこいつも、俺一人に残務処理押し付けやがって。報告書は作ってやらねえからな、ったく。」
ぶつくさと木俣は文句を言う。ひどい顔だが、それほど身体にダメージは無いのだろう。江藤を担いだまま、しっかりとした足取りで敷地の外に向かう。門の外で軽く振り返ると、木俣は佳弥に手を振った。
「嬢ちゃん、またな。」
またの機会は無くても良い、と思いつつも、律義に佳弥は手を振り返した。
木俣を見送り、さて、と佳弥は腰に手を当てた。安心して気が抜けたからか、そろそろ、腰が痛い。
「本日の任務、完了ですね。帰りましょうか。おなかすいたし。」
佳弥はするりと変身を解いた。腰痛は無くなるが、見える範囲の切り傷は残っている。多分、首の後ろも血が付いたままだ。まあ、もう金輪際着ない服だから、汚れたって構やしない。
「佳弥ちゃん、絆創膏貼ってくれない?」
幸祐も変身を解いて、小箱を佳弥に差し出した。佳弥は顔をしかめる。
「飛鳥さんに頼んでください。私では手が届きません。」
届かないことは無いが、ちと遠い。ひょんなところで名前を出された飛鳥は、変身を解いて口紅を紙で拭き取りつつ笑った。
「僕より佳弥の方がきっと効くさ。」
「誰が貼ったって同じですよ、こんな物。」
不機嫌そうにしながらも、佳弥は明るい門灯のそばに幸祐を引っ張っていった。
「ほら、屈んでください。どんだけでかいんですか。私に合わせてください。」
「俺、そんなに背は高くないよ。佳弥ちゃんが小っちゃいんだろ。身長はいくつ?」
腰を屈めた幸祐の額からハンカチを取り、佳弥は傷口を検分した。うっすら血が滲んでいるが、ほぼ止まっている。
「ひゃくよ…んんん、150センチです。」
ウェットティッシュを取り出し、こびりついた血をごしごしとこすり落としながら、1センチほど鯖を読んで佳弥は答えた。春の測定結果だし、今ならちゃんと150の大台に乗っているはずだ。嘘ではないのだ。多分。
「小っちゃいなあ。俺と20センチ以上違うんだ。」
「何度も小っちゃいって言わないでください。」
額に絆創膏を張り、その上をべしっと叩く。傷口が開いたって、知らん。飛鳥に頼まなかった方が悪い。いたた、と呻く幸祐を放っておいて、佳弥は花さゝぎのアプローチを振り返った。人の足音がする。暗がりに目を凝らすと、寒そうな頭を寒風に吹きさらしにして歩く禿さんが出てきていた。
路上の渋谷の姿を認めて、禿さんは、あ、と口と目を開いた。渋谷は穏やかな笑顔で片手を上げる。
「渋谷さんもこちらに?」
「いや、私はたまたま、友人と通りかかっただけだよ。」
「ご友人、ですか…」
禿さんは佳弥たちをちらりと見遣った。愛想の無い少女、でかい絆創膏の青年、ホストみたいなおじさん。落ち着いた初老の男性の友人にしては、面子がおかしい。変わったご友人たちですね、と禿さんの顔に書いてあるが、禿さんはそのとおりには声には出さなかった。
「渋谷さん、楽しそうですね。」
「はは、実に愉快だよ。」
渋谷は心底楽しそうに笑った。禿さんはそれを見て、微かに破顔する。
「渋谷さん。今日はありがとうございました。」
「どうしたんだ、急に。」
「いえ、ここでお会いできて、嬉しかったものですから。」
渋谷は、そうか、とだけ答えた。
「では、私はお先に失礼します。どうぞ、良いお年を。」
禿さんは深々と頭を下げると、さっぱりとした背中を向けて路地の奥へと消えていった。
禿さんが姿を消すのを見届け、渋谷はくるりと佳弥に向き直った。竹本さん、と丁寧に呼ばれて、佳弥も真面目に返事をする。
「今回は、あなたを利用して申し訳なかった。どうしても、彼を自分の力で踏みとどまらせたかったんだ。」
利用、と佳弥は首を傾げた。
「以前、百貨店でお会いしたのを覚えているかな。」
勿論覚えている。今日も午前中に幸祐とその話をしたばかりだ。随分昔のことのように感じられるが。
あの時、自分の待ち合わせの時刻まで佳弥を連れ回し、連れ合いに滲む魔を目撃させ、わざと宴会場まで付いて来させた、と渋谷は言う。
