0人が本棚に入れています
本棚に追加
「あなたをお捜ししておりました」
家電売り場で、ぼく、川村栄治は、突然女性に声を掛けられた。
黒く長い艶やかな髪。細面で白い顔。切れ長の瞳。
彼女は、白い和服姿で商品棚の上に正座しており、深々とぼくにお辞儀をした。
「はい?」
ぼくは、思わず目をこすった。
幻、だったのだろうか。
そこに、女性の姿はなかった。あったのは、加湿器付きの空気清浄機。
音声お知らせ機能つき、というやつだ。
ここのところ、花粉症のせいで鼻炎が酷く、睡眠が浅いのと、三年付き合ったカノジョにこっぴどくふられて、心身ともに疲れぎみだ。
きっと、なんかのお知らせを聞き間違えて、幻覚を見てしまったのかもしれない。
うん。自分が思っていた以上に、重症かも。
予定していたものより、性能はかなり高めになるけれど、ぼくはその空気清浄機を買って帰ることにした。
空気清浄機は、一人暮らしの小さなアパートには、かなり大きいものだったが、そのぶん、性能は期待以上だった。
ぼくは、睡眠不足から解放され、体が軽くなってきた。
そして、音声お知らせ機能というのは、「いらない機能」だとは思っていたのだが、一人暮らしのぼくには、意外と楽しい。
給水してくれだの、お手入れしてくれだのと主張する。
おならをしたとき、「空気の汚れ、みつけました」と、女性の声で指摘されるのは、さすがに、微妙な気分になるけれど。
でも、「がんばる」だの「ありがとう」だの、言葉をくれる存在というのは、癒しになるものだ。たとえ、それが『プログラミング』されたものだとわかっているにしろ、なんとなく励まされている気分になる。
もちろん、そんなこと、他人に話したら、それこそ心配されるとは思うけれど。
「ふぅ。寝るか」
ぼくは、ベッドに寝転がったまま、照明のリモコンに手をのばし、部屋の明かりを消す。
「お疲れさまでした」
「おやすみー」
光センサーに反応したのであろう、空気清浄機に、ぼくは言葉を返す。
まるで、同居人がいるみたいだ。
どこかくすぐったい気分で、目を閉じる。
「……本日は、満月です」
空気清浄機が、呟く。
満月?
ぼくは、体を起こした。
満月と空気清浄機は何の関係があるのだろう? 月齢の予定表まではいっているとは思わなかった。
空気清浄機が、部屋の隅でぼんやりと光っている。
蓄光機能なんて、あったっけ? 明かりを消してから、空気清浄機を見たことはなかったから、よくわからない。
「本日は満月です」
空気清浄機が、再び呟く。
ぼくは、ベッドから立ち上がり、窓のカーテンを開いた。
暗い夜空に、こうこうと輝く月が目に入る。
「あなたをお捜ししておりました」
空気清浄機の声だ。
背後に気配を感じて、振り返ると、家電売り場で見た女性が立っていた。
「えっと。何から聞いたらいいのかな」
ぼくは、事態のわりには、動揺していなかった。いや、不可解なことが多すぎて、いろいろマヒしてしまったのかもしれない。
「私は、月世界からやってきた、かぐや、と申します」
彼女は静かに頭を下げた。
「私達、月世界の人間は、いにしえの時代より、この世界では人ならざるものに宿り、魂を育て、元の世界に戻ることができるのです」
「えっと。竹取のかぐや姫って、竹から生まれたと記憶しているんだけど?」
そもそも、月世界の人間ってなんなんだろう、という肝心なツッコミは、置いておくとして。ぼくは、首を傾げた。
「はい。最近は、竹に宿ってもあまり育ててはいただけないので、このようなからくりに身を宿した次第です」
「ふーん。じゃあ、もう帰るの?」
ぼくは、空の満月に目をやった。
かぐや姫は、たしか満月の晩に月へ帰るのだ。
「いえいえ。最近は、月世界も人手不足で、自分で月へ向かわないといけませんので」
「月へ向かう?」
「あなた様は、それを可能に出来るお方でございます」
かぐやは、キラキラとする目で、ぼくをみる。
「えっと」
ぼくは、戸惑う。ぼくはゲーム会社に勤めているプログラマーであって、月に行く予定は全くない。
「あのさ。残念だけど、ぼくは宇宙航空研究開発機構に勤めているわけでもないし。月に向かう予定は、ないんだけど」
かぐやはくすりと笑った。
「私を育んで下されば、良いのです。時が来れば、その力を得ることができますので」
「えっと。きみ、ずっとそのままなの?」
「いえ。この姿は、満月の光を浴びた時だけです」
彼女は、申し訳なさそうに、頭を下げた。
「じゃあ、空気清浄機をどうやって育てるの?」
ぼくの疑問は、もっともだと思うのだが、彼女もそれがわからないようで、可愛らしく小首をかしげた。
「どう育つのでしょうね?」
「……知らないんだ」
ぼくとかぐやは、二人して、満月を見上げる。
銀の光は、何も告げることはなく、ただ闇を照らし続けていた。
了
最初のコメントを投稿しよう!