空気清浄機は月夜に語る

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「あなたをお捜ししておりました」  家電売り場で、ぼく、川村栄治(かわむらえいじ)は、突然女性に声を掛けられた。  黒く長い艶やかな髪。細面で白い顔。切れ長の瞳。  彼女は、白い和服姿で商品棚の上に正座しており、深々とぼくにお辞儀をした。 「はい?」  ぼくは、思わず目をこすった。  幻、だったのだろうか。  そこに、女性の姿はなかった。あったのは、加湿器付きの空気清浄機。  音声お知らせ機能つき、というやつだ。  ここのところ、花粉症のせいで鼻炎が酷く、睡眠が浅いのと、三年付き合ったカノジョにこっぴどくふられて、心身ともに疲れぎみだ。  きっと、なんかのお知らせを聞き間違えて、幻覚を見てしまったのかもしれない。  うん。自分が思っていた以上に、重症かも。  予定していたものより、性能はかなり高めになるけれど、ぼくはその空気清浄機を買って帰ることにした。  空気清浄機は、一人暮らしの小さなアパートには、かなり大きいものだったが、そのぶん、性能は期待以上だった。  ぼくは、睡眠不足から解放され、体が軽くなってきた。  そして、音声お知らせ機能というのは、「いらない機能」だとは思っていたのだが、一人暮らしのぼくには、意外と楽しい。  給水してくれだの、お手入れしてくれだのと主張する。  おならをしたとき、「空気の汚れ、みつけました」と、女性の声で指摘されるのは、さすがに、微妙な気分になるけれど。  でも、「がんばる」だの「ありがとう」だの、言葉をくれる存在というのは、癒しになるものだ。たとえ、それが『プログラミング』されたものだとわかっているにしろ、なんとなく励まされている気分になる。  もちろん、そんなこと、他人に話したら、それこそ心配されるとは思うけれど。 「ふぅ。寝るか」  ぼくは、ベッドに寝転がったまま、照明のリモコンに手をのばし、部屋の明かりを消す。 「お疲れさまでした」 「おやすみー」  光センサーに反応したのであろう、空気清浄機に、ぼくは言葉を返す。  まるで、同居人がいるみたいだ。  どこかくすぐったい気分で、目を閉じる。 「……本日は、満月です」  空気清浄機が、呟く。  満月?  ぼくは、体を起こした。  満月と空気清浄機は何の関係があるのだろう? 月齢の予定表まではいっているとは思わなかった。  空気清浄機が、部屋の隅でぼんやりと光っている。  蓄光機能なんて、あったっけ? 明かりを消してから、空気清浄機を見たことはなかったから、よくわからない。 「本日は満月です」  空気清浄機が、再び呟く。  ぼくは、ベッドから立ち上がり、窓のカーテンを開いた。  暗い夜空に、こうこうと輝く月が目に入る。 「あなたをお捜ししておりました」  空気清浄機の声だ。  背後に気配を感じて、振り返ると、家電売り場で見た女性が立っていた。 「えっと。何から聞いたらいいのかな」  ぼくは、事態のわりには、動揺していなかった。いや、不可解なことが多すぎて、いろいろマヒしてしまったのかもしれない。 「私は、月世界からやってきた、かぐや、と申します」  彼女は静かに頭を下げた。 「私達、月世界の人間は、いにしえの時代より、この世界では人ならざるものに宿り、魂を育て、元の世界に戻ることができるのです」 「えっと。竹取のかぐや姫って、竹から生まれたと記憶しているんだけど?」  そもそも、月世界の人間ってなんなんだろう、という肝心なツッコミは、置いておくとして。ぼくは、首を傾げた。 「はい。最近は、竹に宿ってもあまり育ててはいただけないので、このようなからくりに身を宿した次第です」 「ふーん。じゃあ、もう帰るの?」  ぼくは、空の満月に目をやった。  かぐや姫は、たしか満月の晩に月へ帰るのだ。 「いえいえ。最近は、月世界も人手不足で、自分で月へ向かわないといけませんので」 「月へ向かう?」 「あなた様は、それを可能に出来るお方でございます」  かぐやは、キラキラとする目で、ぼくをみる。 「えっと」  ぼくは、戸惑う。ぼくはゲーム会社に勤めているプログラマーであって、月に行く予定は全くない。 「あのさ。残念だけど、ぼくは宇宙航空研究開発機構に勤めているわけでもないし。月に向かう予定は、ないんだけど」  かぐやはくすりと笑った。 「私を育んで下されば、良いのです。時が来れば、その力を得ることができますので」 「えっと。きみ、ずっとそのままなの?」 「いえ。この姿は、満月の光を浴びた時だけです」  彼女は、申し訳なさそうに、頭を下げた。 「じゃあ、空気清浄機をどうやって育てるの?」  ぼくの疑問は、もっともだと思うのだが、彼女もそれがわからないようで、可愛らしく小首をかしげた。 「どう育つのでしょうね?」 「……知らないんだ」  ぼくとかぐやは、二人して、満月を見上げる。  銀の光は、何も告げることはなく、ただ闇を照らし続けていた。 了  
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