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(1) その者 心の枯れたる女子
将来の夢を三つ書け、という調査に、地方公務員(市)、地方公務員(県)、国家公務員一般職、と並べ、理由の欄には、安定、とだけ書いて提出して佳弥は教室を出た。高校生にもなって、将来の夢もへったくれもあったもんじゃあるまいに、と毒づく。安定のためなら、医者や裁判官、大企業の社員という道もあるが、偏差値六十ありやなしやの高校に入学している時点でそんな道は途絶えている。目をキラキラさせて夢を語る年頃はもうとっくに遥か昔の話になった。このつまらない質問紙に、誰もが夢を書けなくて苦労しているのが良い証拠だ。
佳弥がデイパックを揺らしながら下駄箱の前を歩いていると、後ろからゴアが肩を叩いた。
「佳弥、あれ何て書いて出した?」
ゴアは佳弥と小中学校が同じだ。本名は心愛。子どもじみた可愛らしさ爆発な自分の名前が全く気に入らないので、本名で呼ぶと怒る。だから、「こ」を一つ抜いて、濁点もついでに付けて、ゴア、と呼ばれている。宝塚の男役のような存在感のある眉、太くて真直ぐな髪質の真っ黒なベリーショート、バレー部で鍛えた広い肩幅と上背のある細マッチョな体躯。呼び名にふさわしい、ハードな印象の持ち主だ。幼い頃から佳弥とはよくつるんでいたが、幸いにして、高校でもクラスが一緒になった。
佳弥は肩をすくめて、自分の答案を披露した。
「うっわ、堅実。」
「ゴアは何て書いたの。」
「あたし?建築士、大工、施行管理技術者。要は、でっかい物を作りたいんだよね。家とか、ビルとか、鉄道とか。」
きりっとした形の良い眉を上げてゴアは答える。
「若い人は夢があって良いわねえ。」
「佳弥は相変わらず堅さしかないね。」
「だってねえ、老後の資金を何千万円も貯めなきゃいけないんだよ?それに加えて、増えまくる年寄りの医療費と年金ものしかかってくるんだよ?親の介護だってしなきゃならないし。夢なんて見てる暇無い。自分を客観的に見つめて、可能なところで妥協しないと。」
「仕事にやりがいが無いと続かないじゃん。公務員の仕事に興味があるわけじゃなかろ?」
「あるわけないでしょ、あんなもんに。クビにならなくて、歳取れば給料が増えて、ボーナスと退職金がもらえれば、十分。他に何が要るの?」
こりゃ駄目だ、とゴアは笑った。佳弥は昔からこの調子だ。ケーキ屋さんだとか、宇宙飛行士だとか、明るくて無謀な夢を語ったことが無い。小学校の頃の「将来の夢」でさえ、いい会社のサラリーマン、である。暗い将来を見通してはため息ばかりついている。花の女子高生なのに化粧っ気も無く、淡く癖のある黒髪は後ろでひっつめ、親と同い年の担任からは「あなたは私たちの親の世代の女学生みたいね」と言われる始末である。それを聞いたゴアから、佳弥ばあちゃん、と呼ばれた時にはさすがに怒ったが。
「ねえ、タピオカ飲みに行かない?」
部活が休みで手持無沙汰なゴアが提案したが、佳弥はすぐに断った。
「お金無いから。」
「あんたねえ、小遣い貯め込んでるのは知ってるんだよ。」
「冗談じゃない。あれは生前贈与です。ある程度貯まったら定期預金に入れてるからね、意外と手持ちは無いんだよ。」
「友達付き合いを絶ってまで貯めてどうすんのよ。そんなに老後にばっかり備えて、今は何のために生きてるの。死ぬために生きてるようなもんじゃないの。」
「今タピオカを飲まなくても生きていける。それは私の生活に必須ではない。」
「タピオカそのものでなくて、あたしとの交際というものに価値を置いていただきたい。」
それでも渋い顔をする佳弥を引っ張るようにして、ゴアは繁華街に繰り出した。
何度目かのブームを迎えているタピオカドリンクの店は、若い女性でにぎわっていた。オーソドックスな茶色のものから、オレンジやグリーンの鮮やかなものまで、あちらこちらでスマホで撮影をする音がかまびすしく響いている。
「どう見てもカエルの卵じゃん。キモい。あんなもの、全世界に向けてアップするな。」
「ここに来てそれを言わない。食べりゃ美味しんだから。」
まだぶつくさと文句を垂れる佳弥をなだめつつ、ゴアは注文する。黒いタピオカが沈んだ冷たいミルクティーに、チーズ風味のクリームをトッピングしている。佳弥はをそれを横目に、店員に注文した。
「この店で一番安いものをお願いします。」
