午前四時半の逢瀬

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*  睡魔を吐き出した息を夜に溶かしながら、俺は未明橋へとやってきた。この街に引っ越してもう三年になるが、この橋を訪れたことは一度もなかった。  至って普通の橋だった。  飾り気があるわけでもないし、特別長いわけでもない。ただ、川を渡るために存在しているだけのそれは、月光を浴びて静かに佇んでいた。  ……本当に此処なんだよな?  眉間に皺を寄せながら、橋の上を歩いていく。コツコツと自分の足音だけが響くのを聞きながら、中央に立った。  混凝土のような手すりに振れ、俺は疑心暗鬼に水面を覗き込んだ。眼下の川には、朧気な月が揺蕩っている。  何も起きないじゃないか。  そう思った時だった。  心にそっと寄り添うような、静かな旋律が耳を掠めた。そのメロディには聞き覚えがある。  ドビュッシーの月の光だ。クラシックに疎い俺でもこの曲は知っている。  他でもない、『彼女』が弾いていた曲なのだから。  気が付けば、辺りは濃霧に包まれていた。白煙のようなそれが視界を覆いつくした後、嘘のように瞬時に晴れていく。  俺は目の前の光景を見て目を見開いた。  そこは、湖の上だった。  写真でしか見たことのないような鏡面湖。かの有名なウユニ塩湖によく似ている。  鏡に映るのは、大きなグランドピアノ。スポットライトを浴びたそれと、変わらず浮かぶ青い満月。  そして、ピアノを演奏する一人の少女だった。 「久しぶりね、ミチルくん」  煌びやかで繊細な旋律が止むと、彼女――サヤは薄い唇で弧を描いた。
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