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夕方になり学校や仕事帰りの客が商店街をウロウロし始める。『黒曜書店』も昼間は大した忙しさではないが、夕方から閉店時間の8時頃まで賑やかな書店となる。
最後の客が店を出ると黒彦は店を閉めた。店から自宅に入るとふわっと醤油とニンニクの香りが漂ってきた。
「美味そうな匂いだな」
『イタリアントマト』の赤斗の恋人、茉莉に和食を教わっているためか、最近桃香の料理の腕前が上がっている。食事にそれほど強い欲求がない黒彦だが、やはり恋人の手料理は良いものだとこっそり微笑む。
「ただいま」
「おかえりなさい。もうすぐ食べられますよ」
「ん。手を洗ってくる」
言われなくても帰宅すると手を洗う黒彦が、いつも可愛らしいなと桃香は思い笑んだ。テーブルには黒彦が買ってきたペアのマグカップが置かれている。
黒彦が食卓に着くと「どうぞ」と桃香が食事を促す。
「いただきます」
良い香りの正体は茄子の南蛮漬けだった。
「ん、これ美味い」
「よかった。茉莉ちゃんに教わったんですよー」
「ニンニクとショウガがよく利いてる」
「ですよねー」
桃香は緑茶をマグカップに注ぎ、綺麗な緑色を見つめながら「わざわざ買ってくれてありがとう」と礼を告げる。
「いや、俺が壊してしまったんだし。すまん」
「ううん。わざとじゃないんだし、おまけに直るなんてすごいんだあ」
「いいものは直しながら使うものなんだな」
「帰ってくるのが楽しみです。あ、でもこのカップもペアだから嬉しいな。もっとペアのもの増やしたいなあ」
「そうか? じゃ一緒に青音のところにでもいくか」
「黒彦さんもアンティーク好きなんですか?」
「そういうことでもないが、なんていうか歴史を感じさせるものはいいな」
「ですね」
桃香ももっともっと黒彦と年月を重ねていきたいと願う。
「ところで俺を待たなくてもいいんだぞ」
「ん? 夕飯ですか?」
「うん。遅くなるから先に食べてていい」
「んー。あのー、黒彦さんは子供の時夕飯どうでした?」
「どうだったかな。確か母さんか父さんと、もう少し早い時間に毎日交互に食べてたかな」
「そっかあ。じゃ一人で食べることはなかったんですね」
「そうだな」
「じゃあ、やっぱり待ってます。一緒に食べたいから」
「そうか」
「あ、でも子供がいたら交代交代で食べてあげましょうね」
桃香の気持ちが嬉しくて黒彦は胸が温かくなる。おぼろげな少年時代が懐かしかった。そういえば、と黒彦は思い出した。
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