「あなたならきっと、彼が巻き込まれていた陰謀に気付き、止めようとしてくれると信じていたのでね。」
「それは、随分と私を買ってくださっていましたね。でも、殆どお話したことも無いのに。」
「市川君と飛鳥君から聞いていたからね。面白い子がいる、と。」
それを聞いて、佳弥はじとっと幸祐と飛鳥を見つめた。何を言いやがったんだ、こいつら。幸祐はついっと目を逸らし、飛鳥はふふふと含み笑いをする。多分、二人ともあることないこと誇大広告気味に喋ったに違いない。佳弥の自己評価では、自分は極めて一般的な常識人である。面白味は少なめだ。
「嘘までついて、申し訳ない。私には孫はいないんだ。」
やっぱり、と思ったが、それを言うと幸祐が個人情報を断片的に漏らしたことがばれる。この堅物上司にそれはまずかろう、と佳弥は口をつぐんだ。
渋谷は鞄から百貨店の包みを取り出した。
「私には贈る相手がいない。もし良ければ、あなたが使ってください。あなたが選んだ定期入れだ。」
「…では、ありがたく頂戴します。」
他人の好意は無駄にしない。竹本家の家訓に従い、佳弥は小ぶりな包みを拝領した。とんでもないところから、クリスマスプレゼントだ。
「市川君も悪かったな。私のお守りをさせて、怪我まで負わせてしまった。」
「いえ、このくらい、僕はいいんです。ただ、彼女は無茶をするので、今後はあまり唆さないでください。」
渋谷に頭を下げられて、幸祐は恐縮しつつも念を押した。おでこの絆創膏に、うっすらと血が滲んでいる。佳弥がはたいたせいかもしれない。
最後に、渋谷は飛鳥の方を向いた。
「今日はありがとう。色々と無理を言ってすまなかった。」
飛鳥は黙って微笑む。それをまじまじと見つめて、渋谷はため息を漏らす。
「君の本来の姿はどちらなんだ?」
「どちらもだよ。渋谷さんもアプリを使うようになれば分かるさ。僕の相棒ならそれくらいしてもらわないとな。」
ぶんぶん、と佳弥と幸祐は首を横に振った。それには気付かず、渋谷は、スマホか、と悩ましげに呟く。
「では、私はここいらで失礼するよ。市川君、また明日な。」
ぽん、と気安く幸祐の肩を叩いて、渋谷は路地の奥へと向かう。
あのおじさんに仕組まれたのがきっかけで、談合防止のために一肌脱ぐことになっていたとは。佳弥はやれやれと肩をすくめた。まあ、悪事は阻止できたのだし、すっきりしたし、佳弥を付け狙った江藤には報復できたし、結果オーライか。
「飛鳥さんは、渋谷さんが市川さんの上司だってご存じだったんですか?」
佳弥は飛鳥を振り返って尋ねた。
「いや、彼が佳弥と幸祐君の知り合いだったとは、今日初めて知ったよ。彼が美術館に突然現れるまでは、実際に会ったことは無かったからな。」
飛鳥が美術館で佳弥と幸祐に会った後、渋谷が一人でふらりとやって来た。曰く、今日の作戦に参加したいが、アプリは使えないから黒い布を一枚貸してくれ、と。
「変身できないのでは危険だと断ったが、あの人は頑固だな。全く聞いてくれなかったよ。仕方が無いから、死んでも骨は拾わないという条件で、ご要望に従ったわけだ。」
「とんでもない条件ですね。飛鳥さんらしいなあ。」
佳弥は感心する。その背をつんつんと幸祐がつついた。
「佳弥ちゃん、あんまり飛鳥さんの真似するなよ。危ない大人になっちゃうぞ。」
「何を要らぬ心配してるんですか。」
ぺしっと佳弥は幸祐のおでこをはたいた。いたた、と幸祐は頭を抱える。
「まあ、良いです。今日はもう帰りましょう。疲れちゃいましたね。」
佳弥が言うと、幸助も飛鳥も素直に同意した。佳弥とは別の駅に向かうという飛鳥に、佳弥はお別れに丁寧にお辞儀をする。
「今回は本当にありがとうございました。飛鳥さんのおかげで大成功でした。」
「いや、全ては佳弥と幸祐君の頑張りが下地にあったからこそだ。僕も久しぶりに楽しかったよ。また何かあったら誘ってくれ。僕も愉快なイベントがありそうなら佳弥に声を掛けよう。」
「それは駄目ですよ、飛鳥さん。」
幸祐が横から慌てて断る。
