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【Propose】
それからSNSを通じたやりとりが、「みつを」さんとあった。
数日もしてからツイッターのダイレクトメールで、「みつを」が「いっちゃん」だと教えてもらえた。やっぱり私の勘は間違ってなかった、妙な感動を覚えてしまう。
何処が美味しい、あそこがお勧めと情報交換を始めたのは、それからさらに数週間経っていた。
いっちゃんは、決してごり押しだったり積極的だったりする訳ではない。それだけ連絡をもらっているのに、全く誘い文句は出てこなかった。一緒に行きますか、と言ったのは最初だけで、以後のメールでのやりとりではそんな匂いをさせることは一切なかった。
それがむしろ嬉しかった。きちんと紳士なのだと判った。
私が上げたお店の情報にコメントをくれる、見ててくれるのが嬉しかった。
しばらくして、一緒にお店に行こうと誘ったのは私の方だった。横浜の野毛にあるおでん屋に行きたいと思ったのだ。
敷居が高そうなお店……女ひとりでは怖かった。彼はふたつ返事で来てくれた。
店の前で待ち合わせて、店の前で別れた。それが最初の『デート』だった。
*
行けるお店が増えた喜びと、ひとりじゃなく一緒に味わえる友が出来た喜びがあった。味の好みも一緒だったのも幸いだった。
次第に逢う回数が増えていく、逢う時間が伸びていく。
やがてSNSにいっちゃんの事を載せるようになっていた。
『仙台上陸! いっちゃんオススメの牛タンステーキのお店に来てしまった!』
いっちゃんの肩越しにそのステーキの写真を撮って載せる。
いっちゃんを恋人かと冷やかす人もいたけれど、私は『同志』と紹介していた。
その頃だ、いっちゃんは本当は『樹』と言う名前だと教えてくれた。そう呼んで欲しいと言われ、私は従う。
私は美紗子だと名乗ったけれど、変わらず「ミサ」と呼ばれている。
まあ、いいんだけど。
*
そんな生活が1年余り過ぎた。その頃には平日にも会うようになっていた。
それでも、私達は「恋人」ではない。道を歩くのに手を繋いだり、腕を組むことはあるけれどそれ以上の事はなく、これを「友達以上恋人未満」と言うのだろうと思った。
樹の隣は、居心地はいい。でもそれは食を通じた関係だと思っていた。
『来週の水曜日は中華街行こうぜ』
樹からの誘いはLINEになっていた。
『来週? 今週じゃなくて?』
まだ月曜日なのに。
『うん、来週』
なんで、と思ったけれど、聞くまでもないと思った。
『いいよお、気になる店あった?』
『うん、肉まん屋!』
肉まんの専門店かあ、私は『了解』のスタンプを送っておいた。
*
果たして水曜日。
石川町駅の北口で待ち合わせてふたりで中華街へ向かった。
平日とは言え、夜は人が多かった。はぐれないように樹の腕にしがみつく。
すぐさま樹は反対の腕で私を引き寄せ、肩を抱いてくれた。
温かさが心地よかった、どこまでもこうして歩いていたいと思ったけれど、ゴールは近かった。
「ここ」
言われて曲ったのはどう見ても住宅地だった、中華街の中にも観光客が来ないこんな場所があったのだと初めて知った。
こんなところに肉まん屋があるのだろうか。
しかし、ちゃんとその店はあった。看板はない、腰高の窓の脇に手書きの値段表が貼られていて、そこに『にくまん・トントン』と書かれているだけだった。
バスの降車ボタンみたいなインターホンがあった、それを押すと曇りガラスの向こうに人影が見えて窓を開く。
「いらっしゃい」
日本人と思える男性だった。
「二個ください」
樹が言う。
「はいよ」
大きな蒸し器の蓋を開けて、もうもうと立ち込める湯気の中から肉まんをトングでつまみ、パラフィン紙に包んで渡してくれる。
大きなふわふわ、つやつやの肉まんがそこにあった。
「美味しそうー」
「春に開店したばっかでね。こんな路地だし看板もないのに、休日なんかは行列できるんだよ」
「そうなんだあ」
知らなかった、そういう点では樹の方が情報を集めるのがうまい。
「あ、ここで写真撮ってもいいですか?」
私は笑顔で、店主にメニュー表を指さして聞いた。
「いいよ」