「えっ…タピオカの入らない、ホットのブレンドコーヒーになりますが、よろしいですか?」
「よろしいです。」
全くの無表情で佳弥は注文する。店員が、こいつは何のために並んでまでホットコーヒーを注文するのか、という疑惑の眼差しを向けているが、意に介しない。タピオカ入りの一番安いものは五百円。コーヒーなら三百円だ。差額で電車に乗れる。電車賃があれば、高齢になってから買い物や病院のために町に出ることができるではないか。
スタンドに備え付けてある植物油脂のコーヒーフレッシュを入れ、シナモンシュガーを混ぜる。これで十分おしゃれなカフェ気分になれる。カエルの卵は要らない。
「折角ここまで来て、十分並んでそれ買うかい。ほら、一口あげるよ。」
ゴアが呆れて自分のタピオカを佳弥に差し出した。他人の好意は素直に受ける。これは佳弥の家訓である。ど太いストローから、濃厚で甘いミルクティーとタピオカ一粒を吸い上げ、佳弥はもちもちと口を動かした。ちょっと甘すぎだが、姿を見ずに食べる分にはなかなか美味しい食材だ。だが、要らぬ。
「コーヒーも、うまいうまい。」
背の高い椅子に小鳥が停まるようにちょこんと腰掛けて、佳弥は満足げにコーヒーをすすった。案の定、コーヒー自体はこれといって特徴も無く、特段美味しくはない。多めに振っておいたシナモンシュガーが良い塩梅にコーヒーのダメさを補って、ちょっと駄菓子っぽく仕上がった。これで十分。
「佳弥って人生楽しむの下手だよね。」
「何言ってんの。過剰に出費せずに楽しめる方が、生き上手でしょ。医者とか、金があるからって何台も外車買ったりするじゃん。そうでもしないと幸せを感じられないんだから、まことに哀れなもんだ。」
「佳弥に哀れまれていることそのものが哀れだよ。金持ちが金使ってくれないと、経済が停滞するでしょ。医者やら弁護士やらはね、馬鹿みたいに金使って素寒貧になってくれなきゃ我々一般市民が困るんだよ。だから、奴らはタガが緩んでいて正解なの。」
二人そろって散々な物言いである。
ずごー、と音を立ててタピオカを飲み切り、ゴアは満足そうに甘ったるいため息をついた。佳弥もコーヒーを飲みほして、ニッキの息を吐いた。たまにはシナモンも悪くない。
お手洗い、と言って席を立ったゴアを待つ間、佳弥は手持無沙汰でテーブルの上の広告を眺めた。当店のタピオカドリンクをツイッターかインスタグラムにアップすると、スマホの画面提示で次回のご利用が三十円引き。そんなサービス、要らない。そんなものを提示するより、そもそも来店しない方がずっと将来の家計に優しい。
その横に、小さなメモ紙程度のチラシが半分に折られて所在なさげにうなだれている。佳弥は暇に任せてそのチラシを手に取ってみた。
「アルバイト募集。一日一~二時間OK、週三日以上。交通費支給。制服支給。時給九百円から。私たちと一緒にツボを押して、世の中まあるく納めませんか?NPO法人シンハオ。」
心躍らないチラシだ。何だか正体の分からない変なゆるキャラのイラストも、安っぽさと胡散臭さを増強している。
しかし、待遇は悪くない。お金は貯めたいが、みっちりアルバイトをすると勉強に差し支える。勉強に差し支えると、国立大学に入れない。国立大学に入れないと、授業料がかさむ。だから、一日一、二時間で済むというのは両立させるには非常に魅力的だ。
例えば、一日二時間を週に三日入れたとすると、週に五千四百円。月に二万ちょっと。小遣いとしては悪くない。そして、二時間アルバイトをしても、勉強に充てる時間は数時間確保できる。何せ、佳弥は部活動をしていない。
部活動と同じ時間を費やすなら、勉強とか、資格取得とか、アルバイト、もしくは休息に充てた方が何倍もマシだと佳弥は考える。人々は何のためにあんなにせっせと部活をするのか。充実感や達成感を求めて?そんなものは犬にでも食わせておけ。人はそれでは食っていけない。
とかく、佳弥の心は枯れているのである。
佳弥はもう一度チラシをよく見た。下の隅の方に、説明会の日付と事務所の地図が書いてある。いくつかある予定日のうち、一つは正に本日であった。場所はこのタピオカ屋から遠くない。
やるかどうかはさておき、説明を聞きに行ってもいいかもしれない。佳弥はチラシを折り畳んで制服のポケットに突っ込んだ。
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