「そうか。残念だな、僕は佳弥と組むのは結構気に入っているんだが。」
「私もペアを変えてほしいんですよねえ。」
佳弥がしみじみと言うと、幸祐は何だか泣きそうな顔になった。飛鳥は笑ってその肩を叩く。
「安心しろよ、幸助君。佳弥を誘うとしたら、君も一緒だ。君たちは二人の方が面白い。」
「ああ、それなら…いやいや、佳弥ちゃんが危ないのは駄目ですってば。」
「佳弥、保護者が駄目だとさ。」
「こんな人は私の保護者ではありません。」
どちらかと言えば幸祐は佳弥にとって被保護者だ。と声には出さないが佳弥は思う。ぷうとふくれた佳弥のほっぺたを飛鳥は長い指でツンと突いた。
「そんな顔をするものではないよ。可愛い顔が勿体ない。」
何故だか、幸祐が絶望的な表情になる。
飛鳥は声を立てて笑うと、さっと踵を返した。
「じゃあな。二人とも、相棒は大事にしろよ。僕みたいになるにはまだ早いからな。」
そう言って手を振り、飛鳥は姿勢良く颯爽と歩いていった。
その背を見送り、佳弥もくるりと駅の方角に向いた。帰ろう、帰ろう。おなかすいたし。人造スマイルが食べなかった分のお肉やその後の料理、食べたかった、さぞ美味しいのだろうに、とぼんやり考えながら佳弥はとことこ歩く。と、慌てて幸祐が横に並んだ。
「待ってよ、佳弥ちゃん。何で置いてくのさ。」
「並んで帰る必要は無いでしょう。いい大人が一人で夜道を歩けないんですか。」
「佳弥ちゃんって俺には妙に冷たいよなあ。そんなに嫌わなくても良いじゃん。」
「徹頭徹尾、ちゃん付けで呼ぶからでしょう。飛鳥さんはすぐにちゃんを取ってくれましたよ。」
むすっとしたまま、佳弥は大通りに出た。まだまだ町は明るい。サンタの帽子をかぶったアルバイトがケーキを売っている。そうか、今日は家に帰ったら多分ケーキもあるなあ、と佳弥は楽しみになる。
「あれ、何でにこにこしてるの。」
「べ、別に。」
子どもじゃあるまいし、たかだかクリスマスケーキでにやついてしまったとは、不覚。佳弥は咳払いして、仏頂面を取り繕った。
幸祐は佳弥を見つめて暫し腕を組んで思案した。
「なあ、佳弥ちゃん。ちょっと、今から付き合ってくれないか?十分か、十五分くらい。」
佳弥は訝しみながらも腕時計を見た。まあ、それくらいなら遅くなっても構わない。が、今更何だというのか。
「何ですか。内容に拠ります。」
「デート。」
そう言って、幸祐はスマホを取り出してさっと変身した。あっけにとられている佳弥をひょいと両手で抱きかかえて、手近な屋根から屋根へとどんどん飛び跳ねていく。
「な、何をするか、不埒者!ええい、触るな!」
「ちゃんと掴まってよ、危ないぞ。」
佳弥はちらりと下を見た。どんどん高さを増している。今日散々歩いた屋根の上を遥かに超える高度だ。しかも、ビルとビルの間を跳びながら、まだまだ登っていく。地上はぐんぐん遠ざかる。不安定な体勢の生身で見ていて、心地の良い光景ではない。さすがに肝が冷えて、佳弥は幸祐にしがみついた。手が滑ったり、足を踏み外したりしたらどうするつもりだ、このオタンコナスは。
高いビルの屋上にたどり着いたところで、幸祐は佳弥を降ろして変身を解いた。ダッと縁の柵まで駆けていき、はしゃいだ声を出す。
「ほらほら、佳弥ちゃんも見ろよ。すっごく綺麗だ。」
幸祐は大仰な身振りで大通りを指さした。しょうがないなあ、と佳弥も柵に近付き、下界を見下ろす。
街のあちらこちらに飾られたイルミネーションや沢山の街灯がまばゆく光っている。今はその役割を終えた電波塔も、ライトアップによって夜の空を鮮やかに彩っている。星の瞬く夜空よりも、ぎっしり詰まった宝石箱よりも、ずっと強く煌めく街の姿が眼下に広がっていた。
「わあ、綺麗ですねえ。」
佳弥は正直に感想を述べた。上空から見るイルミネーションも乙なものだ。過剰な電飾なんて電気代が勿体ない、と常に思ってはいるが、その思いとは別に美しいものは美しい。人の生活には、時には合理性を離れたお祭りも必要なのかもしれない。
