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そして天正9年(1581年)、いよいよ京都にいる織田信長との謁見の日がやってきました。一行の中にはヤスフェのほか白人や象も交じっていてその行列の様子は今も残る屏風絵にもなっていて、絵の中ではヤスフェは日傘?をもって一向に連なっております。
既に日本にいた同時期のカトリック司祭ルイス・フロイスやロレンソ・メシヤがイエズス会本部に送った書簡では、
「町中、見物人で大騒ぎ、投石をしたり黒人を見んがために日本人は喧嘩をして重傷者もいた」といいます。
さて信長の前にやってきて慇懃に挨拶をした宣教師一行でしたが、信長の興味は一点。ヤスフェの異様な体型です。
「その方、体に墨を塗っているであろう」信長はそういってなかなか黒人を理解しようとはしません。
着物を脱がせて体を洗ったところで肌はつやつやと黒く輝くばかり。
信長公記には、
「切支丹国より、黒坊主参り候」と書いてあり年齢は26,7歳、「十人力の剛力」「牛のように黒き身体」と書かれています。
このようにして納得した信長はヤスフェのことをとても気に入り、交渉して譲ってもらうことにしました。ヴァリニャ―ノはヤスフェを差し出すことにしたのです。
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