店主は笑顔で応えてくれる。
肉まん越しに店名が判るように入れ込んで写真を撮った。
樹は受け取ると、その場で大きな口で頬張る。
「熱……うっま」
「もうちょっと端っこ行こうよ」
さすがに店の真ん前では申し訳ない、私はハフハフ白い息を吐いている樹を押して少しずれてから、樹の真似して肉まんを頬張る。
肉の香りと共に、八角などのスパイシーな香りが口内に広がった。柔らかく甘い皮と、キャベツや玉ねぎの甘さがぴったりだった。
角切りのチャーシューとくわいがアクセントだ、しっかり味が染みていてそれだけで美味しい。
もう一口、と大きな口でかぶりつこうとした時、その肉の餡の中にビニール片があるのを見つけてしまった。
「──んもう、やだ」
折角の味が台無しだ、とんだミスだ。
よりによって店の前だ、無視して捨てる訳にもいかない、ひとこと申さないと……。
「どうした?」
「ほら、これ。ビニールが……」
「結構大きいな、引っ張り出してみ?」
「ええ? こういうのは入ったまま苦情を入れないと……」
「なんか入ってる」
「入ってるよ、ビニールが」
「違う、その中に」
「ええ?」
確かにビニールの中に金属が入っているようだった、もう最悪じゃん、この店の事書けないよ。
このまま店主に見せた方がいいって言うのに、樹が出せ出せうるさいから、指先でつまんでそれを出した──少し出たところでその金属部分を掴んで、判った。
これは……これって……!
直径約2センチのそれを出し切ると、樹が肉まんを持ってくれる。
私は油でベタベタなのも気にせず、それを開いた。
それはラップで包まれた指輪だった。
手違いで混ぜていた時に混入した訳でないことは間違いない。きちんと綺麗に包まれて、餡の真ん中に押し込まれていたのだ。
たった一石のダイヤモンドが輝く指輪。
「……なんで、こんなの……」
「俺からのプレゼント」
「え? 樹から? なんで?」
お店で買った肉まんに、なぜ樹のプレゼントが……。
「外で食べるご飯もうまいけどさ」
樹の言葉が頭に掛かる。
「これからはミサのご飯、食わせてくれねぇ?」
「え、ご、ご飯……ご飯って……!」
指輪といい、言葉といい、それってプロポーズじゃん!
交際してたわけじゃない、週に一度か二度か三度しか逢わない程度だったのに、そんな!?
「俺としては一目惚れだった。逢う時間が増える度、もっと傍に居たいと思うようになった。でもミサ、身持ち硬いしさ、なかなか進展しないしさ。だったらもうプロポーズしちゃえって思って、友達に頼んだ」
「友達!?」
背後から「はーい」と言う声がした、店主が窓から身を乗り出して私達を見る。
「振られた?」
「まだだ、あっち行ってろ」
友達だけど、肉まん屋さんなのは本当だと言う。
「水曜日は定休日なんだ、それなら手伝ってやるって言ってくれた。なんかきっかけがなくてずるずる来てたから、ちょっとくらいのサプライズが必要かなって思ってさ。なあ、ミサとなら、楽しくやっていけそうな気がするんだ。俺、本気だ。結婚を前提に付き合ってくれよ。嫌なら嫌でいい、でもできればもう逢わないなんてのはやめてほしいけど」
私は慌てて首を左右に振った、なんだか振られた前提で話が進んでいるのは、違うと叫びたい。
「あの……私、料理は……あんま自信ないけど……」
食べる事にしか興味がなかった、そんな私でよかったら……。
全てを言う前に、樹に抱き締められた。
温かい樹の体と体臭に、くらくらしてしまう。
これからはずっとこの中にいていいのだと思ったら、恥ずかしいほど嬉しくなった。
それが私の本心だったんだ。
*
翌日のSNSにアップしたのは。
三日月みたいにかじられたふたつの肉まんをくっつけたものを背景にした、私の左手の甲の写真。
その薬指に輝くのは、もちろん肉まんに入っていた指輪。
『報告。
指輪のサイズは少し合っていないけれど。
私、いっちゃんの嫁になります。
これからは夫婦で食べ歩きするよ!』
コメント欄
i-chann『俺はミサが作ったご飯が食べたいから。いっちゃんより』
終
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