水口奈美の処方箋

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水口奈美の処方箋

奈美の腕には、桜の花が刻まれた。    2人が降りた後、赤野は、水口奈美に言った。   「水口奈美さん、あなただけ、追加処方がありまして。」   「追加処方…ですか。」   「はい、実は、あなたは、また、ここを訪れる事になるのです。」   「えっ、何でですか?また悩みが出来るという事ですか?」   「今から、見る夢に、何かしらのヒントを教えてくれます。あなた自身で見つけなければならない為、私からは何も言えないのです。」   「はあ、よくわかりませんが、意識はしてみますけど。」    ただでさえこの状況が呑み込めない奈美は、それ以上の得体のしれない複雑さを整理する余裕は無かった。   「お願いします。では、間もなく着きます。良い夢を。」      赤野に見送られ、奈美はバスを降りた。    何なんだろうな。追加処方って、訳が分からない。    「おぉ、バス、吸い込まれた。すごい。夢の中でも感動するわ。」    徐々に、奈美の目の前に景色が現れた。    昭和感満載の商店街。    さっきのバスの外の渦巻きといい、吸い込まれたバスに、この景色。タイムスリップでしょ。これは。    ピンクの公衆電話?ここって、おばあちゃんとこ?    小さい頃に、母親に連れられてきたことがある。でもそんなに来てないのに。  なんでだろ。    たしか、ばあちゃん、この商店街で、駄菓子屋をしてたはず。   「あ、ここだ。」    そこは京町家のように間口が狭く、奥行きが長い家屋である。一番手前で駄菓子屋をしており、店の奥の、高めの上り框を上がったところに居間がある。ここで、祖父母がごはんを食べたり、テレビを見ているおばあちゃんの姿をよく見ていた。  2階では、よく祖父が、窓からうちわを仰ぎながら、店の前を通りがかった知り合いと、よく話をしていた姿を思い出す。    そうだ夏に来たんだ。    店の前にいると、祖母が出てきた。   「あら、そんなとこ突っ立てないで、お入りよ。」   「ミイばあちゃん、大人になった私がわかるの?」   「何言ってんだい、あんたの夢に呼び出されたんだよ。まぁ大きくなって。早いもんだね。」    そうなんだ。この仕組み、まだよくわかんないや。   「じいさんもいるよ。」   「タカじいちゃんも?」   「よう来たな。てか、自分らが、来たんだったな。」   「タカじいちゃん、私、この家にお母さんと来てたの?あんまり、ここでのお母さんの姿が記憶がないんだけど。」   「お母さんと来てたさ。今のお母さんとは違うお母さんだよ。」   「どういうこと?」   「やっぱり、覚えてないか?」   「奈美にはね、お母さんが2人いるんだよ。」   「えっ、知らなかった。」   「覚えてないだけさ。」   「この家に、奈美を連れて来てたのは、私たちの娘だよ。」   「だから…お母さん…ここに来てた時のお母さんと、家にいた時のお母さんのイメージが違うとは思っていたけど…。」   「うっすら記憶にあるんだね。この人形は覚えてる?」   「リカちゃん人形…そうだお母さんと同じ名前だって。」   「お母さん、リカって名前だったんだ。」   「そう、奈美のお母さんは、私たちの娘の里香だよ。」   「じゃ、お母さんはどこ行ったの?」   「ばあさん、どうする?」   「まあ、いつかは思いだす事だよ。」   「何?え、怖い…。」    祖母が店の前に出て、奈美を呼んだ。   「奈美、この三輪車覚えているか?」   「ミイおばあちゃん、これ私が乗ってたの?」   「そうだよ。じいさんが買ってあげたんだよ。里香の家では、何も買ってもらえなかったからね。ここで、遊ばせてたんだ。」   「うち、貧乏だったの?」   「そうかもね。三輪車、乗ってごらん。」   「やだ、いくらなんでも小さくて無理よ。」   「大丈夫、乗れるから。ここは夢の中だよ。」    奈美はしゃがむように三輪車のサドルにお尻をつけた。   「あれ、私、小さくなった?なんか、ちょうどいいんだけど。でも、うわ、タイヤが曲がってる。ハンドルも。これじゃ乗れないわ。」   「あの時も、こうやって乗って、遊んでたんだよ。」   「うん、ミイばあちゃんに、見て、見てって、店の前を行ったり来たりしてた…。誰?  誰か来た。そうだ、私、無理やり降ろされたんだ。誰かわかんないど、男の人に。三輪車を道に投げつけてる。なんか怒ってる。」   「ちょっと思い出したね。」   「うん、私が大泣きしてて、殴られそうになった。でも、お母さんが…お母さんが…私を包んでくれて、何度も、ウって唸って…倒れた。ミイばあちゃんの「里香!」って声が聴こえたんだ。あとは、あとは、すごい騒ぎになって、パトカーのサイレンとかすごくなって…」   「お母さん…倒れて、どうなったの?」    奈美は、答えを待たずに泣きそうだった。   「死んだんだよ。たぶん。」   「そうだったんだ…。何で?お父さんは?」    奈美は叫び声に近い声で聞いた。   「お父さんは分からない。」   「私は、親がいない子だったんだ…。」   「奈美、お茶でも飲んで落ち着こうか。」    店の奥の居間に上がって、話の続けた。   「でもね、今のお母さんは、子供がいなかった里香の友人だよ。