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ホワイトシャドウ(旧ピンク)松本白亜(まつもと はくあ)編
『ヘアーサロン・パール』の白い扉を開くと、甘酸っぱいオレンジのフレグランスがほのかに漂う。美容院なのにまるでエステを受けるような気持ちになる店だ。
「ふー。いい香り。ごめんくださいーい。『黒曜書店』でーす」
桃香は雑誌の配達にやってきていた。『黒曜書店』の仕事は市内であれば配送も行っていて、商店街の中では歩きで配達している。
「あら、桃香ちゃん、配達に来てくれたの? ご苦労様」
オーナーの松本明美が明るく声を掛けてくる。息子の白亜はちょうど客に最後の仕上げをしているようだ。
「ええ。これヘアカタと、こっちネコ雑誌です」
「うんうん。いいわね。このネコってば白亜そっくりねえ」
「ですねえー」
明美と桃香で盛り上がっていると、白亜と女性客がやってきた。中肉中背で特に目立った外見ではないが、その女性はベリーショートで、ぎりぎり女性のヘアースタイルといった風だ。
「ありがとうございました。また来月予約入れたいんですけど」
眼鏡を治しながら俯き加減で女性が言うと白亜が「うーん」と唸る。
「ミサキさん、ちょっとペース早すぎるかなあ。その長さじゃ3ヶ月くらい放置でもいいくらいだよ?」
「さ、3ヵ月も……」
「今どき野球部の男子だってもうちょっと長いんじゃないの?」
「そうですか……。揃えるだけでもだめですか?」
「いやあ、駄目じゃないけどさ」
「じゃ、お願いします」
「ふう。わかったよ。じゃ、えっと来月のここ、前田ミサキさんっと」
「良かった……」
「あ、これ、サービス。うちのシャンプーね」
「ありがとうございます! じゃまた」
「ん。こちらこそ、ありがとうございました」
前田ミサキという女性はほっとした様子で店を出て行った。白亜が女性を見送った後、ふーっとため息をついた後、桃香に気づいた。
「やあ。桃、カットでもしていく?」
「いえ、揃えてもらったばっかりなので」
桃香はセミロングの軽い毛先を揺らす。
「だよねえ。ふう」
「どうかしたんですか?」
「さっきのお客さん、ここ3ヵ月でもう4回もカットに来てくれてるんだよ」
「ああ、すっごいベリーショートでしたね。あそこまで短い人初めて見たかも」
「でしょー? もう切るとこないよ」
いつも小悪魔のように軽やかで捉えどころのない白亜が、珍しく困った表情を見せる。
「白亜さんのファンじゃないんですか?」
『ヘアーサロン・パール』の評判も勿論よく、それで予約してくる客の大半は白亜のファンになりまたやってくる。おかげで店は常に予約客でいっぱいだった。
「そうじゃないみたいよー」
白亜の代わりに明美があっけらかんと答える。
「へー、珍しい」
「だって、白亜にシャンプーされても何ともなさそうだもの」
「へ、へえ……」
桃香は白亜にされる官能的なシャンプーを思い出し、ぞくりとするがその瞬間、恋人の黒彦が頭をよぎり、思い出は残念ながら消える。
「なんか、こう、必至になって切ってる感じでね。俺もちょっと参るんだよねえ」
「何か理由があるんでしょうね」
「理由か……。今度その話でもしてみようかな」
「あ、早く帰らないと。じゃ雑誌置いていきますね」
「サンキュー。黒彦によろしくね」
「はーい」
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