「あんなところにラクダの飾りがありますよ。どうしてクリスマスでラクダなんでしょうね。」
「え、どこどこ?…あれ、トナカイだろ。角があるじゃん。」
そうかなあ、と佳弥は首を傾げて四本足のイルミネーションをねめつける。ちょっと遠いから、正体が見づらい。瘤があるように見えるけれど。角って言うか、耳じゃないのか、あれは。
ぶつぶつと心の中で論じていた佳弥は、ふと横から視線を感じた。
「何で人の顔をじろじろ見てるんですか。私は電飾じゃないですよ。」
ぶう、と口を尖らす。幸祐は佳弥の仏頂面など意に介さず、嬉しそうに笑った。
「なあ、佳弥ちゃん。」
「何ですか。」
「今日、楽しかったなあ。」
佳弥は暫く黙って幸祐の笑顔を眺めた。それから、ぷいっとそっぽを向いて、イルミネーションに目を向ける。
「まあ、概ね、面白かったと言えるでしょう。」
渋々、同意する。ついでに、そういえば幸祐は労をねぎらっていなかったな、と思い出し、癪に障るがちゃんと伝えておくことにする。
「今日はお疲れさまでした。市川さんに頑張って頂いたから、助かりました。ありがとうございました。」
幸祐の方を向いて、ぺこりと頭を下げる。幸祐は、はははと笑って、佳弥の頭にぽふぽふと手を置いて撫でた。
「やっぱり堅いなあ、佳弥ちゃんは。」
「どうでもいいから、頭撫でないでください。何度言えば分かるんですか。」
「じゃあ、ぎゅってして良い?」
「蹴られる覚悟で来てください。手加減はしませんよ。」
佳弥は半歩下がり、いつでも蹴りを繰り出せる体勢を取った。本気の本気である。幸祐はほんの少しギョッとしたような顔をして、ぽりぽりと指で頬を掻いた。
「俺、頑張ったんだから、ご褒美があっても良いと思うんだけどなあ。」
「そのネクタイで我慢してください。よくお似合いですよ。」
佳弥は幸祐のネクタイを一瞥し、社交辞令を付け加えた。幸祐が締めているのは、佳弥が贈ったネクタイである。ただし、あるネクタイが似合うとか、別のは似合わないとか、実のところ佳弥にはよく分からない。あんな物は、何でも同じな気がする。
しかし、幸祐は心底嬉しそうな表情を浮かべた。
「気付いてたのか、これ。」
「見れば分かりますよ。だから、それでご褒美はおしまいです。」
佳弥は構えを解かないまま、つっけんどんに言った。残念、と幸祐は然して残念そうでもない様子で応える。
幸祐は夜景に目を向けた。冷たい空気を吸い込んで、満面の笑みを浮かべる。
「あー、俺、佳弥ちゃんとペアで良かった。」
私は別の人の方が良い、と佳弥は言おうかと思ったが、また泣きそうな顔をされるとばつが悪いのでやめておく。子どもを泣かせるのは本意ではない。それが大人子どもだとしても。代わりに、佳弥は小さくため息をつく。白い息が夜景にかぶって見える。
「佳弥。」
幸祐に呼ばれて、ん、と佳弥は首を傾げた。いつもと何か違う。
「…やっぱり、座りが悪いな。」
ぶつくさと幸祐は独り言ちた。
「佳弥ちゃん。」
「さっきから、何ですか。何度も呼ばなくても聞こえてますよ。」
佳弥は眉間にしわ寄せた。幸祐はにこりと笑う。
「これからもよろしくな。」
そう言って、幸祐は右手を差し出した。そこかしこに切り傷がある。佳弥は握手に応える代わりに、絆創膏の小箱をぼんと渡した。
「お家に帰ったら、ちゃんと手当てしてくださいよ。そんな傷だらけでは、今後のツボ押しに支障が出ますからね。足手まといは置いていきますよ。」
「うん。」
幸祐は人懐っこい笑みを浮かべた。
だから、そういう穢れを知らぬ無邪気な子犬のような目をしてしっぽを振るんじゃない。佳弥は内心で文句を言いつつ、やれやれと肩をすくめて夜景を眺めた。さっきはラクダに見えたイルミネーションが、確かにトナカイに見えてきた。
今暫くの間は、幸祐が相棒でも良いか。
口には出さずに考えて、佳弥はくすくすと笑った。
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