奈美を引き取って育ててくれたんだ。」   「ほんとの子供じゃなかったからなんだ。だから、冷たいんだ。」   「そんな事ないでしょ。」   「だって、いつも、妹ばかり…。歳の離れた妹がいたのよ。母は再婚して連れて行ったから。私はスッキリしたけどね。」   「他人の子であっても、子供を育てるのは大変なことだよ。本当の親でも、上手く行かない事が多いじゃないか。奈美は幸せだよ。」   「でもなんか、悶々する。」   「しょうがない子だねぇ。」   「私、戻って、事件調べてみる。誰にお母さんが襲われたのか、なんで、私が今の水口家に引き取られたのか。保護施設でも良かったじゃない。」   「奈美。」   「あ、お母さん?」   「里香じゃないか。お前も呼ばれたのか?」   「違うわ。私が勝手に出てきてるの。処方箋には、私は無かったけど。ちょっと奈美の記憶違いがあるから。」   「お母さんの顔、少し覚えている。今、思い出してきた。でも記憶違うって?」   「覚えていてくれて良かった。嬉しいわ。そう、お母さん、すぐには死んでないの。入院して一旦、良くなったけど、あなたを育てられなくて。」   「そうなの?でも一旦って。また悪くなったの?」   「そうね。それ以上は言えないのよ。この夢の中のルールなの。あくまでもあなたの記憶の中から、引きだしているから。入院した時、お見舞いに来てくれてたのよ。でも、私の腫れた顔みて、奈美、泣いてたわね。知らないおばちゃんだと思ったみたい。」   「全然覚えてない…。」   「だから、教えなきゃと思って。あなたが犯人捜しをするんじゃないかと。」   「でも、なんで死んだの?いつ死んだの?」   「そこまでは、言えないわ。いずれ分かる。」   「奈美、練炭見つめてる場合じゃないな。疑問がいっぱいだ。」   「タカじいちゃん、そんなことも知って…そっか、私の記憶だった。そうね、なんかバカバカしくなってきた。そんなことより、自分の事なのに、何にも知らなかった?じゃなくて覚えてなかった。」   「あなたは、集中すると周りが見えなくなるのよ。一つの事に永遠とこだわってね。奈美が大事にしてた毛布があったと思うんだけど。もうないかな。」   「知ってる。ピンクのでしょ。ボロボロになって、私、自分で縫いながら使ってたんだけど、今のお母さんに、汚いって捨てられちゃった。肌ざわりと匂いが好きだったのに。」   「そうね、お母さんでも、そうしたわね、きっと。そうやって、大人になってくのよ。一つの事にこだわることも大事だけど、もっと周りを見てね。」   「でも、私が喋ると、みんなバカにして笑うし、怒るし。何でなのか分からなくて。私変なのかな。って。」   「奈美は変じゃないわよ。ちょっと個性が強いかな。でも、動物には優しいし、頭もいいわ。誰も教えてくれる人がいなかったのね。」   「だから、生きるのが嫌になる事があるのよ。」   「そうね。まだ、自分の事を分かってないのね。」   「自分の事、調べてみるわ。お母さん、ありがとう。なんか、目標が出来ただけでも、楽になったよ。」   「ただ、深く自分の事を知ると、苦しくなることも覚悟してね。それを受け入れた時に初めて、奈美が引きずってる心の錘が軽くなると思うわ。」   「なんか、まだ、私が知らないことがあるんだね。わかった。怖いけど、向き合うよ。」   「もう、私の役目は終わりね。無理言って出してもらったけど、良かったわ。じゃ、これ持ってって。」   「桜の枝じゃない?持ってきて大丈夫なの?」   「この家の裏に桜の木があったのよ。これ、まだ蕾だけど。今もあると思うわよ。腕の桜も咲いてるんじゃない?」      奈美は腕を見た。   「ほんとだ。さっき枝なんて無かったけど。枝まで色がついてる。」   「私が出たからおまけかな。薄いピンクだけど、大丈夫ね。」   「奈美、三輪車についてるミラー見てみて。」   「ミイばあちゃん、このちっちゃい鏡を見るの?」    奈美は歪んだ鏡に自分の顔を映した。   「ちょっと若くなってるかな。でも歪んでるし、良く見えないわ。さっきね。ミイばあちゃんより、おばあちゃんだったのよ。私の顔。」   「あら、そうかい。見たかったね。」   「もっと、ここに、いたかったな。でも、また来るかもって言ってたから。という事は、まだ、終わってないってこと?」    あれ、みんな消えちゃった。別れも惜しませてくれないなんて。あの医者ひどいよ。    奈美はバス停に戻った。    桜の蕾が花開いたのを見届けた奈美が目を覚ました。   「奈美さん!」   「あ、ここ電車の中だ。」   「良かった。苦しそうだったから。この男性が一番先に、戻ってきたみたい。」   「そうなんだ。でも不思議な体験だったな。」    安藤博美は二人に提案した。   「ねえ、三人で、ちょっと話してかない。林の中入ってくる前の駅前に小さな喫茶店があったじゃない?」   「そうだね、こんな事、だれも分かってはくれないだろうからな。」   「奈美さんもいい?」   「良いよ。時間もそんなに経ってないし。他の人に話してはダメって言われてないから、話合いましょ。夢ってすぐ忘れちゃいそうだから、記憶がまだあるうちにね。」   「あ、お金払ってないね。」   「ほんとだ。」    三人は顔を見合わせて笑った。
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